王都より馬車、二時間の姫
王都ハーケンより、馬車で二時間も進めば広々とした田園地帯が広がる。何代も前の王アシュレイ・ハーケンの時代に周辺国家を侵略し力づくで奪った土地は、代替わりが進み、すっかりと侵略の色を失い、王都の領土の色を持っていた。その所作として田園地帯の家々には、王都ハーケンと同じ旗が掲げられていた。
その田園地帯を少しさらに進んだところに、古城がある。
小さな丘の上に、石造りの塀と堀を拵えたものである。急ごしらえのようにも思えるが、主たる屋敷には見張り台も兼ねた立派な石の塔があった。その天辺に、一人の男が椅子に座して揺られていた。ぼんやりと揺られ、王都の方向へと顔を向けている。
男の名前は、ライオネル・ヴェルグリス。この古城を任された男である。
もっと言えば、ライオネルは王都へと続く街道を眺めていた。
「閣下、ここに居られましたか」
ゆらりゆらりと揺れるライオネルの後ろに、一人の男が立っていた。後ろ手に組んだ軍装の男である。
「物見の塔は、気分がいい。晴れた空や往来を眺めて飽きる事はない。だろう、ゼルグ」
ゼルグと呼んだ男の方を見ることなく、ライオネルは言った。
「とくにほれ、空を見ろ。あそこに流れる雲は、まるで、羊のような形だ」
「職務を放棄される事を除けば仰る通りですね」
「小言か。おっと、あの雲はお前に似ているな、意地の悪そうな口の形だ」
「ならば、あの雲は閣下に似ておりますね、だらけた腕のようです」
ライオネルはふっと鼻でゼルグの言葉を笑って言った。
俄かに街道が騒がしくなった。
「閣下、セリーネ・アルマディア嬢が出立されます」
「そうか」
「出過ぎた真似をするようで申し訳ないのですが」
副官として長い付き合いのゼルグがそっと耳元に口を寄せる。
「本当によろしいのですか。セリーネ嬢をこのまま王都に行かせて」
言わんとする意味がわかり、ライオネルは目を細める。
セリーネ・アルマディアというのはこの城の豪農の娘である。豪農の娘にしては気立ての良い娘で、もっと言えば、ライオネルとも幾日も共にした間柄、つまりは、そういう間柄である。しかし、先日、この城を訪れた王都の豪商がセリーネ嬢を見初め、あれよあれよという間に婚姻が決まった。
そして、本日がそのセリーネ嬢が王都へと出立する日である。
「何、今生の別れとなるわけではない」
目を細めたままにライオネルは言う。王都まで馬車で二時間、そう遠くはない。
そう、遠くはない。
「ゼルグ副官、私は執務がある。セリーネ嬢の出立には立ち会えぬと伝えておけ」
一瞬の、刹那の沈黙の後、言葉を飲み込んだゼルグは姿勢を改め、「かしこまりました」と言って塔の出口へと立ち去った。それを見届けるとライオネルは深く息を吐き出す。それに合わせて、椅子が揺れた。
街道がより騒がしくなり、ちらりとそちらへと目線を向ける。
街道にはセリーネ嬢を見送ろうとする住民が訪れていた。人徳のなせる業である。
六頭立ての馬車がガラガラと音を出しながら現れる。その車には豪華な装飾が施されており、なるほど、いかにも豪商の見栄とその見栄を満たすだけの財力がふんだんに注がれた趣味だと一目で見抜くことができた。
その車にはセリーネ嬢がいた。
窓を開けて、いつもの笑みを見せていた。
「やれやれ、だ」
王都より馬車で二時間、しかし、豪商の妻となった者に、そう易々と会えるはずがない。
ライオネルはずっと街道を見送っていた。
日が沈むまで、ずっと。