婚約破棄を申し込むしかないのだろうか。
ミリア視点だけでは描ききれなかった、ラクサス側からの心情です。
なぜラクサスは婚約破棄を言い出したのか?
です!
「…………な……ですわ。」
「そんな…………じゃ……かしら?」
とある暖かい日の放課後。自主的に行っている鍛練を早々に切り上げ、次の休日を自身の婚約者であるミリアを、外出へ誘おうと廊下を歩いていた時である。
何気なく耳に届いたミリアの鈴のような声に、思わず表情を緩め、彼女がいるであろう教室の扉へ手をかけたときだった。
「でも、私不安なのです。ミリア様はそうではないの?」
この声はたしかミリアとよく一緒にいる令嬢の声ではないか。なにか思い詰めたような張りつめた声に、ミリアに相談をしているのかもしれない。ならこのまま扉を開けずに立ち去ることにしよう。令嬢同士、込み合った話もあるのだろう。
そう考えたラクサスは踵を返し、一歩踏み出した時である。
「私も不安はありますわ。誰だってですのよ?私などあの方と幼い頃から婚約者同士となりましたでしょう?なのに未だにあの方といると苦しいのですの。」
ミリアの言葉が耳に入った。
今彼女はなんと言った?ミリアに不安がある?さらにその不安の内容が私との婚約についてだって?
早くこの場を立ち去らなければ。そう焦る心とは裏腹に足は動き出せない。まるで釘で打たれてしまったかのようだ。
教室内ではラクサスがすぐそばにいることなど気がついていないのだろう。会話が途切れずに続いていた。
「まあ。ミリア様でもそのような不安が?」
「ええ。これから先、結婚すればあの方と共に生活するのよ?私だって不安はありますわ。生涯共になど、出来うる気がいたしませんのよ?」
……………彼女は今なんと?
幼い頃より二人で笑いあい、共に自身を磨きあい、寄り添いながら成長してきたのではなかったか。二人で進む未来のために努力し続けてきたではないか。もしやそれは俺だけの願望であってミリアは決して望んだ事ではなかったというのか。
ただ目の前が真っ暗になった。
これ以上聞いてはいけない。ラクサスは動かない足を必死に動かし、自分の部屋まで戻り、自分のベッドへ沈みこんだ。
目を閉じれば先ほどの会話がぐるぐると頭のなかで勝手に再生される。
彼女に俺がいたことは気がつかれてはいないだろう。ならなにも聞いてなかったように、これまで通り振る舞えばいい。わかっている。これはあくまで政略結婚にすぎない。我が公爵家が抱えた負債をミリアの実家である侯爵家が、無期限無利子などと、とんでもない特別条件で貸し付けてくれているのは、他でもない侯爵家のミリアの父であるカンバス侯爵が溺愛してやまないミリアの婚約者が、私であったからだ。
新しい事業の投資に失敗した我が家から、ことごとく背を向け他の貴族達は去っていった。そんななか唯一、ミリアの父であるカンバス侯爵だけが手を差し伸べてくれた。他の貴族たちと同じように背を向けることも出来たのに。である。
そのおかけで我が家は少しずつ立ち直り、あと数年で全ての負債がなくなり、カンバス侯爵へ恩も返せ始めるめどもたった。
だが、先ほどミリアの気持ちを聞いてしまったのだ。何もなかったかのように過ごすなど、ミリアの心を壊すことになるのではないだろうか。誰より愛しい彼女ではあるが、自分がそばにいてはいけない。
目を瞑っても一向に訪れない睡魔に苛立ちながら眠れない夜を過ごした。
翌日、眠れなかった為に頭の回転が鈍っていたラクサスは、何気なく学園の中庭に目をやった。
その中に太陽の光を身に纏い、一人佇むミリアを見つけた。
ああ、なんと眩しい光だろう。彼女の手入れがよく行き届いた金の髪が穏やかな風と戯れている。珍しく微笑みを浮かべる彼女はまるで女神のようだ。
彼女が愛しい。
だからこそ彼女を縛り付けてはいけない。誰より幸せになってほしい。その為には私との婚約などないほうがよいであろう。不安しか抱かない婚約など、彼女には似合わない。
気がつけば俺は彼女の前に立っていた。
「君との婚約は無かった事にして欲しい。」
決死の覚悟でそう言った俺に、彼女は、思わず。といった風に「馬鹿じゃないの?」と、言った。
「え?」
思わずこちらも呆気にとられ聞き直してしまった。
「だってそうでしょう?この婚約は一体誰が何のために結ばれたものだと思っているのかしら?」
先ほどは少し取り乱した様だったが、すぐに立て直した彼女は持っていた扇を広げ表情を隠してしまった。
言っていることも正論である。そんなことは痛いほどわかっている。
この婚約がなくなれば、我が公爵家は崖っぷちにたたされるようなものだ。
