第四話
交際しているならいいだろうと思って頻繁に誘うようになったが承諾してくれるのは日曜の午前中の二、三時間程度だけだった。
「歌夜ちゃん、毎日バイトしてるけど、お金貯めてるの? その……もっと長いデート出来ないかな?」
何度目かのデートで思い切って言ってみた。
二、三時間では遠出は出来ない。
午前中だけではコンサートなどにも行けない。
もうすぐクリスマスだ。
せめてクリスマスくらいはバイトを休んでもらえないだろうか。
「そういうデートがしたいなら、それが出来る相手と付き合って」
「いや、デートはどうでもよくて! 歌夜ちゃんともっと一緒にいたいってだけだから、その……」
星次が慌てて言った。
「あ、デートが無理ならバイトの後は? バイト先から家の近くまで一緒に帰るのは?」
「……バイト終わるの終電の後だよ」
「別に、うちは歩いて帰ろうと思えば帰れる距離だし、毎日歌夜ちゃんと帰れるなら自転車通学にするよ」
「いいの?」
「うん」
星次は振られまいと必死で頷いた。
「それなら」
翌日からバイトの後に一緒に帰るようになった。
店から歌夜と別れる道までほんの数十メートルしかないが、それでも日曜のデートだけよりは一緒にいられる時間が増えた。
横道まで来ても星次の話が終わってなければ立ち止まって最後まで聞いてくれる。
終電後の深夜だし歌夜は昼間高校に通っているから長話で引き止めるわけにはいかなかったが。
愛想が無いからと言って冷たいわけではない。
星次の話にただ相鎚を打っているだけではなく、内容を聞いた上で返事をしてくれている。
単に自分から話すのが苦手なだけらしい。
興味が無いことは聞きたくないという性格でもないらしく星次の長話にも嫌そうな素振りを見せない。
星次はお喋りが好きな方だから常に話し続けているが歌夜はそれで構わないようだった。
何度か、
「退屈してない?」
と聞いてみたが、いつも、
「別に」
という答えが返ってきた。
歌夜は本当に無理なら断るから星次が話し続けていても平気らしいと判断して、それ以来遠慮なく喋るようになった。
ただ、ある日、歌夜は自分の事は一切話さないから彼女のことはほとんど知らないという事に気付いた。
まぁ俺が好きなのは歌夜ちゃん自身だから別にいいけど……。
それに考えてみたら星次自身も話すのは音楽のことばかりだし歌夜も聞いてこないから何も話していない。
だから歌夜の方も星次は音大生という事くらいしか知らないはずだ。
お互い必要になった時に話せばいいだろうと思うことにした。
その日は土砂降りだった。
「この雨じゃ自転車は無理でしょ」
バイトを終えた歌夜が言った。
「歩いて帰るよ」
「外泊しても怒られないならうちに泊まっていってもいいよ」
「え!?」
「誘ってるわけじゃないから」
「あ、もちろん、分かってるよ」
星次は慌てて言った。
高校生なら経験している子は多いが星次は成人している。
他の道府県なら恋愛関係にあればいいらしいが東京は結婚前提でないとダメなのだ。
それも本人同士の口約束ではなく親が公認しているくらいでないと許されない。
もちろん、誰も訴え出なければ捕まることはないが。
初めて歌夜の家の前まで来て驚いた。
小さなアパートだ。
この大きさだと一部屋か二部屋しかないだろう。
廊下から見える台所らしき窓は真っ暗だ。
今は誰もいないのだ。
もしかして親元を離れて一人暮らしをしているのか?
歌夜が鍵を開けて中に入り電気を点けた。
やはり一部屋しかない。
辛うじて小さなバスルームが付いているだけだ。
「あの……ご両親は……? 一人で暮らしてるの?」
「生みの親は覚えてない。養子として引き取ってくれた親は小学校の時に離婚しちゃって……お義母さんがそのまま育ててくれたけど……半年前に死んじゃった」
半年前……。
星次がコンビニで初めて歌夜を見掛けた頃だ。
「もしかして、バイト代って生活費や学費?」
「学費は就学支援金制度っていうのがあるから要らないけど、生活費や食費までは出してもらえないから」
「…………」
「お荷物でしょ。親がいなくてずっとバイトしてないといけない子なんて」
「そんな事ないよ!」
「同情が横滑りしちゃうタイプ?」
「違うよ! 俺ずっと前から歌夜ちゃんのこと好きだったから! コンビニもファーストフードの店も毎日歌夜ちゃんに会うため……あ!」
思わず白状してしまって慌てて口を噤んだ星次を見て歌夜がくすっと笑った。
「知ってた」
「え?」
「だって電車で通学してるなら夜食は家の近くで買うはずでしょ。すぐに食べたいならイートインスペースのあるコンビニかファーストフードの店に行くはずだし」
バレバレだったらしい。
気持ち悪いと思われなくて良かった……。
「あ、でも、二度目のコンビニはホントに偶然だから」
「分かってるよ。あれ以来、来てないし」
星次は安心して胸を撫で下ろした。
しかし家が大学の近くなら土日にあのコンビニに通うようになっていたかもしれないと考えると近所ではなくてラッキーだったようだ。
歌夜のアパートに泊まるようになって何度目かのある日、
「聞いていい?」
不意に歌夜が言った。
「いいよ、何?」
「……もし、人に聴こえない歌が聴こえたらどうする?」
「え?」
「ごめん、なんでも……」
「多分、歌にあわせてクラリネット吹くかな」
「……他の人には聴こえないんだよ。いつもそんな歌が聴こえるなんていう人、おかしいと思わない?」
歌夜ちゃんが人のことを悪く言うなんて珍しいな……。
「いつも音楽が聴こえるなんて最高だし、変な目で見られる程度と引き替えなら絶対聴こえる方がいいよ」
「…………」
歌夜は黙って星次を見詰めた。
「あの、俺、また変なこと言っちゃった?」
歌夜がその人物を快く思っていないなら、その人物を擁護するような事を言ってしまったのは失敗だっただろうか。
「別に」
歌夜はそう言って視線を逸らした。