第二話 血圧のことは忘れたい(1)
血圧に関しては中々難しいところがある。
基本上が120くらい、下が80くらいというのが指標になっている。
これより数字が極端に高いと高血圧、低いと低血圧と言われる。
年齢が上がれば自然とこの指標は高くなっていく。だが最近は年寄でもほとんど容赦されない。
自分はそこまで年寄りではないので(そう思っているが段々自信がなくなっていく……)、余計容赦してもらえない。
自分のかつてのアベレージは150/100くらいだった。これは年齢を考えなくてもかなり高い。
だが積極的に治療を促されることはなかったし、自分でも問題だとは思っていなかった。
今思えばそれがよくなかったのだが、それを今さら言ってもしょうがない。
当時は誰もそれに真剣味を持たなかったし、多分いくら言われても実際に症状があるわけでもなく、積極的に改善に乗り出すことはなかっただろう。
むしろ反発を呼ぶだけになっている側面のほうが強い。
ちょっと関係ないがお笑い芸人で有名な人は、上が200以上あったそうだ。
自分でも脳梗塞という明らかな異常を起こしてやっと190を超えたのだから、平時からこの数字がいかに異常かという話だ。
よく死なずに普通に動いているなと思えるが、どうやら話を聞いていると放置状態の時の話で、最近はちゃんと薬を飲んでいるらしい。なんだ。
だがこの数字が自然と低くなったこともある。
それが最初に入院した時のことだった。
背骨を折って動けなかった自分は、食欲もなく病院の「鬼のように大量の飯」に圧倒されていた、
病院のご飯はとても多い。
それはきちんとカロリーや栄養価、塩分まで考えたある種の理想食なのだが、当時の自分はそのバランスの良さが理解できなかった。
実際周囲の話を聞いていても、ご飯を残したという話は結構あった。
それくらい初見だと凄まじい量だ。
ただでさえ動けずにベッドで磔状態の自分が、そんな量のご飯を食べられるわけもない。
この時は水を飲むのも大変で、すいのみというもののありがたさがあれほどわかる時代はなかった。
以後使うことはないが、背骨を折ってベッドアップ(起き上がる、ベッドを上げる両方)禁止だった自分は、すいのみがないと横になったままで水もろくに飲めなかった。
そんな自分はベッドに寝続けてやっと一週間後手術を受け、そこからさらに一週間ベッド上安静を言いつけられてから、完成したコルセットをつけて、ようやく二週間ぶりに起き上がる許可をもらったのだが、促されて立ち上がった途端、立ちくらみを覚えた。
あの時の天地が回る感覚はもう二度と体験できまい。したくもないが。
最初は理学療法士(足のリハビリを担当する人)に「全然駄目じゃないですか」と言われ、「ふざけんな元からだ」と自慢にもならない反発心を大いに燃え上がらせた自分は、よくドラマで主人公が手すりに掴まって必死で歩行訓練をするあれとそのまま同じことを一人で黙々とこなした。
結果二週間後には一人で院内を歩き回れるようになるまで回復した。
退院直前には階段の上り下り運動も加え、病棟内を隅から隅まで歩いたものだ。
あの頃は今より元気なくらいだった。
いや自慢と昔話はいい。血圧の話だ。
話を戻すが、病院の味つけの薄いおかずと米の量がきつめの食事に慣れた自分は、苦手な一部食材を除いて、いつしかキレイにご飯も残さず平らげるようになっていた。
その頃が一番血圧が安定した時期でもあったという話だった。
本当にこの頃は、朝晩の血圧が理想的な数値だった。
だがそれだけではちょっと物足りなくなってきた自分は、存命だった母親に頼んで、お菓子やふりかけを持ってきてもらうようになった。
すると血圧はうなぎのぼり。元の150/100に逆戻りしてしまった。
その後入院時期だけ理想値、帰宅後はまた高めに戻っていた自分は、病院の食事が理想的な血圧食であることを理解してはいた。
またどうやってバランスを取るか冷静に見て、その上で帰宅後は「あんなの家で再現するのは無理だな」と一度は完全に諦めたのだが、結局その無理な注文を今回自分自身で再現しなければならなくなったわけだ。
