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さとりさんの夢

 さとりさんには夢がある。

 いつか美しい心を持つ男の子が現れて、恋人になる。

 美しい心はめったになくて、それが儚い夢であることをさとりさんは知っている。

 さとりさんの本名は砂山智乃。人間だが、さとりの怪異でもある。他人の心を読む特殊能力を持っている。

 心はたいてい醜い。

 騙していたり、妬んでいたり、欲張っていたり、いやらしかったり、ねじ曲がっていたり、そのすべての複合だったりする。瞬間的に美しくなることはあるが、長くはつづかない。心は流動的で、ずっと美しいということはない。 

 さとりさんは飛び抜けて容姿の美しい女の子だったから、多くの男の子の初恋の対象になった。

 初恋も醜い。

 幼稚園で親しかった男の子から急に初恋を向けられるようになった。

 怖かった。

 さとりさんの気持ちなんかおかまいなしに、さとりさんを欲しがる。

 友達に向けるさらりとした感情が粘着質で独占欲を含む感情に変化して、気持ち悪かった。

 小学校の高学年になると、恋愛感情を向けられることがすごく増えた。

 登校すると、一方的で暴力的な好意にさらされた。欲望を向けられた。それは恐怖でしかなかった。

 さとりさん自身は恋に落ちたことはない。

 男の子が女の子を好きになり、女の子が男の子を好きになる現象。ときには男の子が男の子を好きになり、女の子が女の子を好きになる現象。

 物語では美しく切なく自然なものとして描かれるが、さとりさんにとってはそうではない。

 どろどろしてえげつなくておぞましい感情だ。

 中学や高校ではさらに飛躍的に多くの男子やたまに女子から恋愛感情を向けられた。さとりさんはまったくときめかないし、楽しい気持ちにもならない。勝手に欲望の対象にされて、怖くて、逃げたくなるだけだ。

 こんなものが恋だとしたら、自分には永久にできないと思う。


 さとりさんは自分が他人とはちがうことを知っている。

 ふつうの人は他人の心を読む能力を持っていない。さとりさんの両親も持っていない。

 幼いころ、お母さんとお父さんの心を読んでいたら、戸惑いの表情を浮かべられることが多かった。いつしか両親は娘がさとりの怪異であることを知り、パニックに陥った。

 さとりさんはさとりの能力が忌むべきものであり、隠すべきものであると悟った。

 ふつうの人は自分以外の人の心は読めないのだ。それはしあわせなことだとさとりさんは思う。

 心はたいてい醜いから、わからない方がいい。心なんて読めても、傷ついて人間不信になるだけだ。絶対に不幸になる。

 心を読んでいることが知られるとさらにやっかいだ。

 怖がられ、不気味がられ、遠ざけられる。

 さとりさんは能力を懸命に隠している。


 それでもさとりさんは夢を見る。

 いつか美しい心を持つ男の子が現れて、恋人になる。

 世界でひとりくらいは美しい心の持ち主がいるかもしれないじゃないか。

 そういう人と出会って恋に落ちるという奇跡があったら素敵じゃないか。

 中学生になるとき、進級するとき、高校生になるとき、誰かと出会うたびに、今度こそは美しい心の持ち主に出会えるんじゃないかと夢を見た。

 夢は叶わぬまま、さとりさんは高校2年生になった。

 転校生が来るらしいという噂を聞いた。

 さとりさんはまた奇跡を夢見て、転校生を待っている。


 奇跡は起こらなかった。転校生の心は醜かった。

 にもかかわらず、さとりさんは恋をした。

 転校生はコンビニで万引きしたことがあるし、死にたくなるほど後悔しているくせに再犯した。

 カンニングの方法を真剣に考えている。 

 えっちな妄想で頭の中をいっぱいにしている。

 けれど、捨て猫を見捨てられなくて、一時的に飼って、きちんと飼ってくれる人を探し、猫を引き渡すということをした。たったそれだけのことで、さとりさんは転校生を好きになってしまった。

 いつなんどきも転校生のことを考えて、目で追っている。

 最初、さとりさんは自分の心を掴みかねた。

 どうしてこんなことが起こった?

 理由なんてなかった。

 猫にやさしくする人は他にもいる。ボランティアで継続して保護猫の里親探しをしている人だっている。

 だが、さとりさんが好きになったのはボランティアではなく、転校生だった。

 こういう脈絡もなく理屈ではないものが恋なのかと思った。

 さとりさんの初恋だった。

 初恋は苦しかった。

 転校生はさとりさんに興味を抱かず、夢魔ちゃんに恋をしたのだ。


 夢魔ちゃんの本名は谷川きらら。人間だが、夢魔でもある。

 他人の夢に入り込む特殊能力を持っている。

 夢魔ちゃんはその能力を隠しているが、さとりさんは心が読めるので、夢魔ちゃんの秘密を知っている。

 転校生の容姿を気に入って、夢魔ちゃんは彼氏にしようとたくらんだ。

 転校生の夢に潜り込み、エロいアプローチをした。転校生はころりと落ちて、夢に出てくる女の子を好きになった。

 ふたりの心をさとりさんは歯噛みしながら読んでいた。

 夢魔ちゃんは夢に介入することで、十人以上もの男子とつきあった恋愛の猛者だ。

 さとりさんは誰ともつきあったことのない初心者。なすすべもなく、転校生は夢魔ちゃんのものになった。ふたりはつきあい始めた。

 初恋は本当に苦しかった。

 傷つくとわかっていても、彼と彼女の心をのぞかずにはいられなかった。

 転校生が夢魔ちゃんに夢中になり、夢魔ちゃんがしてやったりと歓んでいるのを読んで、胸が痛かった。

 恋とは理不尽で、理解不能で、どうしようもないものなのだと思うようになった。

 失恋はさとりさんの心をどろどろにした。自分も他人と変わらないと思った。さとりさんの心だって醜いのだ。夢魔ちゃん死ね、と思っていた。


 大学生になったころ、さとりさんは寛容さを身につけていた。

 人間の心が醜いのはあたりまえで、それが人間なのだと思うようになった。

 完璧に綺麗な心の持ち主なんていない。もしいたとしたら、それはかえって人間的ではない。異常な心だ。 

 そして心はたまには美しい。転校生の心は醜かったが、猫の里親探しをしているときは純真だった。

 醜いが、美しいときもある。それが心。

 さとりさんはふつうの人に恋をし、告白し、つきあった。


 かつてさとりさんには夢があった。

 いつか美しい心を持つ男の子が現れて、恋人になる。

 邪念のない美しい好意。下心のない純度100パーセントの好意。そんな心を持つ男の子と出会って恋をする。

 ピュアピュアな恋をする。

 最高に美しいダイヤモンドのような心の持ち主と恋をする。

 澄んだ瞳を見つめ、まっすぐに見つめ返され、ドキドキしながら手をつなぎ、抱きしめ合う。

 そんな夢を見ていた。 

 いま、砂山智乃は夢見るのをやめ、現実を見ている。

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