虐殺されるキャラクター ~どうして彼らは無残に殺されるのか~
私が高校生のころ、行きつけの床屋に置いてあった漫画のひとつにGANTZがあった。
内容は電車にひかれて命を落とした高校生がマンションの一室に転移し、そこに置いてあった黒い球体から宇宙人狩りを命じられるという、荒唐無稽な内容だった。その時はなんとなく流し読みする程度だったのだが、数年後にバイト代をはたいて全巻を購入し、夢中になって読みふけった。
この物語は登場人物の入れ替わりが激しい。数回出ただけで退場するのは当たり前で、ひどいときは主人公以外全滅なんて回もあった。あの漫画の登場人物は本当によく死んだ。
当時の私はなぜこんなに簡単にキャラクターを殺せるのかと首を傾げた。もっとキャラクターを大切にできないのかと疑問にさえ思った。
あらゆる物語の中で、キャラクターたちは時折ぞんざいな扱いを受ける。
唐突に死んだり、意味もなく自爆したり、観客を喜ばせるために殺されたり。私は様々な創作物の中で、大した理由もなく殺されたキャラクターたちを沢山目にした。しかし、それは悪いことではない。きちんと物語の中に意味のある形で組み込まれていれば、それは決して無駄な死ではないと思うのだ。
では無駄なキャラクターの死とは何か。
それは作者の都合で殺された場合だろう。
私の脳内で起こったことについて説明する。
小説を書いていると、筆が止まる瞬間がある。主にキャラクターがしっかりと動いてくれない時だ。
よくキャラクターが脳内で勝手に動くと言う人がいるが、私はそれだったりする。無論、手綱はきちんと私が握っているのだが、彼らは自分の意思を持ったかのように動き出す。しかし、突然と動きを止めて何もしなくなるキャラクターがいる。
大抵の場合、そのキャラクターは物語にとって必要がない存在であることが多い。いてもいなくても、物語になんの影響もなく、ただ文字数を増やしてしまうだけの無駄な存在。そんなキャラを生かしておく必要はない。とっとと殺すに限る。
テキトーに理由をつけて事故死させたり、あるいは主人公を襲わせて返り討ちにさせたり、病死させたり、自殺させたり。
作品のジャンル的に死を扱うのが難しい場合は、プロットまで遡行して存在自体を抹消。あるいは、作品そのものをゴミ箱へポイ。我ながら酷いと思う。
私は自分の小説に必要ないという、ただそれだけの理由で、多くのキャラクターを死に追いやってきた。これは小説家になろうに公開している作品とは別に、今まで書き上げてきた何処にも公開できないような内容の黒歴史の作品の中でのことである。
誰にも読まれることのないその作品の中で、多くのキャラクターが命を落とした。その運命を決定づけたのはほかならぬこの私である。
たくさんのキャラクターを一度に動かすことは大変に難しい。ましてや、物語として成立させるために、彼らの行動を調整して整合性を取り、調和を保つのは至難の業である。
逆に登場人物の数が限られていれば、その手間は省ける。キャラクターの数が減れば減るほど、作品を成立させる労力は減るのである。
もちろん、先ほど挙げたGANTZの作者が、面倒だからという理由でキャラクターを殺したとは思わない。私はあの作品の作者について何も知らないので、この場で語ることはできない。
しかしながら、私自身については話すことができる。私は面倒だからというただそれだけの理由で、多くのキャラクターを虐殺した。そのことについては何の嘘偽りもなく、真実であると告白しよう。
かつて私は、キャラクターをぞんざいに扱う物語の作者に不満を抱いていた。しかし、自らが小説を書く身になって、その不満があまりに傲慢で理不尽であることに気づく。
物語を成立させるには、せっかく作ったキャラクターを自らの手で抹消しなければならない時が来る。作品の中に登場できるのはまだいい方だ。文章に起こした段階……いや、プロットを作成したり、構想を練る段階で、多くのキャラクターが私の脳内で死に追いやられた。
一つの作品を作り上げるには、多くのキャラを死地に追いやらねばならない。創作をする者としては、避けては通れない道なのかもしれない。