アルバート・ミナについて②伯爵家
”本人が希望しないのに、その人のプライベートを暴くなんてことはできません”
そんな詭弁を述べて、私はアルバートの依頼を断った。押し問答の末、アルバートは今日は帰ってくれた。さすがは誇り高い騎士の家系。去り際も実に風格があった。
私は窓から外を眺めていた。夕暮れ時の儚い雰囲気が漂っている。
カナリアの会の部室は、オリオン学園の中で東側にある庭園の近くに位置している。
この学園には5つの庭園があり、ヒロインであるソフィはそれぞれの庭園で、攻略対象と運命的な出会いや情熱的な逢瀬を重ねていくことになる。乙女ゲームのタイトル『ソフィと秘密の花園』の由来である。
窓から遠くを見ると、東の庭園の奥に、中央の庭園が小さく見える。
『この件を断るのは、ミラスターのことが関係しているのか?』
去り際のアルバートの言葉が思い起こされる。
中央の庭園で出会う攻略対象は、ミラスター・ソレイユ・ヴェルチェ・コーラル。ここ、コーラル王国の第二王子である。
そして、私の現・婚約者であり、ゆくゆくは家族となる人間。さらには一度目のエルチェカの初恋の相手であり、最後には私を断罪した張本人。私の最大の要注意人物だった。
記憶が戻った4歳の時から、万全を尽くして、予防線を張って生きてきた。入学してからは、ソフィと関わらないように、注意深く生活してきた。
それがまさか、こんな風に強制的にヒロインと関わらせようしてくるなんて・・・。噂に聞く、ヒロインを輝かせるために、シナリオが強制される現象、いわゆるシナリオ補正、ご都合展開、ヒールの運命…。
「エル、考え過ぎた」
ノアの声が私の思考を中断させる。
「・・・私が何を考えているかなんて、分からないでしょ」
「例のゲームのことだろう」
言い当てられて、私はムスッと黙り込む。
「君はいつもそればかりだからな」
全てお見通しだ、とでも言いたげに、ノアは気怠げにソファに座った。背もたれに腕をかけて、制服のボタンを緩める。こういう少し崩れたスタイルの方が本来の彼らしい。
「だって今まで、ゲーム攻略のために、私は前世の知識を使って、万全な対策をしてきたのよ!
テストではAクラスにならないように平均点数を取ったし、授業が被らないようにするために、彼女の履修科目を事前に調べて回避した。それなのに、こんな反則技で…」
ギリリと歯を噛み締める。
「別に反則技でもないだろう。こうなることは、カナリアの会を立ち上げた時に想定できた。アルバートがこの学園の生徒である以上、俺たちに依頼をする正当な権利を持っている。カナリアの会は、"そういう"部活だからな」
そんなこと・・・。だって、仕方ないじゃないか。カナリアの会を立ち上げたときは、まさかゲームの攻略対象が直接依頼にくるなんて、全く想定していなかった。
「だから俺は反対したんだ。たいして利益もなく、面倒ごとばかりのこんなクラブ」
「ノアはわかってないわ。これは人脈作り。このクラブを通して借りを作っておけば、私がまた断罪されるようなことになっても、誰かに助けを求められるじゃない」
「このクラブは目立つ。注目を集めることは、俺たちの計画にとっては危険だ」
「それは・・・。確かにそうね。思ったよりも評判が広まって、依頼をしてくる人が増えたわ。評判が広まるのはいいのだけれど…」
アルバートが来たことは想定外。
「私はヒールなのよ。悪役令嬢にヒーローが頭を下げるなんてこと、誰がすると思うのよ?」
「だから、アルバートだろ。それから、ソフィもここに来るかもな」
私は息をのんだ。なんて縁起の悪いことを言うのだ。
「ノアってたまに、私の味方なのか、疑いたくなる時があるわ」
ソフィに依頼をされたら心底面倒だ。痛いところをついてくる。
ノアが肩をすくめた。
「俺は君の味方だろ。いつも」
言葉を切ると、ノアが深いブルーの瞳で私を見つめる。真摯なその瞳に私は少したじろいだ。
ノアには、私の前世の記憶について話してある。2回分の前世の知識があること、この世界がゲームであること、そして私は悪役令嬢として破滅する運命にあり、その運命を防ぎたいこと。
普通に考えれば明らかに頭のおかしい女の妄言だが、ノアはそれを全て信じて、私を支えてくれている。とある盟約に従って。正しく、私の半身と言っていい存在だ。
「アルバートの依頼を受ける道もある。断る方が不自然に見えるだろ」
「そんなの、自殺行為だわ。さっき言った通り、ヒロインとの接点は無い方がいい。私が彼女に関わっている、という事実だけで十分、危険だもの」
「展開はもう変わった。結局、アルバートにミラのことを勘繰られているだろ。依頼を断ったのは、自分の婚約者と親しいヒロインに嫉妬しているからだと、思われても仕方ない。むしろ、エルが嫌がらせの黒幕だと思われた可能性もある」
「そ、そんなの…」
確かに今思えば、そう思われる可能性はある。
やはりノアは痛いところを突いてくる。
「今からでも依頼を受けろ。敵について調べるのは戦の鉄則だ」
「でも・・・。だ、だから・・・。その方向はなしよ。危険だもの」
「なぜそんなに頑なになる。まさか…」
ノアがソファから立ち上がった。
ゆっくりと近くに来て、私を囲うように壁に手をついた。
昔は同じくらいの身長だったはずの彼は、今では私を見下ろすくらいの長身になっていた。
「本当にミラとあの女のこと、嫉妬しているのか?」
「何、バカなこと言って…」
私は下からノアを見上げた。彼の黒髪が重力に従って私の方に落ちている。深いブルーの瞳が、より暗くなっていた。
「ミラのことはもちろん気になるわ。でも、その理由は、あなたなら十分知っているでしょ。それに、私がミラに心を許すことがないことも分かっているはず」
「さあ、どうかな。人の心は移ろいやすい」
私は眉をひそめた。ノアは少し機嫌が悪いみたいだ。
どうして男性って、突然不機嫌になったりするのだろう。ちょっとうんざりしつつ考える。
ノアが私をよく知るように、私もノアをよく知っている。そう、実は私には、こういう時の必勝法があるのだ。
少し得意になった私は、ふふんと笑って、ノアの首筋に腕を回した。驚いた彼の表情を確認しつつ、そのまま彼の頬にキスをする。
機嫌が悪い時のノアには、大抵こういうスキンシップが有効だ。
「・・・!」
ただ触れるだけのキスで離れると、びっくりした表情のノアがいた。
相手のことを知っているのは、あなただけじゃないのよ。
そう思って、親しみを込めて彼に笑いかけたのだが、ノアは悪態をつきながら部屋を出て行ってしまった。
解せぬ。