アルバート・ミナについて①攻略対象
”カナリアの会”が何かと言えば、読書クラブである。
本好きな人間が、同じ空間で活字を愛でたり、その感想を熱く語り合い、友情を深めるクラブ活動だ。
・・・表向きは。
その実態は、雅な家柄の若き貴族の、あるいは悩める思春期の少年少女の、相談役である。
現代風にいうとフィクサーと自称している。
もちろん、なんでも解決してあげることはできないが、私にはこのゲームの知識がある。ゲーム、すなわちこの世界の設定について熟知しているということは、言い換えれば、一種の全智を得ているということだ。さらには現代社会の知識・思想も持っている。そんな私にとって、飛び込んでくる相談はたいていが容易なものだった。
そうしてカナリアの会は私の入学後、徐々に名を上げていった。
しかし、今日の相談者は・・・。
私の計画に影を落す、要注意人物の一人だった。
「アルバート・ミナ様、本日はどのようなご用向で」
「・・・なにか、都合が悪いときに来てしまったか」
ミナ伯爵家の嫡男であるアルバートは表情を変えずに淡々と答えた。私が警戒心を含んだ口調だったことにすぐ気がついたようだ。
ミナ伯爵家は歴代優秀な騎士を輩出する名門貴族で、国王の覚えもめでたい一族だ。
アルバートはその姿形がまさに、ミナ伯爵家を表しているような、無骨な体格をしている。身長は200センチはあるのでは、と思うよう巨躯であるし、武人らしい硬いこげ茶の髪を綺麗に短く切りそろえている。ブラウンの切れ長の瞳は鋭く、周囲を威圧したり、従える素質を持っている。
・・・しかし。そんなことは。彼がいかに魅力的かは。
私、エルチェカ・ベル・レイムーンには、まっっったく関係がないのである!
私にとって重要なことは、今回の人生を安全かつ幸せに終えること。
アルバートが危険な理由は『ソフィと秘密の花園』の世界で、彼は攻略対象キャラクターだからである。私を断罪する可能性を秘めている人物だ。
ゆえに、アルバートという人間がいかに魅力的であっても、関わり合うことは避けるべきであるし、何よりも危険なのだ。
しかしもうすでに、彼がカナリアの会の部室ーーーという名の豪華な学園の一室を、訪ねて来てしまったからには、これは対処しないわけにはいかない。無難に対応して、穏便に断って、事なきを得て帰っていただくしかない。
「エル」
静かな低い声が私を呼んだ。わたしは声の主であるノアを見上げる。
ノアは私が信頼する幼馴染ーーそして大切な盟友である。
黒髪に深い海を思わせるブルーの瞳を持つノアは、場を落ち着かせる不思議な雰囲気を持っている。
「アルバート様はお忙しい。いくらこちらの準備が整っていなくても、最善のおもてなしをするべきだろう」
ノアが長い指でそっとテーブルの上に紅茶をおいた。
アルバートと私の前に置かれたカップから、カモミールのほっとする香りが部屋に広がる。
カナリアの会で相談を受けるときは、青いアネモネが描かれた、この豪奢なテーブルを囲んで、話を聞くことが通例だった。
「ノア、その通りね。
アルバート様、紅茶をどうぞ。ノアはこう見えて、紅茶を淹れるのがとても上手なのです」
「へえ、君が夜闇の豹、ルキ一族のご子息なのか。一度、会ってみたいと思っていた」
「うちはもとはただの平民です。一代限りの子爵家ですから。俺はアルバート様から、そのようなことを言っていただくような立場ではありません」
「謙遜だな。ブラッドからもノアとエル嬢のことは聞いている。褒めていたぞ」
ノアはアルバートの言葉を受け止めると一礼だけして、私の隣に腰掛けた。ノアの体重でソファが半分沈む。私はアルバートに向き直った。
「ブラッド兄さんから、私達のことを聞いて、本日はいらしてくださったのですか?」
「まあ、この部活は最近よく噂になっている。ブラッドの家族であるエル嬢であれば、俺も信頼できる」
盲点だった。私の兄であるブラッドはアルバートと同じ3学年に属している。武人であるアルバートと頭脳派のブラッドが親しい関係なのは意外に思えた。
それに、あのドライな兄が、私やノアのことを周囲に話していることにも単純に驚いた。
これは少し計画に修正が必要になるかもしれない。考慮していかなくては。
ちなみに、兄であるブラッドもゲームの攻略対象である。身内にも敵がいるという鬼畜設定だ。
「今日、ここに来たのは君たちにお願いしたいことがあるからだ」
「ここに来る方は皆様そうですわ。どうぞ、お聞かせください。プライバシーは厳守しています。口外も致しません」
私はノアが淹れてくれたカモミールのはいったカップを手にとった。口に運ぶ。
「ソフィ・スノーホーンのことを調べてもらいたい」
「・・・・・・」
私は口にカップをつけたまま停止した。
ノアが静かに私を見ている。
