お砂糖の雪
とっぷりと夜になった森の中を一人の少女が走っていた。赤茶色のウェーブがかった髪を振りまいて、星がよく見える原っぱを目指していた。手には魔術用の簡易テーブルと粉砂糖の紙袋。そして、肩にはこの少女の相方である、おいらが座っている。
「アカリさまぁ。それ、またやるんですか……?」
「やるわよー。昨日は呪文が間違っていたから、お砂糖が真っ黒焦げになっちゃったの。今度はしっかり覚えてきたから上手くいくはずだよ!」
いや、そういうことじゃないんだけど……。おいらはアカリ様の肩にため息をついた。
「あー、りすのすけったらわたしがまた失敗すると思ってるんでしょ。ひっどーい」
「まあ、それも思いましたけど。それよりも魔法学園からこんなに砂糖を持ち出して、いつか怒られちゃいますよ。おいらはそれが心配で……」
「なあんだ。そんなの怒られたって平気だもん。もう慣れちゃった」
慣れたって……。そんなにけらけら笑わないでくださいよ。怒られるのはおいらも一緒なんですから。
おいらがいじけている間も無く、アカリ様は森の中でぽっかりと開けた場所に到着する。星がよく見える原っぱとはここのことだ。周りに木が生えていないから、上を向くとつきぬけるような空を眺められる。下を向くと昨日の砂糖を焦がしたあとが残っていた。
背の低い草の上にテーブルを組み立てて、その上に砂糖をどっさりと盛る。手の込んだ魔法ではないので準備はこれで終わり。あとはひたすら待つ。アカリ様は地面に座り込んでじっと星を見つめていた。おとといはこのまま眠ってしまい気づいたら朝になっていたのだが、きっとそのことはもう忘れているのだろう。
数十分経ったところでアカリ様は立ち上がった。目的の、三つ綺麗に並んでいる星がちょうど真上に来たのだ。
「よーし、行くよ、りすのすけ!」
ここまで来ては怒られようともやるしかない。
テーブルを前にしたアカリ様は、まず砂糖を見つめた。ゆっくりと息を吐きながら心を落ち着かせる。充分に心が砂糖で満たされたところで、今度は両手を天に向ける。天頂の三つの星に向かって呪文を唱えるのだ。
瞳を鏡のように光らせながら、アカリ様は口を大きく開けた。
「リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ」
息の続く限り無心で唱え続ける。こうして星の力を砂糖に分け与えていくのだ。ところで、昨日はどうしてこんな呪文を間違えたのだろうか。おいらにはさっぱりわからない。
「リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ」
魔法が効いているならそろそろ砂糖に変化があってもいいころだ。まだ何も起こらない。今日もまた失敗かな?
「リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ」
そろそろアカリ様の息が切れるころだ。ああ、見ると顔が赤くなっている。もう限界だな。砂糖のほうは……。あっ!
「アカリ様!」
「リリリリリリリリ……えっ? わあ、やった!」
テーブルの上の砂糖がゆっくりと浮き上がっていた。それはするすると星に吸い込まれるように昇っていく。夜闇に浮かぶ白い砂糖は、まるで新しく星たちの仲間入りをしていくようだ。
「ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ」
一呼吸置いてまた呪文が唱えられる。これがうまくいけば大成功になるのだが……。
……ザバッ。
「きゃっ!」
おいらとアカリ様は一瞬で砂糖まみれになった。空に浮かんでいた砂糖が一気に落ちてきたのだ。もちろん魔法は失敗。それもおいらの大事なしっぽまで砂糖をかぶってしまう大失敗だ。これにはアカリ様も相当のショックを受けたことだろう。うずくまったままのアカリ様にちょこんと前足かけて慰めのポーズ。
「アカリ様……」
「ふふ、……あははっ!」
あれ? アカリ様?
