エマ・リリ・トランスハウンド公爵令嬢について①攻略対象の婚約者
アルバートの依頼は断るとノアを押し切った翌日。結局、問題は何も解決していないことがわかった。やはりシナリオ補正を疑うしかない展開だ。
その理由は…
「エルチェカ様・・・。噂のAクラスの彼女にヴィル様はお心を砕いてらっしゃるみたいで。もちろん、人の心を自分の好きなように扱かうことなんてできませんし、ヴィル様のことを本当に思うのであれば、幸せを願って身を引くべきです。でも、わたし、もう本当につらくて。どうしたらいいのか。わたし、こんなに醜い自分が嫌で」
カナリアの会の部室でソファに座り、ポロポロと涙を流している、私の友人---エマ・リリ・トランスハウンド公爵令嬢は、小動物のような可憐な頬に大粒の涙を流していた。
こ、これは・・・。
同性であっても、相当な破壊力だ。私はオロオロとして、エマの隣に腰掛けた。背中をさすって、ハンカチで彼女の頬を拭う。彼女は小さな鼻をすすりながら、大きな瞳で私を見つめかえした。
「エマ様、そのように悲観的になることはありませんわ。ヴィル様はエマ様のことをとても大切にしていらっしゃいますもの。きっと何かの間違いですわ」
「いいえ、そんなことはないのです」
エマにしては珍しく、かなりキッパリと言い切った。
「わたし、知っているのです。ヴィル様がAクラスで、彼女と共に行動をしていること」
「それはクラスメイトとして当然のことですわ」
「それだけではないのです。放課後に一緒にどこかにお出かけになられたり、お休みの日もお約束をしてらっしゃるようで・・・。さらには・・・、ほかにも・・・」
エマの大きな瞳に、また涙がじわじわと溜まりだした。私は慌てて彼女の背中をさすった。ポロリと涙が流れる。
「わたしとの約束も反故にして、彼女とランチをご一緒にされているのです」
彼女はそう言って、さめざめと泣き出してしまった。
私も流石に言葉に詰まる。
ヴィルモア・ゲンタ・クラリエンス。現宰相であるクラリエンス伯爵の息子である。
エマとヴィルは婚約者同士だ。彼も攻略対象の一人だが、エマとヴィルの関係は良好で、お互いに友人として思い合っている仲だと思っていた。ゲームのシナリオでも、二人は円満に別れていた。
私は人を見る目に自信がある。一度目の人生で悪女として名を馳せたのは、人の感情を的確に捉えることが得意だったからだ。人が嫌がることがなんなのか、的確に分かるのだ。その私が見る限り、ヴィルはかなりエマのことを気に入っていた。その彼が、ランチの約束を破ってまで、ヒロインのソフィと過ごしたというのはかなり驚きである。
私はさめざめと泣いている友人を見た。彼女は目をギュッと閉じて、しゃくりあげながら大粒の涙をこぼしている。ここまで思われているのに、ヴィルがエマを裏切ったことに純粋な怒りを感じた。それと同時に、思い合っていた二人を引き裂くほどの、強力なゲームの強制力に、背筋が寒くなる。
「エルチェカ様」
涙が止まらないまま、エマが心を決めたように顔をあげた。
「わたし、真実が知りたいのです。ヴィル様の本当のお心が。ですから・・・」
嫌な予感がした。
「エマ様、ちょっとお待ちに・・・」
「ソフィ様とヴィル様の関係についてどうか調べてください。これは大切な友人へのお願いですが、カナリアの会への依頼として、考えていただいてかまいませんわ」
「あの、エマ様、それは、そのちょっと・・・」
「もちろん、辛い結果になる可能性も承知しています。でも、辛い状況のときこそ、真実が慰めになる時がある。そう以前エルチェカ様はおっしゃっていましたわ」
「そそそ、そうね。そんなことを言ったこともあったかもしれないかもしれないわ」
私はあからさまに目を泳がせた。
この依頼、正直なところ、受けてあげたい。ソフィに関係のないことであれば、間違いなく二つ返事で受けていた。
いやむしろ、エマが言う前に、自分から真実の探求を申し出たかもしれない。エマは私にとって、それくらい大切な友人だった。
ヒールとして生を受けた私にとってエマは、一度目のエルチェカの時には得られなかった、貴重で純真な友人だ。
しかし、このルートは・・・破滅へのレールとしか思えない。
「エルチェカ様、この件、何か不都合なお願いだったでしょうか?」
「いえ、まあ、なんというか・・・」
「まさか、ミラ様とソフィ様の件でエルチェカ様もお心を痛めて・・・」
「いいえ!そんなことは全くありません」
思わず大きな声になってしまった。
「それでは・・・。何か障害になることがあればおっしゃってください。できる限り譲歩いたします。もちろん、お礼も存分にさせていただきますわ。カナリアを一羽以上でも構いません」
「エマ様、そういうことではなくてですね・・・」
「わたしが叶えることのできないことであれば、父にわたしから話を通すこともいといません」
ぐぬぬ・・・。
その申し出は、完全攻略を目指す私には願ってもないものだった。エマの父は公爵だ。味方につければ心強いこと、この上ない。
しかしソフィのことが絡むと、ここでうんとは簡単に言えないのだ。
しかし、苦しんでいる友人からの頼み。受けたい気持ちがあることも確かだ。ここで保身に走って、自分は後悔しないのか。
エマが私の方に身を乗り出して、手をぎゅっと握ってきた。彼女の手は涙に濡れて冷たかった。
「エルチェカ様。どうか、どうか、お願いいたします」
「・・・」
「わたしが真実を知るために、お力添えください」
「・・・」
「エルチェカ様」
「・・・ください」
「?」
「どうか・・・一日、考える時間をください」
苦し紛れの発言だった。
そして翌日、私は自分の無力さを叩きつけられることになる。