エルチェカ・ベル・レイムーン公爵令嬢について②ヒールをやめたい
3日間うなされ続けて目を覚ますと、私の中には三回分の人生の記憶が混在していた。一度目のエルチェカの記憶と、転生した佐藤綾の記憶、そして現在の自分の記憶である。
私はシルクのシーツに手をついて、ベッドから半身を起こした。自分の手があまりに小さくてびっくりする。4歳の子どもの手って、こんなに小さいんだ。
ベッドの横を見ると、母のシャーロットが椅子に座って眠っていた。いつも華美に着飾っている母にしては珍しく、質素な服に身を包み、疲れた顔をしている。起こさないようにしよう。
私は、室内からベランダに続く大きな窓に目を向けた。朝日が室内を照らしている。窓ガラス越しに朝の光をぼーっと眺めながら、私は1度目のエルチェカについて思いを馳せた。
あんなにも、わがまま勝手な令嬢に育った理由はなんだろう。佐藤綾として生きた記憶があるから、余計に考えてしまう。
エルチェカは恵まれた環境に生まれた。
公爵令嬢という高貴な身分、豪華な邸宅、何でも言うことを聞いてくれる両親、一定の水準以上の容姿。
しかしその認識が、実は大きな間違いであることを、今の私は悟ってしまった。
2回分の前世の記憶がある状態で、4歳までの自分を振り返ると、私は本当にわがままな子どもだった。自分がわがままだなんて、記憶が戻る前は思ってもみなかった。ミラから婚約破棄された時に『君のわがままにはうんざりしていた』と言われたことも、今なら納得できる。齢4歳にして、私はすでに悪役令嬢として完成しつつあった。
両親は私のわがままをなんでも聞いてくれたし、母であるシャーロットは、私が贅沢をすることを当然だと考えていた。母自身が、高飛車なお嬢様だった。
私は母の肩にかかっているブランケットを見た。呼吸に合わせて上下に揺れている。おそらく父のレオナルドが、母が寝静まった時を狙って、こっそりかけたに違いない。母はそのくらいプライドが高く、素直じゃないのだ。母の寝顔を眺めていると、金色のまつ毛がかすかに動いた。
「エルチェカ・・・?気がついたの?」
母のシャーロットは目を覚ますと、弾けるように立ち上がり、私をきつく抱きしめた。母の暖かさと優しい香りが私の身体を包む。しかし母の身体はかすかに震えていた。
「母様・・・。心配かけてごめんなさい」
母はわがままな女性で、悪役のエルチェカそっくりで。でも、私を愛してくれたことは、間違いがない事実だった。
自分の小さな手で母を抱きしめ返すと、母の身体に力が入り、さらにすすり泣く声が強くなった。
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前世の記憶を取り戻してからしばらくの間は、さすがの私も放心した状態になっていた。やがて、そんなことをしている場合ではないと気がついた。
現状整理をしてみよう。
今の私は、この世界がゲームであることを知っている。
今の私は、これから起こる未来を知っている。
今の私も、ミラと婚約した。
記憶が戻ったこと以外、現状は一度目のエルチェカの時とほぼ同じである。
つまりこのままでは、また断罪される。
結論。
今持っている知識を総動員して、この世界を完全掌握しなくては!!!