「すごいよ! 半分成功したよ! お砂糖浮いたんだよ! よーし、明日は全部成功できるかも」
全然落ち込んでない。むしろはしゃいでいる。自分に砂糖がかかっていることなんて気にしていないみたいだ。
「アカリ様、あの早く学園の寮に戻りましょうか。お風呂に入らないと、髪の毛がべとつきますよ?」
というか、おいらが入りたい。
そんな感じで浮かれるアカリ様を何度もせかして寮に戻ったのは、門限を少し回ったころだった。もちろん門限なんてものを気にする人ではなかったが。
次の日。
昨日の失敗なんて何のその、今日も元気にアカリ様は魔法学園生活を送っていた。遅刻、居眠り、机に落書きなんていつものことだ。いくら注意されても気にする様子がないので、最近は先生も無視するようになった。とうとう見放されたかと頭を抱えるおいらをよそに、アカリ様はこれは好都合と好き勝手を続けている。
しかし、それをよしとしない人がまだいたようだ。放課後の廊下でのことだった。
「ね、ね、りすのすけ! 今日はこんなにお砂糖見つけちゃったよ。今日こそは絶対うまくいきそうな気がする!」
「はは……そうですね。アカリ様の野望もそろそろ終わりにできるといいですね」
「やだ、そんな野望だなんて……あれ?」
「アカリさん、ちょっといいかしら?」
目の前には仁王立ちした三人の女子生徒がいた。金髪のロングヘアーと、黒髪が二人。表情から察するに、どうやらお友達になりましょうとは続かないみたいだ。なんだかすごい威圧感を発している。アカリ様、どうする?
「……誰だっけ?」
おお、全然動じてない。相手の肩が、かくんと落ちる。見事に出ばなをくじかれたのが効いているらしい。最初の顔に戻るまで五秒ほどかかった。
「……同じ寮の生徒の顔ぐらい覚えておいてほしいものね」
そうでしたか。寮が同じでしたか。アカリ様の顔をのぞきこむと、まだぽかんとしている。心当たりがないみたいだ。おいらと一緒。
「まったく、肩に乗っかっているリスとそろって間が抜けているんだから」
金髪がさらりと笑った。おい、ちょっと待て。アカリ様はいいとして、おいらが間抜けとはどういうつもりか聞かせてもらおうじゃあねえか! アカリ様、こいつに向かってがつんと言ってやってくださいよ!
「で……、お話ってなんですか?」
あれ、スルー? いやいや、そんなことはない。めったに聞くことのできないアカリ様の敬語は、相手への不信感の表れとおいらは見た。これはひと騒ぎあるかもしれないぞ。
「ああ、そうそう。話があるの。アカリさん、あなた最近、夜中に寮を抜け出して門限過ぎるまで帰ってこないそうね。何をしているか知らないけれど、そういうことをされると私たちまで迷惑するの。わかる? 寮の品格が崩れるのよ」
ああ、それか。アカリ様は門限破っているわけだし、怒られて当然だ。でもこう言われて黙っているアカリ様じゃない。
「いいじゃない、ちょっとぐらい。だいたい門限なんて先生が勝手に決めたもので、守る意味ないもん。それにわたしだって意味もなく外に出ているわけじゃないし」
「じゃあどんな理由があるって言うの? まさかあなたのことだから、男子寮に忍び込んで色恋沙汰ってわけじゃないでしょうに」
確かにそれはない。
「いいよ、教えてあげる。わたしはね……」
ゆっくりと三人を見回す。ずっと後ろにいるだけの黒髪が、ごくりとのどを鳴らした。
「わたしは夜空に、コンペイトウの雪を降らせようとしているのよ!」
「え?」
しばし沈黙。金髪、他二名が目を点にしている。そうなんです。何をやっているって、こんな子供っぽいことやっているんです。おいしそうだからって。おいらは反対したんですよ。
「きゃはははは! なにそれ? そんな魔法聞いたこともないわ! コンペイトウが空から降ってくるの? 無理無理。っていうか、あなた魔法のテストはいつも赤点すれすれじゃない。そんなことより、授業の復習をしたほうがいいんじゃないの?」
そして大爆笑。黒髪の二人もここぞとばかりに声を上げて笑う。
いよいよアカリ様はほっぺたをはちきれそうなほどに膨らまし、こぶしをぐっと固めた。その手で殴るのではなく、びしっと金髪に向かって指を突き出した。
「そんなに言うなら、実際に見せてあげる。今夜、三星が真上に昇る頃、森の奥の星がよく見える原っぱで待ってるから!」
「へぇ、見に行ってあげようじゃないの。ちゃんと夜間外出許可をもらってね。だけどね、もしこれで失敗でもしたら、校長先生に門限破りのことを言いつけるからそのつもりでいてね。じゃあ、今夜楽しみにしているわ」