私は心を落ち着けてからカップを離し、太ももの上に手を添えて置いた。
「ソフィ・スノーホーン・・・?」
地獄の底から響くような声だった。もちろん、自分の声である。
「どなたですか、そのソフィ様というのは」
「エル嬢とは同じ学年だが、知らないのか?学園の中でもかなり目立つ存在だと思うが」
「私は存じておりません」
もちろん知っている。ソフィはこのゲームのヒロインだ。一度目の人生の時に散々嫌がらせをして、返り討ちにあった相手である。
「そうか・・・。彼女は、平民の出ではあるのだが、その強力な魔術量から聖女の生まれ変わりとも言われている。さらには勉学も優秀で、今年のAクラスにも選抜された」
Aクラスとは、王族・優秀な魔術士・勉学優秀者が属するクラスのことだ。つまりはエリート集団である。学年を超えて籍を置くことになっている。
「そうでしたか。私はAクラスではありませんので、お恥ずかしながら知りませんでした」
手の中のカップに意識を向ける。温かい。カップに掘られたバラの模様をなぞりながら気持ちを落ち着けて、再度口に運んだ。カモミールはリラックス効果がある。
「その方を調べてもらいたいとは、どういった目的なのでしょうか」
「ソフィは他生徒から悪質な嫌がらせを受けている可能性がある。特に女生徒」
「なぜ」
「本人は口にしないが、平民という出自が関係しているようだ。位のない身分にも関わらず、Aクラスに属して、身分ある生徒と繋がりを持とうとしていると、誹謗中傷を受けている。時には直接的な害も受けているようだ」
「女生徒、と限定されたことにご理由はありますの?」
「それは・・・」
アルバートが言葉を濁した。私はまばたきをして、アルバートをよく観察した。ここからが一番大切なところだ。
「ソフィは・・・。なんというか、容姿端麗だ。それに平民だったときの癖で、歯に衣着せぬ物言いや率直な言動がかなり目を引く。
貴族からすれば平民と親しくする機会は少ないし、知りたいことも多い。学生生活でしか経験し得ないこともある。
Aクラスは男子生徒が多い。その・・・将来を決められた相手のいる者がほとんどだ。だから、他クラスにいる婚約者からは、いい感情を向けられないようだ。
しかしそれはソフィに責任があるわけでは・・・」
「掌握しましたわ」
私の独り言に、アルバートが口を閉じた。私は顔を上げて、満面の笑顔を見せる。
現在も、ゲームはシナリオ通り進んでいるようだ。
「・・・エル嬢?」
「アルバート様がそんなふうに、一度にたくさんお話されるところを、初めて見ましたわ。彼女をとても大切に思っていらっしゃいますのね」
「・・・いや、これはそういうことではない」
「そういうこととは?」
「俺が個人で動いていることではないということだ」
それはまさか・・・。
「このご依頼には、お兄様も噛んでいますの?」
アルバートがうなずいた。私は思わず空を見上げそうになるのをこらえた。
「この依頼については、俺とブラッド、それからAクラスに属する大半の生徒、属さない生徒も何人か・・・。複数人からの依頼だと思ってもらいたい」
「つまりは、今回のご依頼は、代表として来たということにすぎない、と」
そうだ、とアルバートがうなずく。私は冷えた目をアルバートに向けた。
個人的な感情がないのに、こんな面倒事の代表を務めるなんてありえない。
「アルバート様は、カナリアの会のルールについて、知っていらっしゃいますか?」
「噂程度には聞いている。相談をすれば、問題を解決、もしくは解決策を教えてもらえる。解決した暁には、カナリアの会の部員になる。・・・そして」
アルバートの声にやや緊張感が漂う。
「記念品を贈られる、と」
「そんな大層なものではありませんわ」
私は落ち着き払った声で答えた。
ノアは無言で立ち上がり、部屋の隅に置かれているアンティーク調の白い棚から小さな木箱を取り出した。ソファまで戻ってきた彼が、手のひらサイズの箱を開けると切り出したばかりの木の香りが漂った。小さな木箱の中には木彫のカナリアが入っている。上質な青色のクッションの上に置かれた、親指サイズほどのカナリアだ。鮮やかな黄色で彩られていた。
「カナリアの会は、できたばかりのクラブです。ご相談いただいた方には、クラブの繁栄にお力添えをただきたいと思っています。具体的に何を、とは申しません。ただ、カナリアの会の会員として、たまに助けていただきたい、というだけなのです」
「・・・借り、ということか」
「そのように大仰にとらえないでいただきたいですわ。こちらからのお願い事に、強制力はありません。無理なお願いをする気もありませんし、断っていただくことも可能です」
「それでは、今回はそのカナリアと引き換えに依頼を受けてくれるのか?」
私はにっこりと笑った。