書類提出
翌日。
「なんで印刷かけねばわがんねんだよ、メールで良くね?」
「あのなトラ、お奉行のハンコ貰わなきりゃならないだろ。君のハンコももちろん要るんだ」
昨日の走屍の一件。
藩奉行に提出する書類を一明は虎緒に作らせていたのだが、これがまた文才が無い。
魔物憑きと思われる男に対処する際、賀茂同心部長の命令によりやむ無く斬った。
「……君なぁ、自分の行動だけ書いてどうする」
「『簡潔かつ明瞭に』ってお前が云ったんだっちゃ?」
「やり直し!こんなもの送れるか」
……と、朝イチで始めた報告書作成は昼過ぎにやっと見られる代物になった。その間一明はつきっきりである。
一明が作成すれば良いのだが、それでは虎緒の今後の成長に差し障る。報告書はこれから何度となく作らねばならないし、昇進試験などにも作文がある。
「さ、お奉行にハンコを貰いに行くぞ」
お奉行──寺社奉行──には既に話は通してある。虎緒に文書を作らせる事、持っていく事も含めてだ。
平同心の虎緒がお奉行に目通りする機会は滅多に無い。お奉行の下に与力職があり、その下に同心がいる。
胡麻を擂る訳では無いが、お奉行の覚え目出度い事、今後間違っても不利には働かない。
そういう腹積もりが一明にはあった。
「や、疲ったわオレ。カズ持ってってけろ」
「それじゃ意味無いんだっつーの!」
机に突っ伏す虎緒の襟首を、猫を摘まむ様にして立たせる一明であった。
「おぉ賀茂殿、お待ちしておりました」
決裁書を処理していた寺社奉行藤原は、机から顔を上げるとにこやかに応対した。
「……っ!」
思わず吹き出しそうになるのを堪える虎緒。
藤原は上等のスーツにネクタイだが、首から上を胴乱で真っ白に塗り、墨で眉を描いていた。おまけにお歯黒である。完璧に『麿』だった。
「お待たせしましたお奉行。武谷、報告書を」
笑いを堪えて顔を赤くしながら報告書をうやうやしく提出する虎緒。
「おぉ、おことが陰陽課の新人でおじゃるか、どれ拝見」
「……っぷ、エヘンエヘン!……ぷ」
しわの寄った初老の白塗り顔が間近にある。それが口を開くたびにしゃくれた口許から真っ黒い歯が見え隠れするのだからたまらない。虎緒の顔が真っ赤になる。
「……ん、ん。宜しい。では武谷殿、電送してたもれ」
「し……失礼しま……す」
虎緒が退室すると藤原は白扇子で口許を隠しながらほほほと笑った。
「……お奉行、悪戯が過ぎます」
一明が半ば呆れ顔で注意した。くすくすとなおも笑いながら藤原は一明に答える。
「許せ、若い者をからかうのは年寄りの楽しみでな」
そう云いながら手拭いで顔の胴乱を落とし始めた。
藤原は京では殿上人である。参内する時に白く塗るのは殿上人の決まり事だが、普段は素顔なのだ。
「……見慣れ無い者には心臓に悪う御座いますよ。虎緒の奴、笑いを堪えるのに必死でした」
「妖怪変化の様でごじゃるか?……左様、あやかしに相対するのがお寺社の務め。身の危険、命の危険など毎度の事、心はやさぐれよう。ならば」
笑いをおさめた奉行藤原は、涼しげとも哀しげともとれる視線を一明に向けた。
「ならば、やさぐれる心を和ませるのは上役の務めでおじゃる」
────────────走屍 了
わがんね→駄目・いけない(仙台他東北弁)