高笑いを廊下中に響かせて、金髪は去っていった。ついでに黒髪も。嫌みな奴らだったけど、言っていることは正論なんだよな……。アカリ様も考えを変えたりしてくれないだろうか。
「りすのすけ! 夜まで魔法の特訓するよっ!」
そうだった。他人から言われたぐらいで考えが変わるようなアカリ様じゃなかった。もうなにがなんでも成功させてやろうとする意気込みが、おいらを乗せている肩の動きだけでわかる。
それで特訓とは何をするのかと思いきや、いきなり廊下を走りだしたのだった。
そして夜。アカリ様は星のよく見える原っぱで簡易テーブルに砂糖を広げ、三つの星が天頂に位置する時を待っていた。その動作は昨日とまるで同じだが、今日は気合いが違う。手に力が入っているし、手順を何度も確認するし。それもそのはず、今回はこれまでと違って金髪たちとの勝負なのだ。そんなこと無理だと笑ったあいつらをぎゃふんと言わせるために、アカリ様は特訓を重ねてきた。あんなに真剣なアカリ様を見たのは、おいらも初めてだった。しかし……。
「アカリ様。なんで魔法の特訓なのに、マラソンだったんですか?」
そう、アカリ様はあのあとひたすら走っていたのだ。いつものおやつの時間も忘れて、夕食の時間を過ぎるまで三時間ほど。確かによく頑張ったと思うけど、魔力を鍛えるなら別の方法があったんじゃないのかな? アカリ様は何を考えて走っていたのだろう。
「はいかつりょう、よ」
「え? 肺活量……ですか?」
「そう、もっと声が大きくなるように鍛えていたの。昨日は途中でお砂糖が落ちちゃったでしょ。それはたぶん私の呪文が空の三星に届かなかったからなのよ。この魔法は星の力を借りるものだから、もっと大きな声を出せばきっと星にも聞こえるはずだよ」
な、なるほど……。って、そんなわけがない! 声の大きさで魔法の結果が変わるなんて聞いたことがないし、それに呪文は普通ぼそぼそと小声で唱えるものだ。だいたい声が星に届くだなんて本気で考えているのか、この人は!
と、猛反論を心で叫んだが、おいらはそれを口にしなかった。今からアカリ様を不安にさせることはない。魔法の成功に必要なのは、大声ではなく自信。できると信じる心こそが大切なのだ。その点、今のアカリ様は過剰なぐらい自信に満ちている。ある意味ベストコンディションだ。もしかしたら、今日は上手くいくかもしれない! なんだかおいらにも自信がわいてきたぞ。
「よーし、今日こそ成功させましょう、アカリ様!」
二人でガッツポーズ。今夜の天気は、晴れのちコンペイトウだ!
そのやり取りが済んでからしばらくして、彼女らは森の奥からやってきた。金髪と、黒髪が二人。「あら、本当にいたわ」などと言いながら近づいてくる。
「お待たせしたわね、アカリさん。調子はどうかしら? ちゃんとコンペイトウは降らせられそう?」
金髪の見下した態度に、アカリ様の目がきゅっと鋭くなる。
「もう少し待っててね。あの三星が真上になったら見せてあげるから」
金髪は腕を組んで、手近な木によりかかった。アカリ様はそれに背を向けて、星空を見上げる。
三星が天頂に昇った。
「リリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ」
深夜の森に、アカリ様の大声が響きわたる。マラソンの効果なのか昨日よりもずっと声量があった。これには金髪たちも少々度肝を抜かれたようだ。お互いに視線を交わして首をかしげていた。
だが、そんな観衆に対して砂糖のほうは順調にするすると天へ伸びていく。一本の絹糸のように、星明かりを受けてきらめきながら夜空に消えていった。
第一の関門を突破した。しかし、これぐらいでは金髪も驚かない。ものを浮かせるなんて魔法の基本。誰にでもできる。問題はこれから。
「ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ」
宙に浮いた粉砂糖を、コンペイトウに変えなければいけない。これが難しいのだ。手元で行えば様子を見ながら微調整もできるが、今は上空にあってまったく見えない。加えて、砂糖の変形に気を取られすぎると、昨日のように砂糖が地面に落っこちてしまう。いくら三星の力を借りて浮かしているとはいえ、楽な作業ではない。
はたして、アカリ様は上手くコンペイトウを作れるのか?