家族の心配をよそに、私はがむしゃらに作戦を練った。まずは、今持っている記憶をすべてノートに書き記し、忘れないようにした。もはやそれは、予言の書と銘打っていいような代物になり、マル秘ノートとして自宅の図書室に隠した。
自宅に図書室があるなんて、普通だったら戸惑う。そして佐藤綾としての記憶がある私は、その感性を持っている。うん、良い傾向だ。庶民的感性を持っていることで、自分の立場を客観的に分析できる。謙虚な姿勢を心がけていれば、私のわがままな令嬢というイメージは払拭されていくはずだ。
日頃の傍若無人な振る舞いゆえに、私がわがままな令嬢であることは、もはや貴族社会では知れ渡っていた。このままでは、シナリオが進んだ時に、何かのきっかけで罪をでっち上げられる可能性がある。
まずはイメージアップ、私が人徳者であるという共通認識を持ってもらうことが必要だ。
私は記憶が戻ってから、迷惑をかけてきた使用人一人一人にきちんと謝った。・・・悪役令嬢の血が騒いで、上手に謝れなかったときもあったが、気持ちは受け取ってもらえたようだった。それからは、些細なことでもお礼を言ったり、にこやかに挨拶をして、いい人アピールをしている。まだ4歳という身空には、このような地道なことが大切だった。
私が考えた計画の最終目標は、ヒールの役目を避けることである。強制退場、馬車の転落は避けたい。
そのための絶対条件は、ヒロインであるソフィと関わりを持たいないこと。
ヒロインの恋路を邪魔することがヒールの役目だ。その役目から降りることができれば、シナリオは変わっていくはずである。なので願わくば、ミラとは円満に婚約解消を目指したい。
しかし、貴族同士の婚約を容易に破棄することはできない。両親の承諾もいる。すでに婚約が結ばれてしまった今となっては、これは機が熟すのを待つしかないだろう。下手に婚約解消を強行して、ミラの一族、いわゆる王族から恨みでも買うことになれば、違う破滅ルートが開く可能性がある。一族路頭に迷うだなんて最悪だ。この世界で王族というのは、それだけ絶対的な存在である。
まあ最悪、ソフィと恋仲になったミラから、婚約破棄を優しく言い渡されるパターンでもいいだろう。
ソフィと出会うきっかけになる、王立オリオン学園に私が入学しないという方法が取れれば一番いいのだが、この世界では、貴族の子どもと魔法が使える人間は、オリオン学園に入学させられる運命だ。平民だが魔力があるヒロインが、オリオン学園に入学することになる理由でもある。私は貴族であり、魔力もある。ゲームの舞台であるオリオン学園に入学させられることは避けられない。
このままでは危険な橋を渡っていくしかないことは確かだ。ゲームの強制力がどのように働くかもわからない。そこで、最悪の事態になった時を想定して、私は予防線を張っておくことにした。
私が考えた予防線は、3つ。
ひとつ、いつでも自力で逃げ出すことができるように、自分のスキルを上げる。
ふたつ、私をいざというときに助けてくれる、盟友を見つける。
みっつ、断罪されたときに守ってくれる権力者を味方につける。
この3つが、私の短期目標になった。
「そうは言っても、どうやって実現したらいいのよ・・・」
私はマル秘ノートをめくりながら、片肘をついてぼやいた。
実はみっつ目に挙げた、味方につける有力者については、明確な人物が決まっている。
簡単な話だ。私を断罪するミラスター第二王子を凌ぐ権力者は限られる。王族の決定を覆すことができるほどの力を持つ存在。それは現国王と、次期国王に決まっている。
ミラには年の離れた兄ーーー第一王子のルーカディウス王太子殿下がいる。私とミラの10歳年上であるルーカディウスは、ゲームスタート時点で、次期国王という立場を確立していた。ミラが恋に狂って私を断罪しようとしても、次期国王である彼が介入してくれれば、多少の抑止力にはなるはずだ。悪天候の中の強制追放から、行き場所と出発日くらいは自分の意見を言わせてもらえるかもしれない。
ちなみに現国王を味方につける方法もあるわけだが、4歳の私が国王を攻略するのはさすがに荷が重い。
実は、私の母と国王は幼馴染という関係である。先王と母の父が友人同士であり、母は幼少期によく宮廷で遊んでいたのだとか。ミラとわたしの婚約は、おそらくその繋がりで実現したと推察される。確かに私は、他の貴族のご令嬢よりは、国王に目をかけてもらっていたように思う。
しかしそれでも、一度目のエルチェカを国王は助けてくれなかった。今回も黙認される可能性がある。そうなると新しい可能性にかける方が得策だろう。
味方につける相手は明確に決まっているが、いざ繋がりを持つのは難しい。それはだって、王族だから。味方につけることに決めたのと同じ理由で、攻略が難しくなるというジレンマ。
私はため息をついた。
ふたつめの目標であるプライベート護衛については前途多難だ。
自分の半身として信頼をおくことになる、この盟友の選定は、かなり慎重に行わなければいけない。
絶対に私を裏切らない保証がある人。
私の命令に忠実で、護衛の役目を果たせるほど優秀で、必要時に私を連れて逃げる決断ができる、しがらみのない人物。そして絶対的な条件は、ソフィの攻略対象ではなく、ヒロインに好意を持たないキャラクターであることだ。これが本当に本当に難しい。
一度目のエルチェカのときの記憶を冷静に分析すると、学園の全男生徒がヒロイン・ソフィに恋をしていたと言っても過言ではなかった。つまり、学園に入学するような貴族・魔力保持者は対象外になってしまう。当然であるが、私の人生はゲーム攻略対象と深く関わるように構築されている。
そして困ったことに、優秀な人材は、たいていがゲームの主要キャラクターなのだ。