第五話 入院から手術直前まで
八月九日、世はすっかりお盆だったのだが、そんなことはすっかり忘れていた自分は、買ったばかりのリュックサックに入院道具を詰めて病院へ向かった。
この病院の整形外科に入院するのは三年ぶりとなる。
その時看護師から「かばんはリュックのほうがいい」と言われていたのだが、買う機会がなかった自分はほったらかしにして、結局脳梗塞の時も古いかばんを使っていた。
今回やーっと重い腰を上げて買ったリュックは、確かに重い荷物を背負うのに楽。
しかし姿勢がとんでもなく悪いおかげで、とにかくただ歩くのも辛いため、リュックの真価などわからないままだった。
六人部屋の入り口付近のベッドに身を落ち着けた自分は、看護師のO松くんに説明と書類へのサイン攻めを受けることになった。
そしてトイレの場所の説明に一度立つことに。
この時も腰は完全に折れ曲がった状態ではあったのだが、動きは素早いし足取りもしっかりしていたので、特に車椅子でなどという指示は出なかった。
そうくの字になりはしたが、実は日常生活自体に不便はあまり生じていない。
この状態でも自転車に乗って買い出しには行けたし、困ったのは高い場所にある換気扇のスイッチに手が届かないとか、そんなことくらいだったのだ。
入院前に髪を切りに行ったのだが、理容室の店主も、以前痛みで動けなかった頃と比べると動けていると、姿勢の悪さより動きの軽快さを重視していた。
そんなに今の姿勢が気にならないほど、以前から極度の猫背だったのだろうか。
とはいえ現状が異常なことは間違いない。
それは明日の手術で少し改善されるだろう。
手術前の準備として替えのおむつ買ってねだの、今日の夜は下剤飲んで出なかったら明日浣腸ねなどあれこれ説明を受けた。
ここで出されたのはおなじみのセンノシド。
あちゃーこれかーと思った自分は、これは浣腸かなとちょっと嫌な気持ちになっていた。
そして昼と夜は食べられたが、それ以降は絶食水も厳禁。
薬も許可されたものだけ、それもなるべく少量の水で飲むようにと言われた。
十日の朝、部屋のメンバーに配られる朝食が配られず、ひもじい思いをする自分に、手術への緊張はなかった。
どうも毎回手術前の怖さというものが感じられないのは、現状が酷すぎるからそれが少しでもよくなるという希望のほうが強いからなのだろうなと思う。
このままほったらかしにしてもよくはならないし。
ある意味助かってはいるのだが、今回も怖くて逃げ出したい気持ちや、諦めの気持ちはなかった。
まだクロちゃんに薬を打たれて意識を落とされる前のほうが、二度と目覚めずに事故でそのまま逝くんじゃないかと恐怖を感じていたくらいだ。
この時は覚悟の上で遺言をメールで自分宛てに送ったくらいだった。
結局杞憂も杞憂だったわけだが、いかにクロちゃんが危なっかしく写っていたかというのも多分に含まれている。
恥を晒す気分でその時のメールを載せてしまおう。
こんな形で終わりと思っていなかったから無念だが、これが他人の目に触れているということはそうなんだろう。
今さら悔いはないがそれでも十分に時間が取れなかったのは残念だ。
とはいえここで無念を吐いてもしょうがあるまい。
あとは生きている連中で好きにやればいい。
以上。
何をするのに十分に時間が取れなかったのか、誰に対しての遺言だったのか、もう今となっては思い出せない。
この時考えていたことというと、クロちゃんに対する恨み節を書く時間がなかったのだろうか?
善爺と悪爺の話を書けなかったから?
まあこうやって普段からハードボイルドな思考をする奴なんですよ自分は。
そして後で真っ赤になって自分を恥じるの繰り返し。
ああもう慣れっこさ。
心配していたセンノシドは思いの外よく効いて、早朝目を覚ましてトイレに行った時にうんこさんは出た。
この時ああやっぱり食事が違うからだなと深く納得した。
この病院の食事は品数、特に野菜の量が多い。
ほぼ毎回フルーツもつくし、あの病院とは全然質が違っていた。
九日の昼と夜に二回食事をしたが、久しぶりの野菜の量にほっとしたくらいだった。
減塩マニアの自分から言わせれば、数が多すぎて絞り込みが甘いとか、好みによっては食べるものがないとか色々注文はあるのだが、それはあくまで個人のわがままな感想であって別に聞く価値もない。
よく考えたらこの病院は自分に栄養指導をした病院、師匠なわけで、そういう点では間違いないのだろうと思う。