「あっ!」
黒髪の一人が声を上げた。星空の中にきらきらとした何かが見える。粉砂糖が落っこちてきたのか? いいや、あれはもっと透明感のある、アメのようなものだ。ということは、もしかすると……。
「と、止まってーっ!」
呪文が途切れ、叫び声。
アカリ様の声の先にコンペイトウはなかった。きらきらとした、サッカーボールほどの大きさの、氷砂糖。ものすごい勢いで夜闇を突っ切って、頭上を越えた。そしてバギバギッと何かが破壊される音。静寂。
「な、なに今の?」
予想外の出来事に、誰もが戸惑いを隠せない。
どうやらアカリ様は、コンペイトウではなく氷砂糖を作り出してしまったのだ。硬くて重いその塊をアカリ様が支えきれず、氷砂糖は隕石のように地上に落ちた。そんなところだろう。これは大変なことになったぞ。もしかしたら怒られるぐらいじゃ済まないかもしれない。なぜなら。
「ねえ、今落ちたところって、学園の校舎のあたりじゃない?」
この時ばかりはアカリ様の顔が青く見えた。
「あなたは自分で何をやったのか、わかっているのですか」
「…………」
「毎晩のように寮を抜け出したってだけでも指導ものなのに、校舎の天井を壊しただなんて先生には考えられません」
「…………」
「ったく、今回は反省文を書いてもらうだけにします。でもこういうことがもう一度あるようなら、次は退学まで視野に入れることになりますよ。……では、今日のところはもういいです。反省文は今週中に提出してください」
ガラガラっとドアをスライドさせて退室。職員室に呼び出されながらも、おいらの責任を問われなかったのは幸いだった。
一方アカリ様はしっかり怒られていた。氷砂糖が校舎の天井に大穴を開けたんだから当然だし自業自得と言える。ちなみに、アカリ様の仕業だとばれたのは、金髪たちがあのあと事務室に駆け込んで事態を説明したからだ。余計なことを、とも思うけど正当な判断だった。
「ちぇ……今回は上手くいったと思ったんだけどなあ」
ろうかを歩きながらぼやくアカリ様。なんとなく他の生徒の視線が集まっている。昨晩のことなのに、話が広まるのは早い。
「でも、反省文だけで済んでよかったですね。そんなに気を落とすことはないですよ」
実際おいらは、停学ぐらいはあり得ると思っていた。反省文だけならほとんど罰を受けないに等しいだろう。決まり文句を並べればそれだけで反省したことになる。
「まあ、これに懲りてもう変な真似はしないでくださいよ」
「うーん。そう……だね……」
何と言っても、次にやらかしたら退学もありうるみたいですから。
案外アカリ様があっさり説得に応じてくれたので助かった。さすがにこっぴどく怒られて、気が沈んでいるのだろう。そういえば足取りも小さく重たい。このままおとなしいアカリ様になってくれれば、相方としてどんなに平和なことだろうか。どうか、アカリ様の闘志を刺激するようなことが起こりませんように……。
「あら、変に暗い人がいると思ったら、アカリさんじゃないの」
でたっ。昨日の金髪。他二名。
「私もまさか氷砂糖が空から降ってくるとは思わなかったわ。本当にすごい魔法ね」
ちょっと、そんなにからかうようなことを言うな。おいらのためにも。
「とにかく、私の言ったとおりコンペイトウの雪を降らすだなんて無理だったのよ。ちゃんと聞いていれば怒られることもなかったのに。ま、これからは目立たなくしていることね。バァイ」
そして金髪、他二名は去っていった。あいつら嫌味を言うために来たのか。せっかくアカリ様がおとなしくなりそうだっていうのに。
アカリ様、あんな奴の言うことに付き合ってちゃだめですよ。あれ、なんで肩がぷるぷる震えているんですか? 呼吸が荒いですよ、落ち着いてください。アカリ様!
