夏3
すずしい風のふく、晩夏の夜のことである。
見慣れた気配に気づいて、私は目を開けた。
首まで髪を切り揃えた彼女が、ヒールを鳴らしながら一人で橋を渡っていた。
目にクマができ、明らかにやつれていた。
纏う雰囲気も、どこか疲れていた。
「あ、橋が新しくなってる…」
橋を中腹まで渡った時に、初めてそれに気付いたようだった。
長く使われ、踏めば軋むほど古くなった橋は、数年前に改装されていた。
赤黒く変色した木造の橋は、どこか物寂しげなコンクリートの橋に変わっていた。
「……はぁ」
先程の一言以降、無言で川を見ていた彼女が、小さく溜息をついた。
「…きっついなぁ……」
口元は緩んでいるものの、顔全体は苦しみに悶えていた。
瞳は、涙を溜めまいとしていた。
静かな時が流れる。
私は、少し息を吐いた。
「…?」
ふと、橋のそばに光が灯った。
小さな黄色く丸い光。
それが、この場所この時期では珍しい蛍であると悟る。
「…きれい」
彼女が呟く。
一匹の蛍は、暗闇の中で小さく揺れていた。
まるで、自分がここにいることを一生懸命に叫んでいるように。
自らを飲み込む闇に、飲まれまいとするように。
儚い命を、最後の一秒まで燃やし尽くそうとしているように。
それは、か細く、しかしとても強い光だった。
それを見つめていた彼女が、再び溜息を吐いた。
「…もうちょっとだけ、頑張ろうかな…」
そうこぼした彼女の顔は、苦しみに悶えるのを止め、必死にそれを抑えているようだった。
「ありがとうね、蛍さん」
そう言って、彼女はゆっくり橋を渡って行った。
苦しみと不安に満ちて震えながらも、しっかりとした足音が、遠ざかっていく。
私は、いつしか草葉の間に消えていった光に微笑んで、再び目を閉じた。




