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今日から始める脳梗塞  作者: おっとり魚
第三部 退院、それから
22/61

    血圧のことは忘れたい(3)

 家庭用血圧計の数字と病院の血圧計はいろいろ違う。

特に自分がかかっている病院は高血圧が専門の医者だったこともあって、相応の品が置かれていた。

これに納得行く数字を出してもらわないと、医者の態度を変えさせることはできない。

だが最初はこの数字が家庭用の数字とずれることずれること。

そして家計を圧迫する新薬の薬価。

そんなわけでこの頃はすっかり医者不信になりかけていた。

だからといってもう紹介状は渡してしまったし、今から病院を変えるわけにもいかない。

どうせ近所に他にいい病院もないし。

そして変えたところで結局は同じことである。状況はもっと悪くなったかも知れない。

そう自分に言い聞かせた自分は、その内科にせっせと通い、出された薬を飲み続けた。

結局この測定差は徐々に埋まってしまい、自分の血圧に対する認識は改められていくことになるのだが、今はまだそれがわかる段階ではなかった。



そうして慌ただしく3月は終わり4月になった。

ちょうどこの頃はコロナに関してかなり騒がしくなってきた時期だった。

というか自分は世間から隔絶していたせいもあって、ちょっと感覚が鈍っていたような気がする。

そんな自分にも大分恐ろしさが肌に感じられてきた時期だったと言ったほうがよさそうだ。

3月の終わりに往年の超大物芸人が不意の死去、後に緊急事態宣言などにわかに世間の緊張が高まっていく中、自分は病院に通う間隔をほんの少しだけ伸ばされてほっとし、その代わり期間が伸びた分薬代が増えたことを愚痴ることになった。

どうせ同じことなのだが、心理的に一度に払う費用が増えるのは大きかった。


4月に入って最初に行ったのは歯のクリーニングだった。

大分汚れているしそろそろ行かなきゃ……と思った時にはもう前回からどれくらい経っていたか。

日記をざっと読み直すと、この頃にちょっと熱を出していた。

思い込みばっかり激しい自分はすっかりコロナだ! と慌てふためいていたが、今回も全然違った。

どう見ても単なる熱。


そんな一人空騒ぎを経てから、一つ事態が動いた。

それは唐突に感じた目の違和感。

目の奥に光が生じて消えない。

目を瞑っても開いてもそのまま強いグリーンの光の玉が見えている。

それがずっと浮かんで視界を邪魔してくれる。

かわして覗き込もうとしても当然それはついてくるので、その動きは完全に無駄だった。

おかげですっかり視力も落ちてしまい、まともに文字を読むのがかなり辛くなってしまった。

駄文を書く(ことで言い訳し続ける)くらいしかほとんど世と関われない自分にとって、これは痛い事態だった。

今までなにがあっても目だけは健康で元気だったのだが、その目がやられることがいかに辛いか、初めて思い知らされることに。

話に聞いてはいたものの、いざ自分が患ってみると想像以上のダメージに絶句するしかなかった。

もうゲームをしていても、好きな作家の本を読んでいても、テレビを観ても漫画を読んでもパソコンを弄っていてさえこの光が全てを邪魔する。

仕方ないので寝ている間ですら、意識を失うまで電気が煌々と灯っているのは本当に辛かった。


それどころかこれ再発なんじゃないのか……? と考えた自分は、もう恐ろしくて何も手につかない。

早速内科の先生に泣きついた自分は、入院していた病院への紹介状をもらって、早速その病院へ向かうことにした。

こうしないと大きな病院はとんでもない初診料を取られてしまう。

しかしたった一ヶ月でまた里帰りすることになろうとは……。

しかも世間はコロナ真っ盛り。

小さな街の病院ならまだしも、大きな病院へ行くのは心理的圧迫感があった。

この頃さすがに外出時もマスクを欠かさなくなっていた自分だが、実は親が買っていた使い捨てマスクを使いまわしていたなんてとても言えない。

まあこの頃はまともに手に入らなかったししょうがないのだが。

さすがにこの時だけは新しいマスクを用意してその場に臨んだ自分は、受付で紹介状を出して、入院したことはあっても一度も診察に行ったことはない脳神経外科を初めて訪れた。


狭い通路に予約で待っている客が多い上に、その一部がごほごほと咳をしているのはちょっと怖い。

そんな中に予約ではなく飛び入りでやってきた自分は、大きな病院のセオリーを考えると相当待ち時間を覚悟しなければならない。

それに備えて例のナンプレを用意しておいた自分は、周囲の喧騒から心理的にだけでも逃れようと数字を追い続けたのだが、この時も瞳の奥には明るい炎が灯って絶えず視界を遮ってくれたため、意識は全く集中できなかった。


結局三十分くらいは待っただろうか。

割合早く呼ばれた自分は、初めて会う医者に挨拶して、窮状を訴えた。

以前の症状の確認なども交えて話をすると、やはりMRIという話になってくる。

これで最低でも一万円は出ていくなという心理は、この時自分の気持ちを重くした。

「以前やられた時は腰のせいで出来なかった、と……この症状は現在改善されていますか?」

「いえ、そのままです」

多分一生。

「じゃあMRIではなくCTになりますね」

やれやれという気分に苛まれながら、症状の説明を続ける自分。

着々と進む話の中で、しかし医者は首を傾げ始めた。

「それは脳神経外科の範疇じゃないですね」

え!?