その計画は食事回で既に触れた。
今回の入院中、最初は酷かったものの血圧は徐々に落ち着き、130/100程度に数値が収まってきていた。
理想的な食事を食べてこの数字なのである。今回はどうしても数字が下がりきらない。
今までいかに乱れていたかがよくわかる。
そして血圧というのは、一度上がると中々下げるのが難しいらしい。
とりあえずこの数値を、家の食事でもなんとか安定させさらに下げなければいけない。
だがここで問題が発生した。
早速家で塩分0の食事を作った自分は、味はともかく食事としては最強だったと自画自賛しつつ、食後家にある血圧計を使ってみたが、数字は無情というか「壊れてんのか」という数値を示していた。
最初の数値はなんと153/100。
これでは元の木阿弥である。
なんでこんなに高いのか。
昼は塩分0だったよ? しかも退院した今日の朝から降圧剤も飲んでいるというのに。
これじゃなんのための降圧剤で減塩食なのかとマジギレしたくなる数字だった。
前日までは病院の食事だけを食べていたというのに。
今思うと昼食後に数値をとってもしょうがないのだが、まあそれはとりあえず置いておく。
しかもこれが夜にはさらにひどくなる。
その数字は驚異の199/136。
死んでるだろという話である。
救急搬送された時ですら出ていない数値が一発で出た。
さすがに血圧計を叩き壊したい気分だ。
しかもこの血圧計は三年前に買って、そのままほぼ使われずに放置されていた代物。
某メーカーの結構な上級モデルの品である。
家庭用血圧計も色々ある。
一つは手首式で、これは手軽で簡単。値段も安いらしい。
だが上腕式と言われるカフを巻きつけるタイプに比べると、信頼性は落ちると言われている。
そのため今は亡き母は医者の勧めに従い、当時最新モデルだった上腕式血圧計を購入したいと言った。
その命を受けて、実際に某通販で購入したのは自分だった。
その医者の元でエコー検査を受け、すい臓に影があると紹介状を書いてもらった話は以前もした。
すい臓がんになってしまった彼女はもう血圧計を顧みることはなく、それはずっと押入れに死蔵されていたわけだが、それが回り回って自分のために生き返ることになった。
そんな逸話を持つ血圧計が、早速このていたらくである。
もしこの数字が事実なら、自分はいつまた倒れてもおかしくない。
次こそ自力で救急車を呼べなくなるかも知れない。
恐怖に怯えながら自分はやっぱりいつも通り「様子を見よう」と思ってしまった。
とりあえず荷解きした荷物だけはできるだけ現状保存して、玄関に置いておくことにした。
こんなことをしても無駄かも知れない。
今度こそ助けも呼べずに死体を晒し、床に人型の跡を残すことになるのか。
やっと友人に帰宅を告げたばかりなのに。
どうしたらいのかさっぱりわからないまま、自分は風呂に入るのにもビクビクしながら不安な帰宅最初の夜を迎えることになった。
よく考えたらそれはヒートショックに対する恐怖で、どうせ暖房をろくに使わない貧乏我が家では大した寒暖差はないのだが。
その後何度か非常に出来が悪くわかりにくい説明書をひっくり返し、巻き方など試行錯誤し倒して、やっと170/110という数字が出た。
これでも相当高い数字なのだが、もうそれ以下にはならなかったので、諦めることにした。
なので病院でもらった血圧手帳やパソコンでつけている日記には、このかろうじて低めの数値が書き込まれている。
この時点で正確な測定方法ではないことははっきりしておきたい。
しかし手帳に199/136と記入してしまうのは、自分の心を破壊することになってしまう。
ごめんよ……悪いのは君じゃないんだ。
人間は自分に言い訳しながらでないと生きていけないことがあるんだ。
全部ただの責任転嫁だが。
しかしどう考えても退院直後から異常である。
この時自分の中で血圧に対する信頼性が崩壊した。
だがこれは血圧というものがいかに難解かを示す入り口でしかなかった。
この時はただただ恐怖だけに支配されていた……結局今も無事生きていることだけが救いである。