「……このままじゃ、やめられない……」
ああっ。戻った! もとのアカリ様に戻ってしまった!
「絶対にコンペイトウの雪を降らせて、あの金髪をぎゃふんと言わせてやる。それで平謝りでもさせて、二度と生意気な口を開けなくさせるんだ……」
い、いや戻ったと言うより、前よりも荒い性格になっているような?
「アカリ様、待ってください! もう二度とあんなことしちゃだめですって。今度下手な真似したら退学ですよ」
いくら負けず嫌いなアカリ様でも、退学を突き付けられたら諦めるしかない。学校を追い出されたらそれこそ金髪たちの笑いものだ。
「ふふ、退学ね……」
『退学』という言葉に似合わない笑みを口元に浮かべる。
「じゃあ、次の一回で成功させればいいんじゃない!」
「えええーーーーーっ!」
おいらの苦労はまだ終わらない。
「そうと決まったら、さっそく作戦会議よ」
むむ、作戦とは。珍しくアカリ様が頭を使って事を進めようって言うのか。さすがに退学がらみだと慎重になるのも当然。
「わたしは、さっき先生に怒られたばかりで監視の目が厳しいと思うの」
うんうん。確かにそうだ。それで?
「だから……、りすのすけ、あなたが粉砂糖を調達してきて。お願い」
「ええっ?」
言い返す前に肩から落とされた。
そりゃあ、アカリ様が砂糖を取りにいくところを見つかったら、反省してなかったことがばればれだ。でもだからっておいらを使いにするなんて、ひどい。と言うか、今のは作戦会議でも何でもなかったような気がするんですけど。他に考えがアカリ様にはあるのかな。
「あの、おいらが砂糖を取りに行くあいだ、アカリ様はなにを?」
「はいかつりょうよ」
…………。何も考えていなかった。
そして別れのあいさつもなく、アカリ様は走り去る。取り残されたおいらは大きく息を吐いた。この学園とももうすぐおさらばかもしれない。よく見ておこう。砂糖のある調理室はたしかあっちの方だったな。
放課後ということもあって調理室には誰もいなかった。すでに二度三度と忍び込んでいるので砂糖を持ち出す手順にもぬかりはない。
ああ、こんなことに慣れるつもりはなかったのに。
天井近くの換気窓から砂糖の袋を落とす。ついでおいらも壁を駆け下りる。あとは人目の少ないろうかを使って砂糖を運びだせばオッケー。よーしとっとと終わらせるぞ。
「あら、アカリさんが来ないと思ったら、りすのお使いが出ていたのね」
いつの間にあいつがいた。
砂糖を背負ったおいらの前に立ちふさがる三人組。言うまでもなく金髪の女子生徒とお供の二人だ。こんなところにいるってことは、アカリ様がまた砂糖を持ち出しに来るとよんで待ち伏せしていたのか。
「相方にこそ泥をやらせるだなんて、アカリさんにしてはいい考えじゃない。本人が来たらそのまま職員室に突き出そうと思っていたのに」
「そんなにアカリ様を退学にさせたいんですか?」
その問いに対し、金髪がばかにしたようにくすりと笑った。
「別に。でもこれ以上寮生の評判を下げたくないの。いつだったか言ったでしょ。アカリさんにはもう騒ぎを起こしてほしくない。それができないようなら、まあ、仕方ないわよね」
ふむ。気に入らないけど、わからなくはない。ちょっと納得だ。
「ふふ、りすさんも私たちに賛成のようね」
ええっ? おいらってそんなに顔に出るタイプだったかな。ぎくりとした瞬間、金髪はおいらの前にしゃがみこんだ。
「そうだ、りすさん。あなた、私の相方にならない? ちょうどいなかったのよ」
「はあっ?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
「あなたが私の相方になって、その砂糖をアカリさんに届けなければ、退学になることもないわ」
まあ、そりゃ。
「それに、そうね、私のところならアカリさんよりもずっとゴージャスな食事を出してあげる。どうかしら、お互いのためになると思うのだけれど」
