脳梗塞と言わせてください(2)
これも触れなかったが、実は救急センターにいた段階からリハビリは始まっていた。
入院は病気を治すだけがゴールではなく、入院生活でなまった体を実生活に適応させる訓練も含んでいる。
この病棟では言語、手、足の担当が三位一体となって一人の患者を診る。
正確には言語聴覚士、作業療法士、理学療法士というらしいが、定義を探っても意外と曖昧なため簡単に言語手足と略させてもらう。
整形外科では歩くことしかリハビリは行われなかったため理学療法士しか知らなかったが、やはり病棟や症状が違うと勝手はだいぶ違うようだ。
というか整形外科だって手の骨折なら手のリハビリをするだろうと今になって気づいた。自分本位とはこのことか。
まず初めにやってきたのは言語担当。
天然(?)パーマの爽やかなお兄さんなので彼のことは以後モジャと呼びたい。失礼千万な話だが脚色ということでご容赦を。
ろれつが半分回っていない自分は、いろいろ聞かれて状況を説明した。
入院中看護師相手に毎日続いていたのだが、脳卒中にはそれを確かめるお決まりの検査がある。
まず両手を肩の高さまで上げて手のひらを上向かせる。その状態で目を閉じて十秒。
普通の人なら問題はないが、脳梗塞を起こしていると、片手が下がるのである。
自分は左脳にダメージを負ったため、気づけば右手が下がっている。自分ではどうすることもできない。カテーテルで痛めつけられた後なので余計だ。これは関係ないが。
同じようにベッドの上でダンゴムシのようになって両足を上げるテストもある。
やはり目を閉じて十秒。
同じように右足が下がってしまう。
これは運動に関する問題だが、他に記憶や意識、言語に問題が及ぶこともある。
場合によっては視野が狭まるケースもあるそうだ。
そういったテストが毎日のように繰り返される。
どこかで異常があれば再発という可能性もあるので、手抜きはできない。
言語聴覚士のモジャさんは、言語や意識に関することまで目を向けて異常を調べ、リハビリを行ってくれる。
まず手始めは言葉の問題から。
パパパパパパと結構早めに言わされたが、もう今までのように滑らかに言葉は出てこない。
ママママママも言わされるが、途中でどうしても詰まって途切れてしまう。
パタカパタカと言わされるが、これまた途中で舌が回らなくなる。
さて以前は普通に言えていたのだろうか、あまり自信もないが。
こんな感じで練習させられたが、大半は滑舌の悪い言葉として普段より遥かに悪い状態でしか発音できなかった。
以前なら言えた早口言葉が、不明瞭になってしまうのは今も治っていない。
なまむぎなまごめなまたまごなんかも、普通に言えていたはずだが今は細部がかなり怪しい。
鍛え直せばいいのかもしれないが、家で一人合唱団やっても変な人に見られるだけだろうな。
最後に自習用のプリントを渡されて、時間があったらやってくださいと言われた。
声を出すのは他の患者の手前はばかられるが、口を動かすだけなら音を発する必要はないので、自分は暇な時にプリントを見つめては舌で口の上側を押すとか、舌を右に左に上に下に動かす自習に励んだ。
これが実際やってみると想像以上にうまくいかない。
マウスでいうとチャタリング(クリックが連射になってシングルクリックのつもりがダブルクリックになってしまう故障)のようになっていて、左から右に舌を出そうとしているのに、なぜか左にわざわざ戻してしまい、そこからさらに意識して右へ舌を出そうとしないとうまく動かない。
自分の思い通りにならないぶりは想像以上であった。
本当はこれでも軽いほうで、人によっては口から飲み物や唾液がこぼれたり、普通なら触っただけでえづくはずの場所の感覚が麻痺していたりで、誤飲の危険を避けるため飲水にとろみをつけたり、食事がお粥になったりさらに悪い症状はあるのだが、どうやら自分はそこまでではなかったようだ。
本当に幸運な壮年なのだが、まだ自分はそんなことは知らずにいた。
他にもモジャさんはクイズのような絵本を持ってきて、カラーのその本を開いて自分に質問した。
判断能力を調べるテストで、脳の障害を調べる目的があったらしい。
これが意外と難しかったりする。
間違えると「ん、それでいいですか?」と一々突っ込んでくれるので、その場で判断し直して答えると、納得して次のページをめくる。
プレッシャーを感じながら質問を繰り返されたが、どうやら常人並の能力はあったらしい。
太鼓判を押されて安心した。
彼といろいろやるうちにろれつが回らない最初の状況だけは回復したようだ。
結局退院後はあまり人と会話していないので、回復したと実感する機会はあまりないのだが。
衰えを自覚することもないのは唯一の救いか。
