第33話 黒翼の悪魔 1
「寒っ……」
朝。
相も変わらず、隙間風の多いあばら家で寝ていたノエルは、早朝の寒さに目を覚ました。
「もう朝かぁ……」
壁の隙間から差し込んだ日の光に照らされ、ノエルはむくり、と立ち上がる。
「ん~……今日も良い一日になると良いなぁ……!」
冒険者組合で冒険者を助けて数日が経った。
ノエルは今の暮らしにすっかり適合し、朝起きては畑の世話をすることを日課としていた。
「おはよ~、皆~……」
ふわあ、とあくびをしながらノエルは畑に赴く。
「今日は本当に朝が冷える――え?」
そして畑の側に、巨大な樹木が屹立していることに気付く。
「何これ……?」
昨日まではなかった樹木。見たこともない太い樹が、途轍もない存在感で、そこにあった。
『少年よ……』
「え!? えぇ!?」
樹に話しかけられる。
『少年よ、我が名はシルヴァ。この街の外にある森からやって来た、巨樹だ。どうか話を聞いて欲しい』
「は、はぁ……」
ノエルは困り顔で、シルヴァと会話する。
『私はこの街の外からやって来た、傷だらけの樹木だ』
「はい」
樹と喋っているという違和感を感じながら、ノエルは返答する。
『体中に傷を負い、どこか魔力の濃い場所を、と思い、空間移動を使い、こうしてやって来た。どうか、少年の心が許せば、ここに置いて欲しい』
「で、でも……」
ノエルは困惑する。
巨樹――その正体は、巨大な樹木の魔物。冒険者が躍起になって斃そうとしている、人類の敵。
『私が魔物であるからして、少年の嫌悪に耐え得ることが出来ないだろうか』
「いや、僕はいいんですけど……」
「……」
「……」
一人と一匹はお互いに無言のまま、数分が経った。
『承知した。私は少年の傍には置いてもらえないということか』
「いや、そんな……」
『私はただこの世に生を受け、その生を全うしたかっただけだった……。傷ついて、傷つけられ、ただ、安静に身を置く場所が欲しいだけだった……。すまなかった、再び空間移動が可能となった時に、森に帰ることにする……』
「あ……」
ノエルは拳を握った。
シルヴァの言葉が、心に引っかかってしまった。
「あ、あの!」
『……?』
「わ、分かりました! じゃ、じゃあ、ここにいてもいいですけど、条件があります!」
『良いのか?』
「他の人には絶対に危害を加えないこと! あと、人前で喋らないこと! それと最後に、僕の家と、この農園を守ってください! それなら、それなら、ここにいてくれていいです!」
『ほ、本当か、少年よ!?』
ノエルはサクラメリアの街の外れに住んでいる。人気のない、さびれた場所に樹の精霊の一匹や二匹いたところで大差ないだろうと、そう思ってのことだった。
そして、ノエル自体、土竜に命を助けられたという過去も後押しした。
「他の人に危害は加えないでくださいね!」
『承知した。少年の寛大な心、感謝する』
シルヴァは大きな樹をしならせ、頭を下げた。
「じゃあ僕は薬草を冒険者組合に売って来るんで、シルヴァさんは僕の家見守っててくださいね」
「ああ、分かった。ありがとう、少年」
「あはは、いいですよ」
ノエルは農園の薬草を刈り取り、新たな種をまき、冒険者組合へと向かった。
× × ×
「すいませ~ん」
「あ、ノエルさん!」
冒険者組合の窓口に行ったノエルは、受付嬢のネフィタリアに声をかけられる。
「ノエルさん、今日も薬草を当冒険者組合に納めてくれるんですね!?」
「は、はい」
ネフィタリアはノエルの手を取る。
「皆さ~ん、ノエルさんが薬草を持ってきてくれましたよ~!」
「ノエルの嬢ちゃんが!?」
「またあの奇跡の薬草が入ったのか!?」
ネフィタリアの声を聞きつけた、むくつけき冒険者たちがノエルの下へ集まる。
「おい、ノエルの嬢ちゃん、前は助かったぜ!」
「あ、僕男です」
「君がいないと今頃モルガンは絶対にここに立っていなかった……。ありがとう、ノエル」
「おいおいおいおい、最近話題の薬草を作ってくれてるのは、こんなに幼い子だったのか!?」
「俺もあんたの薬草のおかげで一命をとりとめたんだよ! ありがとう!」
「俺もだ!」
「俺も俺も!」
ノエルの周りに人だかりができる。
「あ、あははは」
ノエルは困り顔で対応する。
「ちょとちょっと皆さ~ん! ノエルさんを困らせるようなことしないでください!」
ノエルと冒険者たちの間に、ネフィタリアが入る。
「ノエルさんはこの冒険者組合でも大切なお、客、様なんです!」
「おいおい、そりゃねぇぜ! 俺たちだってこの冒険者組合のために日夜魔物を斃してんだからよぉ!」
「それもこれも、ノエルさんの薬草があるから皆さんもケガの心配をせずに戦えてるんですよ!? ノエルさんに感謝してください!」
「ネフィタリアちゃん、そりゃねぇよ~!」
お~いおいおい、と冒険者たちが泣き出す。
「ね~、ノエルさん!」
「え、ええぇぇ……どうかな、あははは」
ネフィタリアに手を握られたノエルは、顔を赤くする。
「くそ……俺も冒険者止めて薬草栽培に手を出そうかな……」
「ありだな、それ」
「く……でもノエルならネフィタリアちゃんと出来ても……」
冒険者たちがノエルとネフィタリアの顔を見る。
その時、冒険者組合のスイングドアが開けられ、細身の女が、入ってきた。
「ここに効き目のある薬草があると聞いてきた。その薬草をいくらか、私たちに譲って欲しい」
冒険者組合に入るやいなやその女、フィオナ・タルトは、そう言い放った。
「フィーナ!?」
「ノエル!?」
フィオナとノエルが目を合わせる。
「ノエルさん、フィオナさんとお知り合いなんですか!?」
ネフィタリアが驚いた顔をする。
「ノエル、その女……」
「フィーナ!?」
ノエルと手をつなぐネフィタリアを見ると、眉間に皺を寄せた。
「この街に来て一番にすることが女漁り……?」
「ち、違うよ!」
「ノエルは頑張り屋さんだと思ってたけど、数年間見ないうちに変わっちゃったんだね」
「ち、違うって!」
フィオナはノエルにげんなりする。
「ちょ、ちょっと、近衛師団だかお残しパンなんだか知りませんけど、ノエルさんのことを悪く言うのは止めてください! ノエルさんはあなたみたいな筋肉女と違って、この冒険者組合のアイドルなんです!」
ネフィタリアはノエルに抱き着く。
「何言ってるの、ノエルと私との絆は、そんな一日二日のしょぼい繋がりじゃないから」
フィオナがノエルの腕を取る。
「私たちの冒険者組合のノエルさんです!」
「私のノエルだから」
「痛い痛い痛い!」
「私のです!」
「私の!」
フィオナとネフィタリアが互いにノエルを奪い合う。
「おいおい、一体何が起こってんだよ……」
「近衛師団に入隊してあっという間に副団長までのし上がった、細剣の美少女、フィオナちゃんとも知り合いだなんて……」
「ネフィタリアちゃんまでノエルのことを……」
「薬草栽培だけでなく近衛師団の副団長とも交流があるとは」
「ノエル……」
「「「恐ろしい子……!」」」
その日、冒険者組合の中で、ノエルの評価が人知れず上がっていた。