ゴージャスねえ。そういえば昨日の晩ご飯はなんだったかな。ああ、アカリ様の帰りが遅かったから抜きになったんだった。
ふむ。確かにおいしいものは食べたいけど……。
「そんなに深く悩む必要はないわ。そうするのが一番いいに決まっているじゃない。じゃあ、これもあげる。きっとあなたも好きなんでしょう?」
そう差し出されたのは、コンペイトウだった。アカリ様のおやつの定番。そしておいらの大好物でもある。
おいしそう……。おいらはゆっくりと手を伸ばす。金髪が満足気に微笑んだ。
そして。
「じゃっ、そういうことで!」
コンペイトウをつかんでおいらは走り去る。砂糖の袋も忘れずに。
「あ、ちょっと、待ちなさい!」なんて金髪が騒いでいるけど、おいらがあいつの相方になるわけがないじゃないか。だいたい狙いは分かっている。相方に寝返られたとしたら相当の恥だもんな。それをネタにして、アカリ様をからかおうとしたんだろう。おいら一人と金髪とが出くわしたのは偶然だから、他に深い考えがあったとは思えない。
角を曲がって金髪たちの姿が見えなくなったので、おいらは砂糖の袋を床に置いた。金髪から頂いたコンペイトウは、持っていてもしょうがないのでとりあえず砂糖の袋の中に入れる。
さて、ちょっといろいろあったけど、後はこの砂糖をアカリ様にわたすだけ。休憩もそこそこに砂糖を背負いなおした。お使いはさっさと終わらせてしまおう。
……あれ? そういえば、砂糖を持ち出したことを金髪に知られたのは、もしかしたらまずかったのかな。
その後おいらは学園内を走り回るアカリ様と合流し砂糖を手渡したのち、夕食の時間までマラソンに付き合わされた。
そしてまた、夜。
「今日こそは成功させないとね」
簡易テーブルを組み立てながら、アカリ様は独り言のようにつぶやいた。
「昨日みたいに失敗するわけにはいかないから」
「ええ、そうですね」
おいらも短く答えた。もし今日も目立つ失敗をしたら、今度こそアカリ様は退学だろう。いくらアカリ様でもそれは避けたいに違いない。
「でもねえ。昨日なんで失敗したか全然わからないんだよ。りすのすけ何か心当たりある?」
へえ、アカリ様が過去の失敗を反省しようとしている。今までは思いついたままに行動して、失敗したら「そんなの忘れちゃった」って言うような人だったのに。ちょっとは成長したじゃないか。
「りすのすけ?」
ああ、失敗の原因ね。それは……。
「いや、わかりません」
考えてはみたもののさっぱりだ。
呪文は間違えていなかったから、あとはアカリ様の精神力の問題かな。集中が途切れたとか、気が散ったとか。おいらにはわからない。
「やっぱり声が小さかったから……」
いやだから、それはないですって。
「せっかくおやつの時間も削って、はいかつりょうを鍛えたのに」
それはいいとして。まずいなあ、アカリ様が弱気になってる。失敗から学ぼうとするようになったのはいいけど、それに引きずられちゃあだめだよ。昨日はものすごい自信に包まれていたから成功の可能性もあったけど、今の状態じゃ絶対に無理だ。
昨日の失敗の原因と対策を見つけ出して、アカリ様の自信を取り戻さないと。
「むむむ……」
だめだ。アカリ様のメンタル面のことはおいらにはわかりっこないし、下手な助言はかえって不安にしかねない。
いや、でもこのままじゃ。
「そろそろ、三星が真上にくるよ」
ああ、タイムリミットがせまる。万事休すか。
アカリ様が静かに砂糖を簡易テーブルに広げる。
「あれ?」
「あ」
粉砂糖の中に、ピンク色のかけらが光っていた。それをアカリ様がつまみ上げる。
「なんで、お砂糖の中に、コンペイトウが……?」
思い出した。さっき金髪からくすねたやつだ。最近食べてなかったから、あとでこっそり食べようと思って袋に入れといたのに、すっかり忘れてた。
手に取ったコンペイトウをアカリ様がまじまじと眺めている。そうだなあ、ここしばらくおやつを食べてないのはアカリ様も一緒だから、そのコンペイトウはあげてもいいけど。
んっ?