まあ今からアナウンサーになるわけでもDJになるわけでもないからいいか。
と言いつつこれを書いていて意識し始めたので、言葉の練習は少ししている。
とりあえずパパパパパパとかママママママはわりと滑らかに言えるようになった。
生麦生米生卵は若干怪しいが、以前よりはマシになってきたかも。
生卵がどうも志○ではなく研○○コ風になりそうになるがって、こんなネタ誰がわかるのか。
急に素早く言おうとしても舌が回らないので、ゆっくりはっきり発音しつつスピードを上げて練習すれば、少しずつ体が思い出していけそうだ。
焦りは禁物。
SCUに上がってきてからは、手担当の作業療法士の人もやってきた。
手担当の人は仮称をタカミザワさんにしておく。
本当は女性だし髪も短いのだが、紅一点という共通項(共通してないしてない)だけで勝手に命名させてもらう。
彼女はナンプレが大嫌いらしいが、自分が暇つぶしにナンプレをやっていると知ると結構過剰に反応していた。
しかも難問集だし。
中級はとっくに終わり上級をやっていた自分は、もうすぐ達人級(出版社がそう命名している)のページに達しようとしていたので、引いているのか本気で偉人のように見ているのか、大学の卒論でナンプレがもたらすストレスを説明したと熱く語る彼女の反応はいまいちわからなかった。
だが字を書くトレーニング自体は、右手の感覚を取り戻すために推奨はされた。
この人に関しては後に触れたい。
もう一人足担当の理学療法士の人は一度だけ歩行訓練を行った後に交代した。
最初の人はライオンと仮称しておく。
特に猛々しいわけでもない。
どちらかというと大西○イオンな感じというのは見くびり過ぎか。
彼は一般病棟が担当なため、SCUに入った自分はSCU担当の人に代わることになってしまった。
一般病棟に移ったらまた逢いましょうと去っていったまま、結局再会はなかったのだ。
交代した二人目の担当はセオリー通りグラサンにしておく。
病院でサングラスをするわけもなく、共通点はもはや声が高いくらいだが。
どちらかというとこの人は芸人のG○!皆川みたいな人だったとか言うと本気で怒られそうだ。
とりあえず今日は初日のライオンさんとのリハビリ経験談を語ってみたい。
自分がどれくらい歩けるか、テストをすることになった。
当然足元は靴必須である。
こういう時かかとを覆わないスリッパは使わせてくれない。
スリッパでは滑る病院の床の上をまともに歩くのもしんどいくらいなのだ。かかとの固定がないとすぐすっぽ抜けてしまう。
初めは歩行器を操り歩くことになった。
いわゆる四輪歩行器というやつで、手すりがコの字になっていて中に入り込むタイプである。
だがSCUにある歩行器は相当小さい。
脳卒中になる患者はほとんど老人なので無理はないが、なにしろ注射の針もろくに通らない肉厚の自分には小さすぎて、歩く度にももがぶつかりそうになって逆に怖い。
今まで整形外科で歩行器自体には慣れていたのだが、これにはまいった。
こけないための歩行器にこかしにかかられるとは。
次に点滴棒を支えにして歩くことになった。
生理食塩水のパックは専用の機械に押し出されて、自分の血管に今も流し込まれている。
ちょっと重い機械と点滴のパックがつけられ、足元に台車がついたそれは、トイレに行く時などコロコロ押していくものだが、まさかこれを杖代わりにすることになるとは。
以前この点滴棒を押してパジャマ姿で外に出て、病院近くの高架下でタバコを吸っているいい歳のおっさんを見かけたことがある。
よーやるわと思いながら、その横を自転車で通り過ぎたことを今も覚えている。
苦情があったのか隠れ家が見つかったのか退院したのか、その後見かけなくなったが。
病院内での喫煙者の行動は中々デンジャラスかつユーモラスでもある。
隠れて吸っている中高生みたいだというのが一番ふさわしかったりもするが。
最初に整形外科に入院した時に嫌というほどその行状を思い知ったが、さすがに脳外科でそんなスモーカーを見る機会はなかった。
いたらいたでネタにはなったろうが。
短時間短距離の歩行は、思ったよりも簡単にこなせた。
もうよろけることもない。
あれだけ信用できなかった右足の感覚は、自分が車椅子で怠けている間に自然と戻っていたらしい。これは幸運だった。
だが骨折の影響でそれ以前から長いこと臥せっていた影響もあって、持続力が全く無い。
すぐ息を上げる弱点を、ライオンさんは一度だけでしっかり見抜いてしまった。
というかばれないほうがおかしいレベルだった。
「スパルタで鍛えるべきか……」と今後の計画を考えている姿を見て、自分は「あ、ライオンだ……」と思ったのである。




