虚
クモの巣が張った電球の暗い光が、朽ちた板のシミを黒く照らす。その上に置かれているグラスには、なみなみと揺れる琥珀色の液体と、映る陰気な男の顔。冴えないボサボサの髪から覗く瞳に色はなく、ぼんやりと揺れる波をながめている。くすんだ灰色の外套は埃がうっすらとかぶり、薄汚く陰気なこの場所に溶けこんでいるかのように動かない。遠くからかすかに聞こえる雑踏を掻き消してしまうほどの空虚な静寂がこの空間を満たしている。酒を提供する場所につきものの騒々しさはここにはない。破けた窓から差し込む光は空気中を漂う埃を反射して粉っぽく光り、ただ男だけが朽ちた酒場の中に在る。皺が刻まれた顔に、左目下に走る傷。皮肉げに頬を引きつらせながら、男は笑っている。引きつるような、声を押し殺したような笑み。目は空虚に、琥珀を見つめている。映るのは老境を迎え、老いぼれた男の姿。その映った己の姿に男は何を思ったのだろう。笑いが止む。静寂、そして響くカランという氷がグラスにぶつかる音。男は嚥下し、グラスは空になった。音もなく置かれたグラスとは対照的に、乱暴に男は席を立った。その勢いで倒れた椅子に音はなく、男は胸元から鈍く光る銀貨を一枚、ゆっくりと置いて踵を返す。踏み出す一歩一歩に音はない。男は一度立ち止まり、一点を見て頬を引き上げた。ある男の顔だ。クツクツという音が静寂を破り、その音は闇の中を移ろいでいった。灰の外套が床に落ちる。ガタンという扉の閉まる音の後に残るものは何もなく、色が変わった銀貨だけが、男の存在の気配を留めていた。
人によって解釈が変わる、そんなお話かもしれません。私はそんなお話が好きなのですが、皆さんはいかがでしょうか?
前回感想戴きました。ありがとうございました!