四縦五横
湖西のマイクロバスが停まると虎緒が走り寄ってきた。
「どうしたねお嬢?」
「オッサン!カズが消えた!」
その言葉に湖西は首をひねる。
確かに人里離れた寺ではあるが、舗装されていなくとも道はしっかりしたものだ。麓まで枝道も無い。
では道を外れて山の中に入って迷ったのか?
これも考えにくい。既に紅葉の季節は過ぎ、樹々の間は視界がとれる。
第一この辺りは懐中電話の電波が通るのだ。電源を切っている?それとも蓄電池切れ?几帳面な一明に限ってありそうも無い話だ。
そう頭の中で考えた時、虎緒がおかしな事を云った。
「いったいあの蔵はなんなんだ!?」
「蔵?蔵だと?」
いきなり話が飛ぶ。一明と蔵と何の関係があるというのか。
「蔵の中に消えたんだカズは」
聞くが早いか湖西は走った。虎緒が後に続く。
蔵の前に着いた湖西はあんぐりと口を開けた。
蔵の扉が大きく開かれている。
「何で開いとる!?鍵などとうに無くなっておるのに」
湖西がこの寺に入った時、既に蔵の鍵は失われていた。先代住職が鍵をなくして以来この蔵は誰も入っていないのだ。
その事を告げると虎緒は憮然とした顔で云った。
「知らないよ、カズは何度も入ってるみたいだし、勝手に開いた……ンで……!?」
喋っているうちに虎緒の目がすわる。
「……オッサン、この中の物ッて、『曰く付き』のヤツなんだよな?」
「まぁ、いくつかはそうらしいな。もっとも人に仇なすものでは無いはずだ」
もしも人に危害を加える様なものであったなら、古株の檀家辺りが口にしている。
「仇をなさなくッたって、錠前くらい開けられるンでね?」
「む?」
可能性は有る。が、湖西が住職におさまって以来その様な事は今まで無かった。
何故、今になって……
「一明殿は蔵に何の用があったのだろう?」
「知らね。けど入った時、狩衣に着替えてた」
狩衣は一明の陰陽師としての仕事着だ。
しかし、一明の手をわずらわせる様なものなど蔵には無い。無いはずだ。
蔵の中を覗くと、埃の溜まった床板にくっきりとした足跡が一組。
「これはお嬢の足跡だな?」
なら、蔵の中を一明は歩いていない。
しばし熟慮した後、湖西は虎緒に告げた。
「一旦扉を閉めろ」
怪訝な顔をする虎緒。しかし有無を言わせぬ湖西の口調である。云う通りに重い扉を片腕で閉めた。
足跡が無い。
蔵の中を歩いていない。
ならば一明は異界に行ったとみるべきだ。蔵の扉は異界への入り口として使われたのだと湖西は考えた。
「お嬢、九字切りは知っておるな?」
「え?まぁ昔教わったけど」
虎緒は吊っている右腕を見る。片手で印は組めない。
「早九字で良い」
九字は異界へ入る為のものだ。術者の身を護る効果があると同時に異界への入り口を開く。
「……朱雀、玄武、白虎、青龍、勾陣、帝台、文王、三台、玉女」
九字と謂えば臨兵闘者皆陣列在前などが知られているが、虎緒のは一明に習った陰陽式だ。
声にあわせて四縦五横に指を走らせる。
「扉を開けよ」
湖西は今一度蔵の扉を開かせる。今度は軽く扉が開いた。
虎緒の目に中の様子は全く違って見える。長い廊下と庭のある屋敷の姿があった。
「……ちょっと行ってくる」
虎緒は足を踏み入れた。