【事件簿・3】王道、浮気調査
メルヘリア嬢からの依頼。それは、彼女の母親に対する疑惑――浮気しているのではないか? という疑念を晴らすための身辺調査だった。
「まずは情報の整理じゃ」
依頼主の男爵家の事情について紐解く。これにはシャーロッテ自身の知識が役にたつ。
ドラクリア男爵家は魔法に秀でた家系として知られていた。先々代の時代から、何人もの魔女を輩出し宮廷に送り込んでいる。
しかし、それはもはや過去の栄光だ。
現在の家長、ウィルソン・ドラクリアは魔法を使えない。婿養子としてドラクリア家に入ったが故か、彼の息子も娘も――つまり依頼主のメルヘリア嬢も――魔法を使えないという。
魔力を持たぬ代わりに、ドラクリア男爵は勇猛果敢な戦士として知られている。
意地の悪い魔法使いたちは「血が穢れ、神聖な魔力が失われたのだろう」と囁いていた。
だがそんな陰口を吹き飛ばすほど、ドラクリア男爵は豪胆な男だった。武芸に優れ、配下や王侯貴族からの信任も厚い。
数年前の北部国境防衛戦においては、数多くの武勲を立て、国王陛下から銀獅子勲章を叙勲したほどの猛者だ。今やドラクリア男爵家の特殊性は失われ、普通の旗本御家人のようなものだ。
しかし。
妻であるマーガレット夫人は、この事をどう思っているだろう。
魔法の名家としての名声は消えつつある。
ずっと陰から支えてきた妻――依頼主の娘からみれば母親が、浮気をしている……かもしれない。
俄には信じがたいだろうが、娘のメルヘリア嬢にしてみれば、表沙汰になる前に穏便に解決したい。
そう願うのは当然の流れだろう。
一夜明け、シャルたちは翌日から本格的に調査を行うことにした。
「……今日は浮気調査ですか」
メガネ少女が小首をかしげつつ尋ねた。青みがかったショートヘアが特徴の三番弟子、メルクートだ。
「他人の秘密を暴くのは少々後ろめたいがの。探偵にとって鉄板の仕事じゃ」
「……で、どうしてそれに私を?」
「ぬしが適任じゃろうて」
「……それは光栄です、シャルさま」
「アテナでは尾行には少々騒がしかろうからの」
「……確かに」
物静かなメルクートがくすりと鼻で笑う。
執務室には二番弟子のアテナを置いてきた。
あたしもいきたい! とせがまれたが「拠点防衛は大事な仕事じゃ!」という言葉にあっさりと承諾してくれた。要は留守番だがものは言いようだ。
――犯人をブチのめし、事件をスッキリ解決したい!
アテナの顔にはそう書いてあった。
事件といえば謎解きよりもハードなアクションを連想するらしい。図書館から借りている本は探偵ものだというが、偏りがあるようだ。
犯人との格闘、死闘! そんな場面に心躍らせているアテナでは、浮気調査には向かないだろう。隠密行動がメインとなる浮気調査では「やらかし」かねない。
ドラクリア男爵家のお屋敷へ向かうには、王城エリアを横切る必要がある。城を中心としたひとつの小さな町ほどのサイズがあるのだ。王城エリアの西側にある屋敷まで、徒歩での移動。
静々と歩いてゆく途中、すれ違う役人やメイドなどに会釈をしながら進んでゆく。
「とはいえ、ワシらとて意外と目立つのぅ」
傍目にはゴシックロリータ調の赤いドレスを着た人形のように愛らしい黒髪の女の子と、王立学校中等部の制服を着た少女の二人組。
社会勉強の宮廷見学か、魔女か貴族のお使いか。時おり声をかけられる。暇そうにメイドをナンパしている貴族のご子息はもちろん、馬にまたがって散歩する貴族にまで好奇の目を向けられてしまう。
「視界幻惑、身を隠す魔法を展開しましょう」
「うむ、それが良さそうじゃ」
簡易的な「目隠し」の魔法をメルクートが励起する。呪文詠唱を素早く行い、淡いヴェールのような巨大な球形のシャボン玉のような膜が包み込む。
魔法力を持つ者には効果はないが、一般人の目を欺き見えにくくする効果は十分じゃ。
「いかがでしょう、シャルさま」
「うむ、上出来じゃ。いっぱしの魔女よのう」
「お褒めに与り光栄です」
うむ、実に有能な弟子じゃ。自分が育てたことが誇らしい。
まぁシャーロッテの「目隠し」の魔法となれば、位置情報のランダム欺瞞術式に、相手の視覚情報を撹乱させる術式も混ぜるの。もはや戦闘用のレベルとなるので、初歩的なこれぐらいの魔法がちょうどいい。
