邂逅
「旦那様、さ、どうぞ」
娘が盃に酒を注ぐ。何度口にしても味はしない。
目の前の膳に並ぶ料理もまた全く味はしない。
良い匂いなのに残念な事だ。それでも一明は娘に美味しいと答える。
味がしないのも、廊下に雨戸の溝が無いのも、この娘の出自によるものなのだろう。
陰陽師は妖物に心を寄せてはならない。五行、すなわち物理法則を正常に保つのが役目である。五行の歪みから生まれる妖物に対して、怒りや憎しみをぶつけてはならない。また同情や憐憫を持ってもいけない。
それらは妖物につけ入る隙を与えるものだ。心が平常でなくては妖物に対処するのは難しい。
だが、一明はこの娘をなんとかしたいと思う。
(そうだな、湖西和尚にお願いして)
彼のつてを頼れば必要な物が手に入るだろう。
「どうなされました?」
「ん……いやなに、もう戻らねばならない時間だな、と」
一明の一言に娘は眉を寄せ、悲しげな瞳で見詰めた。
「どうか……もう少し」
そう云って一明の肩に身を寄せる。
本心では帰したくないのだろう。
いつもこの様に娘が引き留める為、日に日に少しづつ戻るのが遅くなっていた。
「この屋敷にいつまでもいる訳にはいかないのだ」
「……解っております。他に好い御方がいらっしゃいますのでしょう?」
「いや、そういう訳では」
口で否定しながらも、一明の頭に虎緒の姿が浮かんだ。
「とにかく、そなたに添うてやる事は」
出来無い。と云おうとしたその時、部屋の御簾が音を立ててはね上げられた。
「お!?いたいた!探したぞカズ」
御簾をくぐって現れた虎緒は肩で息をしていた。
「ぃやー探した探した。えらい長い廊下だわ、あっちこっち部屋を覗いてたらイキナリ時間喰った」
一明の無事な姿を見て安心したらしく、虎緒は自然笑顔になる。
が、部屋の状況を改めて見回し、いぶかしんだ。
「……カズ何やッてンの?」
「いや、今戻るところだった。……済まんな、迎えが来た」
「ぁぁ……往ってしまわれるのですか!?」
一明の言葉を聞いて、娘の瞳に涙の粒が浮かんだ。
一明と娘のやり取りを聞いて、虎緒の目が娘に釘付けとなる。
「え?コイツ……」
それから一明に目を移すとまじまじと見た。
狩衣姿を。
「……カズ、ひょっとしてお前……『おだいりさま』な訳?」
「云うな……成り行きだ」
見鬼の目には娘の実体が映っていた。
一明の隣にはちょこんと小さな雛人形が座っている。
「こちらが旦那様の……好い御方なのですね?」
「赦せ」
一明の安否を心配して探しまわったあげく、予期せぬ愁嘆場を見せられて虎緒はひどく居心地が悪い思いになる。
特に可愛らしい雛人形が自分を指して『一明の好い御方』などと謂われては。
「い、好い御……あぁもう!カズ、取り敢えず帰るぞ、オッサンも心配してンだから!」
顔を赤くしながら一明を急かす虎緒。
「ああ!お願いでございます、旦那様を連れていかないで!」
虎緒は雛人形、いや娘に大声を出した。
「うるさい!コレはオレの男だ!」
そう云って顔を真っ赤にしながら一明の襟首を掴むと、ずるずると引き摺って部屋を出て行った。
イキナリ→ものすごく(仙台弁)