「そうか!」
「えっ? どうしたのりすのすけ?」
びしっと、おいらはピンク色のコンペイトウを指差した。
「アカリ様。それ、よーく見てから食べちゃってください」
「えっ? どうして?」
おいらにはわかってしまったのだ。アカリ様がどうして昨日失敗したのか。そして、今日成功するにはどうすればいいのか。
「コンペイトウのイメージですよ」
「イメージ……」
「そうです。アカリ様がやろうとしている魔法は、見えない位置にある砂糖をコンペイトウに変えるものです。砂糖を見ながら形を整えられないのなら、頼れるのは自分の頭の中にあるコンペイトウのイメージだけじゃないですか。アカリ様は毎日のようにコンペイトウを食べていたから、そのイメージは完璧だと思っていたんですけど……」
アカリ様がはっと顔をあげた。
「そっか。昨日はずっとマラソンしてたから、おやつのコンペイトウを食べなかった。コンペイトウのイメージがちょっとずつあやふやになっていたんだ!」
「はい。食べてないのは今日も同じです。だから、そのコンペイトウを食べてください。コンペイトウのイメージをここで思い出すんです」
こくりとうなずいて、コンペイトウがアカリ様の口に入れられた。
舌の上でゆっくりと転がして、目を閉じて深く味わいながら、最後はぽりぽりとかみ砕いた。
「そうだった。コンペイトウってこんなだったよね。ころころしていて、甘味がやさしくって。細かくかんだらすぅっと溶けていく……」
何度もうなずきながら、ゆっくりと目を開いた。
「うん、思い出した。これがわたしの大好きなコンペイトウ。もうすぐ空から降りてくるコンペイトウ」
アカリ様が簡易テーブルの粉砂糖に向きなおった。空の三星はもうすでに真上に来ている。もう時間がない。
「りすのすけ、いくよっ!」
「はい!」
そしてアカリ様は大きく息を吸う。
「先生、こっちです。この先のちょっと開けたところでアカリさんが」
「本当にアカリさんは困ったものですね。今日注意したばかりだというのに」
「そうですよね。もう退学ってことでいいんじゃないですか?」
「ええ。当然考えに入れなくてはいけません」
「ふふ。あっ、いました。ほらそこにアカリさんが」
声が聞こえた。聞き取れたのはおいらだけだろう。アカリ様は砂糖を浮かせる呪文に集中しているから。
話していたのは間違いなくあの金髪と学園長。やっぱり来たか。調理室で見つかったのは失敗だった。しかも学園長を連れてくるなんて。
「ロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ」
呪文が変わった。アカリ様は砂糖を空に上げ終わったみたいだ。
ここからはコンペイトウの形を作る一番難しいところ。今、邪魔されるわけにはいかない。
「ちょっとアカリさん! これ以上続けると退学の可能性もありますよ!」
ガクエンチョー! 今話しかけないで。
「そうよ。これ以上学園を破壊されたらたまんないのよ。門限だってとっくに過ぎてるし」
金髪も詰め寄る。こら、やめろ。アカリ様に触るな。だめだ、このままじゃまた失敗になる。ええい、ならばおいらがっ。
「こらーっ! そこの金髪、ちょっと止まれーぃ! ……あ、学園長もどうぞお止まりになってください」
ふっ、決まった。二人ともぴたりとこちらを見たまま動かない。こういうのを鶴の一声って言うんだったよな。
「はぁ? 何言ってんの?」
……い、いや。なんか見下されてる……。
「これ以上アカリさんに好き勝手やられたら、私たちの迷惑、学園の迷惑、全員の迷惑なのよ。一回注意されて懲りたかと思ったら、今日もまたやってるじゃない。もう我慢できない。あんな奴とっとと退学になればいいのよ」
「くっ、学園長……」
「ええ、正直私たち教師側もアカリさんには手を焼いていまして。この様子では退学もやむを得ないかと思います」
