第37話 黒翼の悪魔 5
宿屋――
「すーーーーー」
体中アザだらけ、血だらけの男、クレイが、ベッドに座っていた。
浅く長い呼吸を行う。
「はーーーーー」
虚ろな瞳に灯しているのは果たして憎しみか、はたまた絶望か。
「すーーーーー」
長い呼吸を行い、体中の傷跡が引いて行く。
アザが、血が、傷跡が、呼吸とともに引いていく。
「……」
体を快復させたクレイは、のっそりと立ち上がり、伸びをした。
「朝か……」
朝。ずたぼろになった体を宿舎で休ませながら、クレイは身支度を整えた。
サニスに騙され、置いて行かれたあの日から、三日が経った。一日中花の相手をし続けたクレイの体には疲労が溜まっていた。花を一掃した後も森にこもり続け、クレイはひたすら、自分をいじめていた。
弱かった自分を。何も出来なかった自分を。何の力もない自分を叱咤するように、あるいは虐げるように。
「行くか」
宿舎から出たクレイは、冒険者組合へと向かった。
× × ×
「換金だ」
「あ……嘘……」
クレイの姿を見た、冒険者組合の受付嬢は、目に涙を溜め、クレイのことを見ていた。
「クレイさん! 生きてたんですね!」
「ああ」
サニスにクレイの死亡報告をされた受付嬢、レイラは、クレイの生存を確認し、明らかな喜びの表情を見せた。
「クレイさん! 私、あなたが死んだとばかり思ってて……」
うっ、うっ、と声を詰まらせながら、レイラは言う。
「殺されかけたんだ」
「こ、殺されかけた!? 誰にですか!?」
「俺の前の仲間にだ」
「前の仲間!? サニスさんにですか!?」
レイラは半身を乗り出し、クレイの話を聞く。
「もう終わったことだ。静かにしてくれ」
クレイは頭巾を目深に被る。
「い、いけませんそんな! 私はサニスさんにクレイさんの死亡報告を聞いたんです! これは許されない問題ですよ。今すぐ上に掛け合って――」
「そんなことはしなくていい。もうあいつらとは係わりたくない。どうせ、全部俺が悪かったんだ」
「そ、そんな……」
慌てて走ろうとするレイラを、止める。
「もうあいつらのことはどうでもいい。早く換金してくれ」
「クレイさん……」
温和で、自身の危険を顧みず他者を助ける彼はどこに行ったのか。
善行という概念が実体化したかのような彼はどこに行ったのか。
レイラは変わり果てたクレイの姿に、不安を覚え、自身の胸に手を当てた。
「クレイさん、何があったか、詳しく教えてもらえませんか?」
「そんな時間はない。さっさと換金してくれ」
「クレイさん」
クレイの顔を覗き込むと、真っ赤な髪に染まり、顔中に傷を作ったクレイの顔が、はっきりと見えた。
「早くしてくれ」
「…………はい」
クレイはずだ袋から、魔石をごとごとと落とした。
「なっ……」
大量の魔石が、ばらまかれる。
大小様々な魔石が、冒険者組合を虹色に染め上げる。
「なんですか、この量!?」
「収穫だ」
「そっ、そんな、どこでこんな量の魔石を!?」
「一日戦い続けた結果だ」
クレイは淡々と質問に答える。
「おい、マジかよあいつ……」
「誰だ、あいつ。新人か? あり得ねぇだろ……」
「おい、誰かあいつ知ってるか?」
「いや、あんな赤髪の男見たことがねぇ」
クレイは他者からに視線を嫌い、レイラを見た。
「は、はい、今から換金します……」
「ああ」
レイラは冒険者組合の奥に進み、魔石の価値に等しい金貨、銀貨をクレイに手渡した。
「くくく……」
クレイは受け取った金貨、銀貨を眺め、笑う。
「じゃあな」
「はい……」
クレイは踵を返し、ギルドの出口へと向かった。
「あの! クレイさん!」
「……」
レイラがクレイを引き留める。
「ぁ……その……」
言葉が、出てこない。
「行って、らっしゃいませ」
「ああ」
クレイはスイングドアを押し、冒険者組合を出た。
「クレイさん……」
冒険者組合で寂し気に呟くレイラだけが、取り残された。
× × ×
「はぁ……」
クレイの忠告通り、サニスの件について不干渉を決め込んだレイラは、終始沈鬱な表情で、冒険者組合の受付嬢としての仕事を終わらせた。
呆然自失としたまま、レイラは市街地を歩く。隣を走る市民の声も、耳に入ってこない。ただ俯いて、クレイのことだけを考え、歩いていた。
「皆さん、緊急速報です! 今すぐこの場から離れてください! 皆さん、緊急速報です! 今すぐこの場から離れてください!」