だが、彼女を溺愛しているカンバス侯爵が彼女の不安を知ってしまったら。まして、その原因が俺にあるのなら。
侯爵は手を抜かずに我が家を潰しにかかるだろう。
ならば今、建て直し始めた事業の権利を持って謝罪に赴いた方がはるかに傷が小さくてすむ。
「たしかにそうかもしれないが、君だって目に入れるのも嫌な私と将来は育めないだろう?」
これまで気がつかなくてすまなかった。と、謝罪の意味を込めミリアを見つめる。見た目できつい人間だとよくミリアは誤解をうけるが、決してミリアはきつい人間ではない。自分の懐に入れた人間には惜しみ無い愛情を注ぐ。
それがわかっていて、俺の言葉を否定してほしい。などと願望を持ってしまう。つくづく自分は卑怯な人間らしい。情けない。
ミリアの真っ直ぐこちらを見つめるダークブルーの目に、心の汚さを見抜かれたようで、思わず足元をみてしまう。
「たとえ、私がラクサス様をき、嫌いだったとしても。立場も家族も全てを捨ててでも婚約破棄したいのかしら?」
僅かに声を震わせた彼女に、淡い期待を持ってしまう。
なんて浅ましい。寝不足でぼやける頭を必死に揺り起こし、そっと彼女を見つめる。
「私は…ただ、君がそれほど俺の事が嫌ならいっそ身をひこうと…」
言葉が小さくなってしまった。
「なんですかそれは!大きなお世話ですわ!それにですわ、一体いつ私があなたの事を、目に入れたくもない程嫌いだなんて言いまして?」
ミリアが声をあらげた。
ああ、それを聞いてしまうのか。彼女は曲がったことが嫌いだ。原因を把握しないと気がすまないのだろう。
こちらとしてはあの絶望を思い出したくもないのだが。こうなった彼女は有耶無耶になど誤魔化されてはくれないだろう。
「いや、君から聞いたことはないが…」
悪あがきをしてしまう。言いたくはないのだ。
「では、何故そう思われましたの?」
やはり、というか彼女は有耶無耶にはさせてくれないようだ。こうなってしまえば言うしかないのだろう。仕方ない。
「この間学園の廊下を歩いているときに、君と君の友人が話しているのを耳にしたのだ。君はこう言っていた。あの方と一緒にいると苦しいんだ。と、これから先、共に生活を共になど出来うる気がしない。とも。」
「それは!」
まだ話が終わらない段階で、たまらず。といった風にミリアが声を出したが、手で制した。
最後まで聞いてほしい。政略結婚だとわかっていたにも関わらず、君を愛してしまった情けない男の話だ。
「愕然としたよ。君とは小さな子供の頃から共に育ってきたと言っても過言ではないし、これからも共にいるものだと思っていたのだ。隣には当たり前に君がいる。君の気持ちには微塵も気がつかずに本気でそう思っていたのだからね。確かに俺は馬鹿なんだろう。」
「だから…!」
すまないミリア、最後まで言い切らせてほしい。これで最後の会話になるかもしれないのだから。と、ラクサスは自分の拳を強く握りしめ。
「だから君を解放してあげようと思ってね。」
爽やかに笑ったつもりだった。
「君が隣にいないのなら立場も名誉も意味のない事だ。と、思ったんだよ。幸い俺には弟がいるからね。父に頼んで弟を時期公爵にしてもらって、俺は一人で領地の片隅でも一人で守っていこうと思うんだ。」
ああ、言ってしまった。昨日眠れない夜に一人考えた事だ。
我が公爵家領土も大分ちいさくなってしまってはいたが、決して手放さなかった領土がある。王都からは離れてしまうが、その土地の有効活用のために学園で地学を学んだ。
ミリアの実家への返済もその領土から捻出できそうなのだ。
両親にはまだ話していないが、いずれ説得してみせる。どうせミリアが横にいないなら一人でその案に生涯を費やしてもいいとさえ思っている。
「あなたは全て一人で結論をだしてしまうのね。私の話は聞いてくださらないの?」
いつの間にかミリアは表情を隠す扇を手におさめていた。
「君からはっきりとお前は不要だ。と、言われるのは柄にもなく怖くてね。」
「そんなことっ!!」
先ほどよりも震えが大きくなったミリアの声を聞いて、少し不思議に思った。なぜそんな目でこちらをみているのだろう。期待してしまうではないか。
やっと俺という枷から君を解放してあげられるのに。
「あるだろう。」
「いいえ!あり得ませんわ!」
力強く断言するミリアが不思議だった。
…もしや。そんなことはあり得ないとは思うが、俺と生活を共にするのが苦痛なのは、ミリアは俺の弟であるレノンの事が好きだったのだろうか。俺と結婚してしまえば嫌でもレノンと付き合わなくてはならない。それはさぞ辛いだろう。もし、もしそうであったなら…。
「なぜだい?あぁ、私とともに。は、苦しくて嫌だけど、時期公爵婦人の座は欲しいのかい?なら父と弟に君を推薦しておこう。」
