第一話 既に物語は始まっていた
まっすぐ眠るとビキンと激痛が走る。
横になって眠ると寝返りが打てず、寝ている間姿勢が固定されるため起きた後も痺れたような痛みが残る。
どちらかといえばダメージは横向きで寝ていたほうが少ないが、それでも二時間もすると痛みで目が覚めてしまう。
おかげで寝不足も相当深刻な問題になっている。
また横は横でも右側を下にすると同じように激痛の予兆があるため、どうやら体の右側になんらかの故障があるらしいとわかったのは、十一月も過ぎてからのことだった。
激痛が起こるのは痛み止めの薬を二倍飲んでも防げないが、見かけ上骨に異常はないようなので自分ではこれ以上どうしようもない。
慌てて病院に駆け込みCTやMRIを撮ってもらうべきか……でもなにもなければまた放置されて終わりなんだろうな。
悩んだが結局今やれることを片づけておこうと思った自分は、ずっとほったらかしにしていた免許の更新に行くことにした。
既にペーパーになってから相当長いが、さすがに失効してしまうのはもったいない。
そして家から近いバス停にてくてくと歩いた自分は、久しぶりにキロ単位の歩行をしたが、スピードがお爺ちゃん級なのを除けば問題はなかった。
用心で杖も持っていったが、ほぼつくこともない。むしろ邪魔だった。
バス停でバスを待っている間いつもやっているスクワットや背伸び運動などをしたが、朝の通勤時間ということもあって人通りというか自転車通りが妙に多い。
一々活動を停止して自転車が通り過ぎるのを待ってから運動再開、なんとか日課を終えてもまだバスは来ない。
やーっと到着したバスに乗り込んで狭い椅子に座ったが、確か十年前に乗った時は人が多すぎてしばらく立ったままだったなあと思い出す。
今回は余裕で座れたが、この後乗っている時間が長くて気分が悪くなった上、トイレに行きたくて難儀したことも思い出す。
あれは中々の地獄だった。
おかげでバスに乗るのが嫌になったくらいだったが、さすがに十年前の話なのでもう忘れていた。
今回は特に気分が悪くなることもなく、トイレに行きたくもならなかったのでセーフ。
今はコルセットがあるのでトイレに行くのはできれば避けたかったので、そういう意味でも一安心。
バスを降りたら今度は電車。
もう四年くらいは電車にも乗っていないので、ちょっとこわごわ部屋の隅に放置されていたICカードにチャージしてから改札をくぐった。
ホームに上る階段が意外と辛く、手すりがなければ足を踏み外しそうなのが怖いが、なんとか登りきって電車待ち。
ホームと電車の隙間に落ちないか心配になる。
今まではそんなこと意識の端にものぼったことはなかったのだが、やはり足元は危なっかしかった。
つり革に捕まって電車に乗って目的の駅へ。降りて乗り換え。
この乗り換えがまたわかりにくい駅なので毎回往生したが、今回もあちこちうろうろしてその度に階段を手すりにつかまって登り降りした。
なんとかならないものかあの駅の案内の不親切さは。
そして自分はやっと免許の更新センターに到着した。
五年前は自転車でやってきた場所だ。
いや前回自転車で来た方が異常といえば異常なのだが実は。
二十キロくらいは自転車こいできたしなあ。
ここまではひとまず順調。
以前は普通に会場にダイレクトに入れたが、今は駐輪場の辺りから列を作って間隔を開けて並ぶように指示される。
後ろに立った奴がやたら接近してくるのに舌打ちをしながら、のろのろと進む列はやっと受付に到達。
そして代金を支払い、次のブースで視力検査と言われた時にそれは起こった。
いつも通り示される四方の一方だけ抜けたあのアルファベットみたいな文字が、全く判別できない。
全部ぼやけてどこが空いているのかわからないのだ。
適当に答えても「違うなー」と言われ続け、眼鏡出してねと言われた自分は、これまで生まれてきて眼鏡なんて関わったこともないのでそう伝えるしかなかった。
結局これでは先に進ませるわけにはいかない、期限はぎりぎりだから延長の申請だけしておいてねと言われて追い返されることになってしまった。
実は免許の更新直前に、眼科にも行っている。
脳梗塞時に血圧が上がった影響で目の奥に白いもやができた自分は、それを検査してもらうために数ヶ月おきに眼科に通っていたのは以前も触れた通り。
本当は次八月に来てと言われていたのだが、八月は入院もあって時間が取れず、結局眼科に行ったのは十一月になってからだった。
その時も経過は良好で白いもやはもう全く確認できなかった。
ただその時医者は「ちょっと近視入っているけど……」と気になることを言っていたのだが、自分はそれを重く受け止めていなかった。
確かにもやができて一気に視力が悪くなった自分は、血圧が下がってそれが消えてからも、どうも目がぼやけていると以前眼科医にも告げていた。
それは最初こそ気になったものの最近ではもう気にも留めていなかったのだが、経過良好の血圧と消えていく白斑の裏で、どうやらしっかり進行していたらしい。
とはいえまさか免許が更新できないほど悪くなっているなんて思ってもいなかった自分は、一緒に並んだ人たちより一足先にとぼとぼと来た道を引き返しながら絶望に打ちひしがれていた。
これからどうすればいいのか、正直さっぱりわからない。
眼鏡屋に行って眼鏡を作らないといけないのかいくらするんだろうとか、レーシック怖いな、メガネ拭き最近百均で見かけないけど買い込まなきゃなどと自分の知っている知識を総動員して想像しても、いい知恵はまるで思い浮かばない。
というか今言ったことレーシック以外は全部やることになったわけだが。
帰りのバスが一時間に一本しかなくて、しかもその一本が数分前に出た事実にぞっとしながら、自分はバス停前で佇みさらに絶望の色を深めていた。
帰りに途中のバス停で降りて眼科に行こうかとも思ったが、とりあえず今は帰りたいと思って帰宅。
昼前には帰ってきてしまったので、普通に昼食を作って食べたが、その間も世界は視力以上に真っ暗になっていた。
結局腰の痛みもよくわからないままだし、疲れて眠っても霧が晴れたように視力が回復するわけもなく、少し昼寝をしてから目覚めた後も悪夢は続いた。
(ちなみに腰の痛みはその後一年経ってもまだ続いていたりする)
以前血圧のせいでもやができた頃も同じようなことを考えて絶望していたが、そちらは一応長い時間かかったものの回復はした。
今回ばかりは日にち薬も見込めない。
というわけで一気に気力を減退させた自分は、次の日も無為に過ごした。
手続きをして来年まで免許更新延長されたので、今すぐ行動しなければいけないわけではないが、しかし自分が眼鏡をかけることはやっぱり納得できない。
走るのが苦手で運動は嫌いだったが、手先と口先と目の良さだけは人並みだったのに、その辛うじて残された自分の得手すら奪われてしまうのか……。
脳梗塞の時も全て失ったが、それは一時的なことだったのでなんとか耐えられた。
しかし今回はもはや回復の見込みがない。
この事実は延々頭の中でループして、自分は自分で自分を殺す二次被害を味わうことになった。
正直今回ばかりはもう笑えそうにないや……せめて目だけは健康でいたかった。
じゃあゲームやパソコンばっかりしてないで目を労れよという話だが、当然そんなことは後の祭りであった。




