突然の消失
大学を卒業して、企業に就職して何年になるだろうか。
と、帰路の道すがら、考えていた。就職と同時とほぼ同時に結婚をし、女の子を授かって早一年、家庭はとても円満であった。一方会社では、誰もが持つ持つ不満をいつも聞かされる立場にいて、自分の仕事の愚痴などこぼせる場所はなかった。私の唯一の癒しは家族との時間、それが何よりも大切で切ないものである。
にもかかわらず、なぜこの日に限ってこのようなことを考えたのだろう。今となってはそれも何かの必然性を持っていたのかもしれない。
いつも通り、家に着き、いつも通り扉をあける。
「何かががおかしい」
しかし何がおかしいのかすぐには理解できなかった。
そう、いま思えばその現実を受け入れられなかったのだ。
家の家財一式、テーブルからカーペットに至るまで一切合切が消失している。
まるで新築の入居前の状態であった。
家族を探す。心の唯一の癒しである家族を、妻を、子どもを探す。
どこにも見当たらない、それどころかいた形跡すらも残っていない。
「ここに本当に住んでいたのか、階をまちがえたのか?」
部屋番号を確認するが間違いない。ここは以前家族と過ごした空間が広がっているはずの部屋が存在するはずだ。
もう一度、中を覗き見る。心臓の鼓動は口を通して耳に聞こえそうなほどである。
中はさっきの状態と変わらない新築の一部屋。
どうした?何が起こっている?過労で幻覚でも見ているのか。それともすべて幻だったのか。
ドアの前で足を折り、自分が何かを考える。どうして、どうして?どうして!?何度も繰り返し繰り返し行われる無限の連鎖。それを断ち切ったのは、仕事帰りには似つかわしくないほどの快活そうな男性であった。年のころは25、6と言ったところだろうか。表情にところどころ若さが垣間見える。
「どうされましたか、うちの前で座り込まれて。。。」
理解が追い付かない。部屋は空き家、人が住んでいるはずがないことは確認した。しかもそこは自分が住んでいた、家族との憩いの場であった場所だ。にもかかわらず彼はうちの前でという。
「ここは空き家では?」と何とか口にする。
すると
「いえいえ、お疲れのようですし、上がってお茶でも飲んで落ち着いてください」
といって彼は躊躇なく空き家になってしまった我が家の扉を開けた。
「おかえりなさい」
という言葉とともにわが子を抱いた見知らぬ女が出迎えた。女は長髪を後ろで結び、目の色は日本人のそれと全く異なる色を発していた。
「ただいま、ちょっとこの人が家の前で座り込んでいたのでお茶でよういしてくれないか」
と彼はいい、女は軽く会釈をして奥に戻っていった。
「あれは誰だ?なぜわが子を平然と抱いているんだ」そして何よりさっきまで空き家だったはずの部屋が見たことのないインテリアで人が住んでいることを感じさせるこの状況は何だ。
私は困惑と混乱とに襲われ、それから一瞬でも早く逃げるようにして、男の誘いに返事も顔も見ず、外に向かって飛び出した。
そこに広がっていたのは、私が家族と住みなれた街に似てはいるが、それと同時にここがその町とは違うことを直感した。