「メルクートよ、浮気の調査ではお主の魔法に頼りたいのじゃ」
シャルの言葉に控えめに目を輝かせるメルクート。表情をあまり変えないが、喜んでいるらしい。
「私の、視界転移ですか?」
「左様じゃ。バカ正直に尾行や張り込みなんぞ、効率が悪かろうて」
「私は学生の身分ですから暇ではありません。親にも門限までに帰ってこいと言われていますし……」
「まったくもってそのとおりじゃ」
弟子ながら実に常識的なことを言いおる。
「何か、動物に魔法を仕込めばよろしいのですね」
浮気とは人目を忍んで夜に密会するものと相場が決まっている。
夜ならフクロウが都合が良いが昼は活動しない。
だが、依頼主のご令嬢の話では、どうも昼間が怪しいらしい。
「よって男爵家の馬がよかろう。お茶会や趣味のサークル活動を装って昼下がりに逢瀬を重ねる……ということも考えられるからの」
馬車で移動するなら必ず馬を使う。行き先が分かれば十分だ。
「なるほど、流石です。勉強になります」
「世の中のドロドロを勉強せんでもよい」
基本は張り込み、そして追跡。
現場を押さえて相手を確かめ、証拠として魔法映写を撮る必要がある。
記録のための魔法石は探偵事務所にあった。握りしめて魔力を注げば、十数秒間から一時間、自在に魔石に記録できる。つまり録画するにはその場に居合わせなくてはならない。
逢瀬が行われる時間に、少年少女探偵団がウロついていては、衛兵に補導されかねない。
そこで、メルクートの魔法を介在させる。
鳥や猫などの「視界」を借りる魔法だ。
「お主の得意とする『盗み見』の視界転移じゃが、問題は……」
「動物自体を操れるわけではないのです」
「そういうことじゃ。それと、もうひとつじゃ」
「なんですか?」
「屋敷についたら、魔力を潜めるのじゃ。夫人に悟られぬようにのぅ」
「……! わかりました」
男爵家に行くと、メルヘリア嬢が出迎えてくれた。
「よこうそ! お待ちしておりましたシャルさま」
男爵家のお屋敷は大きくて立派だった。
周囲は森のような分離帯で隔てられ、隣家とはかなり離れている。王城エリアの特別分譲地として、同じようなタイプの屋敷が何軒も並んでいる。
とはいえ、そのどれもが庶民の家を9軒ぐらい並べたように大きいのだが。
「うむ。こっちは助手のメルクートじゃ」
「よろしくおねがいいたします」
弟子は貴族に対する礼儀もわきまえている。
「こちらこそ、さぁお茶でも」
友人を装い談笑しながらお茶をいただき、男爵家をさりげなく見学する。
そしてマーガレット夫人がいるという、自慢の庭へと移動する。
途中に馬屋があったので「かわいい!」とメルクートは抜け目なく駆け寄り、馬を愛でる振りをして魔法を仕込む。
これは御者にもメルヘリア穣にも、悟られぬようにするのが肝心だ。
「まぁ、メルヘリアのご友人?」
庭はバラが咲き乱れていた。そこに問題のマーガレット夫人がいて花の香りを楽しんでいた。
友人として何の疑いも抱いていないようだ。
気さくに話しかけられたので、シャルとメルクートも優雅に応じる。
夫人の年齢は30代後半だろうか。娘と似た色合いの髪を結い上げ、大人の色香がプンプンする。それとなく観察すると、地味ながら仕立てのよい余所行きのドレスを身に着けていた。今からどこかに出掛けるのだろうか。どこかそわそわしている様子にも見えた。
「可愛いお嬢様たちね……。あら?」
マーガレット夫人は何かに気づいたようだった。
魔力を制御しても漏れだしてしまう。それを勘付かれたとすれば相当の「使い手」だ。
「お母様、いまからお出掛けですか?」
メルヘリアがうまいフォローを入れてくれた。
夫人は自然に笑みを浮かべ「えぇ、いまからお茶会に誘われているの」とだけ答えた。
ごゆっくり。そう言い残してマーガレット夫人は馬車へ乗り込むと屋敷を後にした。
「追跡はどうじゃ?」
「……ばっちりです。馬の視界って左右に広いんですね」
メルクートが目を閉じて精神を集中すると、馬の視界が目蓋の裏に映る。あくまでも受動的な魔法なので、魔法に秀でた魔女でも見破ることは難しい。
――マーガレット夫人は魔女じゃ。
隠してもワシの目は誤魔化せぬ。
さぁて、何が出るかのぅ?
<つづく>