「多分眼科の範囲になります。それも緊急性はかなり低いと思います」


検査をするまでもなく断定されるくらいはどうでもいい症状だったらしい。

いや目的にはかなり辛いんだけど。

結局看護師さんにも「もう次の診察はないと思います」とあっさり見送られて、受付でほとんどお賽銭レベルの額を支払っただけで帰された自分は、その後さらに近所の眼科へ向かうことにした。


この眼科、実は母親ががんだとわかった時に一度訪れたことがある。

また母親絡みの話なのだが、その時の母親はがんだとわかって気が重かったのだろう。

目の不調を訴えて眼科にかかることになったが、場所を調べて段取りを組んでつきあったのは自分だった。

その時の行動がまたこんなところで役に立ってしまった。

全く母親様様の人生だ。

マザコンと言われてもなんの反論もできやしない。

しかしその時の経験がなければ、眼科なんて怖くて行けやしなかったので本当に助かった。

実はその時が眼科の門をくぐる初体験だった。

これまで目に関して医者にかかることは全くなかったので。

コンタクレンズをしている人が目の中をぐりぐり触っているのを見るだけでグロ認定してしまうくらいには、自分は目を弄ることに対して耐性がない。


勝手知ったる(二度目の)病院を訪れた自分は、受付で目の中に光がありますと告げ、また待合に座ることになった。

問診票を書かされたが、二月に脳こうそく発症(恥ずかしいことに漢字では書けなかった……)と書いておいたこともあって、その時は知らなかったが話はトントン拍子に進んだようだ。

視力検査などを経て、瞳孔を開く点眼を受けた自分は、眼底検査というものを受けて暗がりで目を撮影された。

そしてその結果を受けて先生の話を聞くことに。

「二月に脳梗塞にかかられているということは血圧も高かったと思うんですが……これは高血圧の人がよくかかる病気で、血圧が高い状態が長く続いたことによって白い斑点が目の奥にできています。出血している場合など重症化した場合はレーザー手術で焼く必要が出てくる、それ以外で治せなくなるんですが、この程度ならまだそこまでというわけではありません」


いやあ、その程度で大騒ぎしてこのコロナの中病院行ったり来たり何軒も回ってすみません……。

しかしこれが本人にとっては重大事件なんですよ。

下手したら脳梗塞よりもっと辛いことだったくらいで。

そしてこの眼科医は衝撃の治療法を告げてくれた。

「脳梗塞なら内科医にかかって薬をもらっていると思いますが、その先生の言うことをよく聞いて、とにかく血圧を上げないようにしてください。そうすれば自然と斑点は消えていくことになると思います」


はい、結局フリダシに戻ってきました。

高血圧の専門医なら血圧で眼底に異常が出るくらい知っていてもよさそうなものだが……という自分の嘆きは正しいのか間違っているのか。

ここで点眼薬など出てくるのかと思ったが、そういうものではなかった。

次二ヶ月後にまた撮影して経過を観察しましょうと言われただけで帰された自分は、瞳孔が開いてかなり視力が落ちている中、自転車に乗って帰路についた。

多分真似しちゃ駄目。

薬を入れた後、数時間はこの状態が続くらしい。

普段なら何気なくすぐ横をすれ違っていく車が、さすがにこの時だけは少し恐ろしかった。

なんとか家に帰り着いた自分は、今まで以上の視界不良に悩まされ、大人しく横になって一眠りしたが、結局それはいつの間にかなくなって、いつも通りの光が見える状態に戻った。

まあ大事に至らなかったんだからいいか、とその時は思ったのだが……しかしそう事態は甘くはなかった。


実はこの症状、これを書いている十二月現在でも完全に治ってはいない。

まだ濁った点は残っている。

ただその後の血圧が予想以上に低いため、診察の度に状況が改善してはいる。

とはいえ最初の一、二ヶ月くらいはうんざりするほど視界不良に悩まされ、全くなにも手につかない日々が続いた。

その頃もう小説も書けないな……と泣き暮らしていた自分。

照明はMAX状態だと眩しすぎるため、一段階下げないといけない始末。

普段ならそんな暗さではなにも見えないくらいなのだが。

何日過ぎてもクリアになっていかない視界に、本当にこれ治るの? と辛い(無駄な)自問を繰り返していた。

手の動きだけで文章は打ち込めても、それを読み直して修正することが非常に辛かったため、この頃はもう書く気力もなくなって、日々本を読むかゲームをするかくらいしかしていなかった。

それも集中はしきれない。

この話が半年ぽっかり空いたのも、実際はこの高血圧による視力障害という予想外の副産物のせいだったわけだ。


もしこれがなければ、内科医に向けて血圧に関しての不満を散々ぶつけていたかもしれない。

実際二話の内容は最初かなり辛口になっていた。これでも随分マイルドに書き直している。

第三部は内科医とバトルだ! な展開にならなくてよかった。

そう思うと新しい病気のおかげ(せい)で絶妙のカットが入ったともいえる。


次に内科にかかった時、どうでしたか? と聞かれて、脳神経外科から眼科に回った経過を説明。

「結局仕事は先生のところに帰ってきましたよ」とはさすがに言わなかったが、喉まで出かかってはいた。

内科医は「鬱陶しいしさっさと手術すればいいのにね」と他人事のように言ってくれたが、自分は心の内だけで「脳神経外科に回したあんたが言うなよ」と呟いていた。

確かにいっそ手術したほうが楽なくらいその後悩まされることにはなったのだが。


医者ってのは自分の専門以外は想像以上によその畑を知らないもんなんだな……。

この一件で医者とつきあう距離感はよくわかった気がする。

比較的早めに正解に辿り着いたからいいようなものの、これが誤診の嵐でたらい回しの末手遅れだったりしたら笑えない。

全然そうじゃなかったので笑うしかないわけだけど。

こういう綱渡りはいつだってあることなんだ……人は完璧じゃあないのだから。

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