いってしまったら、苦虫を噛み潰してしまったかと思うほど口が苦い。想像するだけで吐きそうだ。
「!?」
「馬鹿になさらないで!!」
どうやら違ったらしい。ほっと胸を撫で下ろしてしまった。だが、これでまたわからなくなった。どうしたらミリアの不安を取り除いてあげられるのだろう。
「馬鹿になぞしていないよ。ただ、これまでの君の苦痛を考えたらそのくらいの事はなんとかさせて欲しいとおもっ…」
「それが馬鹿にしてると言っているのです。」
ふとミリアの手が視界に入る。元々白く小さい手であったが、今はさらに血の気が失せたように真っ白になっている。
「私が…わたくしがそんなものが…欲しくてこれまで共にいたわけではありませんわ。」
真っ直ぐにこちらを見るミリアにドキッとした。吸い込まれそうなダークブルーの目が潤んでいる。許されるなら今すぐその涙を拭き取りにそばへいきたい。
「苦しいと言ったのは、あなたのそばにいると心がドキドキして胸が苦しい。と言ったのです!苦痛なんかじゃない!この17年間幼い頃よりずっとあなたのことのそばにいるのに、いつまでもあなたに心を奪われてドキドキしているなんて、生活を共にしたらどうなってしまうのかしら。と、お話していたのです。私は貴方を誰より愛しているのです!」
ミリアからの言葉に、俺は唖然とした。思考がとまってしまったようだ。
「では…私は君に嫌われているわけでは…」
ポロリとこぼした言葉にミリアは、はっきりと「そんなことあり得ませんわ!」と、言い切ってくれた。
じわり。と、胸に暖かいものがこみあげる。素のミリアを見たのはいつぶりだっただろうか。
「はは…なんだ。俺はてっきり…そうだったのか。」
全身から力が抜けたかのようだった。言葉だけを聞いてしまったからか、ほぼ真逆の意味だったなんて。
「よかった。俺は君を手放さなくていいんだね?」
しっかり確認しなくてはならない。そう思いミリアに確認すると、
「当たり前ですわ!私を手放すなんて許しませんわ!」
なんて、顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。
俺は子供の頃からミリアのこの行動が好きだった。素直でないようで素直なその態度を見るたびにからかいたくてたまらなくなるのだ。
「じゃあ、遠慮なく。」
手放してはならない。と、彼女は言ったのだ。この可愛らしい彼女を前に我慢など出来ない。まして絶望を味わった後だ。多少ミリアを補給してもミリアも怒らないだろう。
「きゃっ、な…なにをするのです!」
慌てたようにミリアは身動ぎするが、もう逃がしてはあげられそうもない。
「なにって君を抱き締めているのだよ?だって君は私の大事な婚約者だろう?あぁ、もう君がどんなにいやがっても、私は手放してはあげられないからね。覚悟して?」
ミリアから俺の顔が見えなくてよかった。抱き締めながらニヤニヤしているところなど、見られたくはない。
「の…望むところですわ!私だって手放されてなんかあげませんことよ。」
そういってミリアは俺の背に手を回してきた。この耳まで真っ赤に染めた可愛らしい彼女は俺の自制心を試しているのだろうか
「では死ぬまで共に一緒にいよう。」
必死に理性をかきあつめ冷静を装ってそう言うと、ミリアからは小さく恥ずかしそうに「ええ。」と、返事が返ってきた。
そうして暫し抱き締めあった時、ミリアがさらに俺の理性を崩しにかかってきた。
「そういえば、さっき私だけが、あ、愛していると言ったのですよ?あなたの言葉を聞いておりませんわ。」
寝不足な上に、今これ以上ないくらい幸せな俺は今なら普段言わないようなどんなに甘い言葉でも言えそうな気がした。
「いって欲しいかい?」
意地悪くそう言ってみたが、ミリアは慌てたように俺の胸に顔を埋めて「い、いいえ、結構ですわ。心がもちませんわ。」といった。
そんなかわいくてたまらない彼女に、俺はたまらずなるべく彼女の耳元へ近づいて、
「なんだ残念だな。………………愛してるよ、誰よりも君を。」
なんて柄にもないことを言ってみた。
ふわっと二人を包み込んだような風がふいた。
ああ、風が柔らかくて暖かい。
ーENDー
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読んでくださってありがとうございました。
これにてミリアとラクサスの恋物語は終了です。
ご都合主義のオンパレードでした。すみません!
作者としましては。
この二人にはもう「勝手にいちゃついててくれ。」
としか言えません。
本当に読んでくださった皆様!ありがとうございました!