第三話 不敵、造影剤への挑戦
造影剤というのは、残念なことに噂だけならあまりいい話を聞かない。
原理としてはCTやMRIでは透けて見えなくなってしまう血管や内臓を、造影剤を流すことで撮影しちゃおうということである。
そのままでも透けて写る骨と違って、普段は写らない臓器や血管を撮影したい時に使う。
ようするにCTがすごいレントゲンだとしたら、造影剤はすごいバリウムと言ったところであろう。
癌など重大な病気の検査には欠かせないものである。
体内に入った造影剤はおしっこと一緒に排出されるらしい。
なので造影剤検査後は水分を多めに摂って排出することを促される。
その造影剤を取り込むことで稀に副作用が発生することがあるため、いろいろと悪い評判をとってしまう。
入院検査前にまず同意書を取られるくらい慎重さが必要になるのだ。
MRIは基本造影剤を流さなくても撮影できるらしいのだが、今回はそのMRIが使えないために造影CTの出番となってしまった。
ちくしょう、MRIさえMRIさえ使えたら……という場面だが、今さら悔やんでも仕方ない。
早速CT室に運ばれて以前同様背中と腰部に嵩増しをされ、なんとか上を向いて寝る姿勢を作らされる。
その後輪っかの中に通されるのだが、実は前回言わなかったが、ここが結構ホラーなのだ。
なにが怖いって、多分CT室の技師も医者も直接入らないので全く気づいていないだろうが、なんと鮮血が噴いた跡が残っている。
前に撮影した患者が鼻血でも出したのか、血痕が乾いていたのだ。
入れられる度にそれと直面してひいっと感じつつも、血圧上昇の影響でか感じる頭痛と不快感に押されて、自分は結局それを言い出せなかった。
誰かが指摘しない限りあれはそのままだろう。一体誰の仕業だったのか恐ろしい話である。
まさかCT室で人死があったなんてこともないとは思うが。
というか今考えたら、さっさと指摘して拭いてもらわないと、後に指摘した誰かによって自分も容疑者として疑われかねないなと気づいたが、もはや後の祭りである。
機械がいつもより長く回転して動く中、医者が造影剤いれますと事前に取ったルート(薬剤を入れるため右手首に針を刺され固定されている)から造影剤を流し込まれた。
途端に感じる熱っぽさ。体表のすぐ下を熱いお湯が流れるような感覚は、まるでアルコールを摂取した直後のようである。
これが中々気持ち悪いのは、自分が下戸のせいだろうか、あるいは大酒飲みでも不快なのだろうか。
一気に火照る体を持て余しながら、動かないように指示されて頭部を撮影する時間は酷く長いような気がした。
少なくとも普通のCTよりは長かったはずだ。
その間何度か造影剤による熱い刺激を受けた自分は、ようやく血染めのCTから排出されて部屋に戻された。
自分は救急センターという場所にベッドをもらった。
荷物は自分が用意したかばん一つである。
上は全部脱がされて、下のパジャマだけが自前、その上にすぐ脱がすことができる薄い病衣を着させられた。
普段の病室なら自前の服を着られるが、ここでは病衣強制らしい。
普通に立って歩くこともできなくはないが、ふらふら不安定で右足に重心を移すとそのまま倒れるので、トイレは車椅子でということになった。
部屋は救急用なので仕切りのカーテンはあるが解放されていて、端っこまで広がっている長い部屋だった。
しかも男女混合。こういう部屋は初めてだ。
以前入院した整形外科では最低でも部屋ごとに男女の区別がつけられていた。多分他の科でも大半はそうだろう。
だからっていやらしいことを想像しないように。どうせ若い女の子はいないので。
その時も老人しかいなかった。
若い兄ちゃん(お、俺だってそっちだ……)はいたが、交通事故など重い怪我の人が多い。
構成メンバーからしてかなり雑多な場所だった。
にしてもやけに老人が多かった気がする。多分偶然だと思うが。
そんな中で自由に動けない自分は、検査以外はベッドから動けず、仕方なく一人で静かにナンプレをして過ごしていた。
「暇つぶし道具の用意」は地味なようだが、入院生活の必須、それもかなり重要な項目である。
二日かけてかばんを整備した意味がここで出てきた。入院を遅らせた甲斐もあったというものだ。いや、信じないように。
施設によって違うのだろうが、自分が入院した施設では以下のようなことが求められた。
・ひげそりは電動式のみ(怪我予防のため)
・歯ブラシ、歯磨き粉は当然必要
・フロスは尖っているものは推奨されない、爪楊枝なども禁止されることがある
・はし、スプーンフォークなども用意
