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father  作者: 神野よしあき
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第1夜(1)

久しぶりに我が家で一晩を過ごした。4ヶ月の苦しい入院生活を終え、我が家に帰ってきた。

42歳にして、親父と同じ、脳卒中で倒れ、親父と同じ左半身麻痺になった。


もう自由に動けない。肩、腕、足が常に痺れで四六時中痛む。こんな不自由な体とこれから先何年も死ぬまで過ごすのか。。。俺の人生はもう終わったのだ。倒れた時、なぜあのまま死ななかったのか、妻と息子が悲しむので口には出せないが、偽らざる本音としては、一思いに誰かに殺して欲しい。


これは、私が退院してから2週間の期間に体験した、奇妙な出来事の記録である

パソコンを閉じて、息子が組み立ててくれた椅子から立ち上がると、鉛のように重くなった左足を引きずりながら、すぐそばの介護用ベッドまで移動する。ベッドに端座位になり、右手だけで両足に履いた靴と靴下を脱ぎ、ベッドに横になる。全く動かせない左手の位置を右手でなおし、しびれを感じながら左足を布団の中で伸ばす。ここまの動作だけで息が切れてしまうようだ。

部屋の明かりはすでに常夜灯にしており、薄暗くオレンジ色に染まった自室の天井を見上げながら、ため息を漏らす。

こんな自由が利かない体になって、一体どうやって生きていくのだろうか。息子と妻をどうやって養っていくと言うのか。仕事も病気のために解雇されたと言うのに。いっそあのまま死んでいれば、保険金も入り、家のローンも免除され、こんな不安な気持ちにも

ならず、こんなしんどい体での生活をしないで済んだのに。いや、今からでも遅く無い、脳卒中を再発させ、今度こそ息の根を止めてくれないだろうか、誰かが殺してくれても構わない。すでに私の人生は終わっているのだから、、、

特筆できる悪事を働いたことはない。仕事も人一倍熱心に取り組んできた。その結果がこの仕打ちか、、、こんな残酷な病気はない。


あまりの絶望に、入院中以来何度目かも忘れた諦めの境地に達しながらぼーっと天井を眺めていると、今日は日中色々と体を動かしていたせいか、眠気が襲ってきてくれて、目を閉じる。寝ている時だけが半身の痺れ、痛みから解放される時間だ。

やがて完全な眠りにつき、意識は喪失された。


気づくと、小さな公園の中にいた、時々あったことだが、夢の中で「これは夢だ」と認識してさらに意図した行動が行えることがあった。この日の夢の中でもそうであった。夢の中なので、暑くも寒くもない、だが、日差しが強く、なんと無く暑い日であるように感じる。夢の中では細かく手や足の動きを意識しないでも移動したりものをつかんだりできるのだが、夢と認識しながらも体を自由に動かせることは、何より嬉しく感じたことだった。このまま現実にこの体を持って帰りたいと切望するほどに。

しばらく自由な体の動きを楽しんだ後、ふと周りの景色が、見覚えある場所であることに気づく。

小さな公園の中に、これまた小さな神社があり、自分が立っている正面には公園内には似つかわしくない建物が建っている。壁には「高島町会館」の文字が書かれている。そうだ、これは自分が生まれ育った沼津市高島町の、公民館。するとここは高島公園か。

ふとそこで、違和感と若干の恐怖心が芽生えた。夢にしては、作りが精巧すぎる。公民館の前に設置されているネットも、公園内の控えめな遊具も、あまりにも現実の記憶と合致しすぎている。いつもの夢の中の曖昧さがない。根拠のない恐怖が、時間とともに膨らんでいく。時間の概念もいつも夢の中では曖昧だが、今回はやけに夢の世界で「気づいて」から数分経過しているのを感じていた。

死の恐怖ではなく、このまま夢の中から抜け出せなくなるのではないか、その時、現実の自分はどうなっているのか。寝たきりなどになったら、妻にさらに迷惑をかけてしまう。起きなくては。

こんな時、いつもは起きる事を強く念じると、目を覚ます。しかし今回はダメだ。やけにリアルな世界に留まっている。誰かに助けを求めたい。

ひょっとしたら、父親、母親なら助けてくれるかもしれない、あまりにも子供じみた発想だが、すがるような思いで、公園から近い、実家に移動を試る。

移動は難なく出来た。意図通り、公園を出て見知った道を移動し、大通りを渡り、これまた見知った店を横目に見ながら、実家に到着した。実家は2階建てで、一回部分で質屋を営んでいた。その時、また違和感を感じる。やけに家がキレイなのだ。自分の記憶では、実家はもう築50年くらいのオンボロで、家の外壁につけられた「XY質店」の看板も錆びて茶色く変色している。それが、今目の前には真っ白な看板にはっきりと読み取れる黒い字で屋号が書かれており、家の作りは記憶のとおりだが、新築とまでは行かないまでも、また新しさを感じさせる外壁や扉を備えた家が建っている。家の入り口は2つあり、少し広い道に面した入り口と、狭い道に入ってすぐのパッと見では分かりにくい入り口がある。何となくその狭い道に面した入り口から家の中に入る。「質屋に入る人は、あまり目立ちたがらないから」と、親父が入り口の両脇植えた背の高い、名前も知らぬ植物の間を抜けて、入り口の扉を手前に引いて開ける。来客を知らせる鈴の音が鳴る。家に入るとすぐ右手に受け付け口があり、そこで質草と金のやり取りをしていたのだが、受け付け口の奥から「はぁい、ちょっと待ってね」と、若い男の声がした。聞き慣れない、少なくとも親父の声ではない。夢の中では、ここにいるのは親父ではないのか、と不安な気持ちが増したが、少し間を置いてから現れた男を見て驚愕した。そこには、黒髪を生やし、年は3-40歳くらいと見える、男性が立っていたのだが、その容姿は、俺の子供の頃の記憶にある、若き日の父親そのものだったのだ。


私は2021年6月14日に、脳卒中を発症した。幸い命は取り留めたものの、左手足に強い麻痺が残り、リハビリで装具と杖を使って歩くことはなんとかできるようになったが、以前のようにまともに歩くことはできず、左手はほぼ動かせずに全廃用となった。

妻子を抱えているものの、この体では家族の生活を父親として支えられないだろうという落胆と恐怖に苛まれながら退院後の無為な日々を過ごす中で、たぶん一生叶わないであろう自分の父親との和解を求め、現実逃避と自分への慰めのために、右手一本でキーボードを叩き始めた。

いずれ死を迎える運命にありながら、なぜ自分はこのような生きづらい体になっても生きるのか、その葛藤の過程を小説という形で表した。同じ症状を抱える方、健康体であっても生きる意味を見失っている方が読者となり、少しでも人生を歩み続ける気力を高める一助になれれば幸いである。

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