魔物の襲撃を知らせる声にも全く気付かず、レイラは歩く。
「どけ! 離せ! つかまんじゃねぇ!」
「翼竜なんて無理よ! 早く冒険者がなんとかしてよ!」
「冒険者でも翼竜なんて簡単に倒せるわけがねぇだろうが!」
「押さないで、押さないでください!」
近づいてくる市民の叫び声にびくついたレイラは、そこでようやく自分を取り戻す。
「な、何!?」
レイラは逃げ惑う市民に、相対するようにして歩いていた。
「きゃっ!」
肩をぶつけられ、レイラは転倒する。
「邪魔だ、どけクソ女! こんなところでボケっとしてんじゃねぇ! 死にてぇのか!」
「す、すみません……」
訳も分からず謝ったレイラは、立とうとする。
「痛っ……」
着地の衝撃で足をひねったレイラは、壁まで這う。
「危ない! 危ないじゃない!」
「こんなところで座り込んでんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!」
「何してるのよ、あんた!」
市民からの罵声を一身に受け、レイラは涙目になる。
「痛い……」
気付けば、レイラの前には、もう誰もいなかった。市民は全員逃げ去った。
「っ……」
立ち上がれない。
脚をひねり、踏まれ、ねじられ、押し付けられ。
負荷がかかった脚が、うまく使えない。
レイラは壁に手をつけながら、逃げ惑っていた市民の後を追うようにして、ゆっくりと歩きだす。
ひゅるひゅるひゅると、何かが降下する音がする。
「ぇ……?」
上を向くと、大柄な翼竜が大口を開け、落下してきていた。
「きゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
『グギャアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァッッッ!』
翼をもがれた翼竜が、レイラの前方に落ちた。
『ギャッ、グガアアアアアァァァァァァッ!』
翼竜はその場で嘶き、レイラを補足した。
「いや……こないで、嫌っ……!」
レイラは痛む足を必死で引きずりながら、後退する。
「来ないで!」
『グガアアアァァ!』
持ち物を放り投げ、翼竜の額に命中する。
『グ…………』
翼竜は大きな顎を開いた。
「う、うそ、やだ、止めて……」
翼竜の顎から、炎がちらつく。
「嫌あああああああああああああぁぁぁぁぁ!」
同時に、ひゅるひゅると降下の音がし、翼竜の首が一瞬にして、はねられた。
「取り逃がしたか……」
はねられた翼竜の首から鮮血が飛び出し、辺り一帯を赤く染め上げる。
「レイラさん……?」
「ぁ……ぁ……」
翼竜の首をはねた張本人、クレイがレイラを一瞥し、声をかけた。
「クレイ……さん……!」
声を震わせ、レイラはクレイを呼ぶ。
「ん」
クレイは上空を見た。
「まだ二匹いるか」
家を足場にして、とんとんと跳躍し、上空の翼竜を二体斬る。
二体の翼竜はその場にひゅるひゅると落下する。
「こんな所で遊んでんなよ」
空中から降りてきたクレイはレイラに言う。
「グレイざあああぁぁぁぁぁん」
レイラはクレイに抱き着いた。
「わ、わだじ、グレイざんが悪者になっちゃったかと思っでぇぇぇ」
「人は信用しないことにした」
「グレイざん、わだし、グレイざんが、良い人の、ままで、良がっだあああぁぁ」
洟をすすりながら、レイラは言う。
「足くじいてるのか? 翼竜が攻めてきてるって言うのに、悠長なやつだな。前線で見たこともない中年のおっさんが活躍してるらしいが」
「だって、グレイざんが、おがじくなっでだがらぁ……」
「今も昔も、俺は変わらねぇよ」
クレイはレイラの足首に魔法薬をかけ、そのまま抱き上げた。
「何か問題があるなら人の手を借りればいい。俺は自分を疑ってばかりだった。俺自身が強くなれば、それですべては解決する。俺に足りなかったのは、力だ。純粋な、力」
「グ、グレイざああああぁぁぁぁぁん!」
レイラはクレイの服に顔をこすりつける。
「鼻水つけるなよ」
「違うがらああああぁぁぁぁ!」
「これが冒険者組合職員かよ」
「グ、グレイざんはぁ、ずっと変わらないでいでよおおおおぉぉぉ」
「ちょっとした頼みぐらいなら、聞いてやるよ」
「グレイざああああああああぁぁぁぁぁぁぁん」
クレイは泣きじゃくるレイラを、冒険者組合へ連れて行った。