・コップも用意しておきたい、蓋があると尚良
・スリッパは脱げやすいので推奨されない、上履きのようなものが求められるがなければ普通の靴必須
・靴を使うなら靴下の替えは多めに所持しておきたい
・逆に下着は意外と枚数必要なし、風呂に入れる機会も少ないので我慢のしどころ
・病衣(有料)を借りないなら着替えは薄手のものでいいので用意
・家族に頼れないなら洗濯機利用を考える、洗剤もあれば万全
・検査や治療、リハビリ以外の空き時間が多いので、暇を潰せる道具は必須
・入浴用にシャンプーとボディソープが必要、小瓶でいいので用意
・タオルは何枚か欲しい、バスタオルじゃなきゃいやという人はそれも用意、面倒だが
この辺が最低限必須なものとなる。
後から売店などで揃えることもできるが、割高になるし身動きできないと買いに行くのも大変だし、手に入らないものもあるので、家族に頼れない人は事前に用意しておくと非常に楽である。
無論入院時一緒に持ち出せなければ意味はないのだが。
病院は大体空調がしっかりしているので、防寒はそう考えなくてもいい。
真冬だったが自分は長袖シャツ一枚で院内は歩けた。夜もそう寒くはない。布団一枚で十分だった。
それより乾燥に注意したい。水分の経口摂取は意外と大事である。
意識して飲まないとすぐ水分が不足する。それが原因で便秘にもなってしまうのだ。
既に過去三度入院を経験していた自分は、思った以上に入院慣れしていたらしい。
以後問題もなくほとんど余計な出費をすることがなかった。わずかに洗濯機と乾燥機使用で小銭を使った程度だ。
もし初めての入院でしかも一人だと、かなり難儀すると思う。
身動き一つできないほどの重症だともうそんなことも言っていられないが、半端に体が動くと余計日々の生活に直結した部分で苦しむことになってしまう。
留意しておきたい。
そんな中でも一番たちが悪いのが「暇」である。
朝と夜は回診で看護師さんが体温と血圧を測り、今日の調子はどうですか? と話しかけてくれるが、それと検査やリハビリ以外はとにかくすることが少ないのが入院生活だ。
子供なら熱を出せば一日中寝て過ごすことになるが、いい年をした大人はそんなにずっと寝込んではいられない。
起きていて時間を持て余すほうが長くなってしまいがちだ。
そんな時どうやって空いた時間を過ごすかはとても大事なことだが、つい病人はそれを軽視してしまう。
入院経験がある自分は、毎日尋ねてくれる母親に頼んで、買って積んでおいた文庫本を持ってきてもらったが、親はそのせいでいつも愚痴っぽかった。
まあそりゃ日に五冊も読み終えていたら当然だが。
続いてそんな母を失ってからの入院では、辛うじて買ったばかりの本を三冊持ち込んだが、あっという間に読み終わってからも他に娯楽が一切なく、二週間の入院の間ずっとそれを読み直すという地獄のループで日々を過ごした。
いくら好きな作家でもこれはきつい。
なのにそれだけ読んだ本の内容は、今ほとんど思い出せないから困ったものだ。
そんなわけで今回はシャープペンシルとナンプレの問題集を持ち込んだ。
難問揃いのちょっと手強い奴である。元々は母親が入院していた頃、その横で挑戦していたものだ。
普段テレビを気に入った番組(ネタ系バラエティと極々一部のアニメ再放送)以外全く観ない自分にとって、これほどありがたい道具はなかった。
これがあるとないとでは余暇の過ごし方が段違いなのだ。
舐めてはいけない、ここで寝て過ごせばいいというのは間違いである。
病院には消灯時間というものがある。
それを過ぎれば電気は翌朝まで消えたままである。
その間なにができるわけでもない。自堕落な家の生活とは違うので、この時間はなるべく眠るしかない。
だが昼間ぐうぐう寝ていると、この沈黙が異様なくらい重くのしかかってくるのだ。
ただでさえ出かけることもできず、検査とトイレ以外動かない動けない入院生活で、これほど地獄を見る時間もない。
そのためのナンプレ、夜寝るため昼間起きているための遊びなのだ。
これを甘く見ると眠れない午前四時、いらだちで枕を叩きながら、持て余す体で真っ暗な夜空の星を睨みながらなにもできずに夜明けを待つ放浪人になる運命が待っている。
これがまた辛いんだわ。
今回は脳梗塞ということで自分で症状が自覚しづらいこともあって、その苦しみが倍加するようだった。
結局救急のベッドにいた時は、実際に四時頃目が覚めて眠れずにまんじりと過ごす時間も多少あった。
だがここでの生活は中々変化に富んだ日々でもあった。三日だけだったが。
次回はその辺りに触れてみようと思う。