そんな。確かにアカリ様は校則違反とかさぼりとかは平気でやってるけど、本当に人に迷惑をかけるようなことはしないんだ。退学に値するようなことなんて、していない。学園を破壊はしたけどあれは事故。アカリ様が壊そうとしてやったことじゃない。
そう。周りが考えているほど悪い人じゃないんだよ。おいらはそのことをこんなにわかっているのに、金髪一人にすら伝えられないなんて。
「黙ってるんなら、私がアカリさんを止めてくるから。もたもたしててまた学園を壊されたら、ここに来た意味がないもんね」
金髪はおいらの横を抜けて、ロロロと唱え続けるアカリ様に手を伸ばした。
「ちょっと待って! 本当に、今日は成功しそうなんだ」
必死で上げたおいらの叫びも届かない。アカリ様の肩ががっしりつかまれる。
「きゃっ!」
絶え間なく続けられた呪文が、止まった。
森は突然にしんと静まりかえる。
「だ、誰? ってあの時の……。何でこんなところにいるのよ」
振り返りざまに悪態をつくが、さっきまでの呪文に比べるとどうしても勢いがない。あれほど一心にやってきたことを、こんな形で断ち切られたのだから。
おいらはそれを確かめずにはいられなかった。
「アカリ様……。砂糖はどうなりました? もしかして……」
おいらに向けた目が伏せがちだったのは身長差のせいではないだろう。
「や、やっぱりだめでしたか……」
「もうそろそろだと思ったんだけどね。結構いい線いったんだけどなあ」
はあっとダブルでため息をついた。この後何時間もいじけそうな感じだ。
でも、それを待てない人もいる。
「ちょっとアカリさん。失敗だとしたら、空に上がった砂糖はどうなるのかしら」
金髪が恐る恐るに声をあげる。だいたいお前が邪魔をしたから失敗したんだ。それなのに失敗したらしたでびくびくして、調子よすぎるよな。というか、おいらも「今声をかけたら失敗するぞ」って言えばよかったんだ。ああ! もっと早く気付いていれば。
とにかく今思うのは、昨日みたいな氷砂糖が降ってきませんように。
おいらの願いは空にまでは届かなかったのか。あっとアカリ様が声を上げると空からきらりと光る何かが落ちてきた。昨日と同じ透明感のある光。それがまっすぐおいらのほうに向かってくる。
え、おいらのほうっていうかこれ直撃コースだよ。まずいよ逃げなきゃ。まだ小さくしか見えないけど、早くしないと……。
「いてっ」
まだ小さく見えていたはずの氷砂糖がおいらの頭でこつんと音をたてた。
「なんだ、ずいぶん小さな氷砂糖だったな。これなら落ちてきても危なくない……。あっアカリ様これってもしかして」
見上げた。アカリ様も空を見ている。きらきらと雪のように舞う無数のコンペイトウを見ている。
「すごい……。りすのすけ、成功してたんだ。コンペイトウが降ってきたよ」
興奮した横顔が、落ちてきたコンペイトウを口で受け止めようとしている。
次第に数は多くなり、輝くコンペイトウはいつしか三つ星から延びる光の束になっていた。コンペイトウが夜空を照らす。その中心にアカリ様がいた。
「校長先生……。成功しましたね」
「そうですね。ああ、最後の最後で不本意に呪文が途切れてしまったから私がちょっと手を入れたんですけど、それはアカリさんには内緒にしておいてもらえますか」
「はい。校長先生の頼みであれば。でもあれ、ちょっと悔しいけどきれいですね」
「そうですね、こんなに神秘的な魔法を生み出せる生徒だとは思っていませんでした。ふふ、これでは退学にさせるわけにはいきませんね」
後ろの方で二人の会話が聞こえた。でもアカリ様の耳には届いていないのだろう。
アカリ様は空から受け止めた一粒を口にしたまま、笑ってるのだから。
「うん、おいしい!」
せっかく作者登録したので、昔書いたものにちょっと手を入れたものを投稿してみました。オリオン座を見ながら考えた話です。