第42話 異世界定食、始めました 2
「なん……だ、これぇ……」
歩実は眼前の光景に腰を抜かす。
「どうしたんですか、お姉さん」
「……へ?」
歩実の背後で、碧眼の美少年がゆっくりと小首をかしげる。
サファイアのように透き通った美しい瞳が、歩実を射抜く。
「えっと……ここは……」
「……? お姉さんがここを選んで出店したんではないんですか?」
「いや、もっと落ち着いたところだったんだけど……」
キツネにつままれたかのように、歩実はパクパクと口を動かす。
「だ、だってあれ!」
ボゥッ、と口から火を吹く男、明らかに公序良俗に違反していると思しき、半裸の女、見たことのない石畳の地面、そして何より、目に入る人の中に、いつものように見慣れた黒髪のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、ほとんど見当たらない。
「ここはサクラメリアのウェイン地区一番街、この世界でも最も活気のある街の、最も活気のある場所、違いますか?」
何を言っているんだ、とでも言いたげな顔で少年は歩実を見る。
「種族、国籍、階級を問わない自由な街、それがサクラメリアじゃあありませんか? 人も亜人も、魔族も精霊もが一緒になって暮らす、ただただ自由で、何物にも縛られないのが、このサクラメリアじゃあありませんか?」
少年は解説するように、歩実に話す。
「僕はこの国が好きなんですよ……」
少年は寂しさと嬉しさとがない交ぜになったような表情で、街を眺めた。
「あ……あわわわわわわわ」
歩実は腰を抜かしたまま、四足歩行で家の中に戻る。
「あ、すみません、勝手に開けたりして」
少年は扉を閉めた。
「……」
歩実は放心したまま、少年を見ていた。
「お姉さん……?」
歩実は床にぺたんと座り込み、少年を見る。
「……よし! 夢! 夢に違いない!」
歩実は頬を叩き、気合を入れなおした。
すくっ、と立ち上がる。
「あの、ご飯……」
少年はお腹をさする。
「あ、あぁ……」
歩実は厨房に立った。
とにもかくにも、今目の前にいる少年に集中しなければいけない。
お客さんを前にしてぼうっと突っ立っている場合ではない。
厳密には、お客様ではないのだけれども。
「そうだね、うん……。でもね、坊や」
「アルミと言います」
「あ……あ~、アルミくん。もうお姉さんこのお店閉めちゃったんだ。毎日毎日赤字で続けてたら、もう続けられなくなってね。おばあちゃんからもらった、大切な……本当に大切なお店だったんだけど……」
「止めちゃったんですか?」
「うん……」
少年は寂莫とした表情で、うつむいた。
「……」
そんな少年を見て、歩実は自分で自分の頬を叩いた。
お客様を前にして、いや、小さな少年を前にして、何を自分は気の抜けたことを言っているんだ。
お店をやっているとかやっていないは、今目の前で困った顔をしている少年には、何も関係ないじゃないか。
しっかりしろ、歩実、と歩実は自分を叱咤する。
「いや、よし! うん、大丈夫! いいよ、ご飯作ったげる!」
「本当ですか!?」
哀しげにうつむくアルミを見て、歩実は心底可哀想に思った。
何のことはない、小さな少年に簡単な手料理を振る舞うだけなのだ。
そんな歩実のお人好しな性格が災いして、商売も繁盛しなかった。
歩実は商売をするには、あまりにも性根が美しすぎた。
人間社会の商売はあまりにも汚れすぎていて、歩実には少しばかり、刺激が強すぎた。
「じゃあ少しですが、これ……」
アルミは硬貨を一枚、置いた。
「いやいや、簡単なものだから、そんなお代なんて大丈夫!」
「で、でも……」
アルミは銀貨を手渡す。
「これは~……」
銀色に光る、見たことのない硬貨だった。
誰かも分からない男が、硬貨に刻印されている。
「足りますか?」
アルミがおずおずと尋ねる。
「う、うん、お姉さんその気持ちが嬉しいな! じゃあ、これもらってもいいかな?」
「はい!」
アルミは笑顔でそう言った。
見たことのない硬貨だった。きっと、子供用のおもちゃのコインか何かなのだろう、と歩実は解釈した。
おもちゃのコインでもなんでも、ただ何かを払おう、という少年の心遣いが、嬉しかった。
歩実は早速、厨房へ向かった。
「でも、仕入れてないからなぁ~……」
料亭を辞めてすっかり空っぽになった冷蔵庫を、歩実は眺める。
料亭を辞めてからというもの、自堕落な生活を続けてきたため、ほとんどまともな食料すら入っていない。仕入れも止め、もはや一般家庭の冷蔵庫よりも食材が少なかった。
「……よし、簡単なのでいっか!」
やはり料理に抵抗があったからか。
歩実は意図的に料理を避けるようにして、レシピを考えていた。
野沢菜、鮭、ゴマ、冷やご飯、そしてお茶漬けの素。
ひどくシンプルな、子供の腹の足しになるかも分からないようなもので、歩実はお茶漬けを作った。
「はい、お待たせいたしました~」
人に料理を出そうとすると、どうしても昔の癖が出てしまう。
「鮭茶漬けで~す」
「わあぁ~……」
えへへ、と歩実は舌を出した。
「ごめんね、テルミ君、こんな簡単なもので」
「全然! すごい良い匂いです!」
テルミは目を輝かせる。
「あと、これ……」
テルミは箸置きとともに置かれた箸を見て、困惑する。
「あ、あ~……!」
歩実は膝を打った。
「やっぱり文化とか違うんだね~」
歩実は箸をしまい、木のスプーンを置いた。
「すみません、このお店のこだわりだったかもしれないのに……」
「全然全然! 木のスプーンで食べるお茶漬けも、また乙なものなんだよ~」
でへへ、と歩実は頬を緩ませる。
「これがね、料亭香の良い所なんだよ。金属じゃなくて、木のスプーンを、使う! やっぱりステンレスのスプーンで食べるお茶漬けと木のスプーンで食べるお茶漬けじゃ、全然味が違ってくるからね! おばあちゃんの頃から、素材を活かした料理を作りなさい、って言われて来てね~」
あ、と歩実は口を閉じる。
「ごめんね、またいつもの癖で喋りすぎちゃった」
いつも、歩実はお客さんの前で喋りすぎてしまうきらいがあった。
おばあちゃんのこだわりを継承したいという思いか、あるいは元来、歩みがお喋りだったからか。
歩実はまた喋りすぎた、と反省する。
「どうですか、お味は?」
「……」
アルミはお茶漬けを一口、頬張った。




