第02話 ペテンにかかる
「いい鎧。数合わせの魔族くらいなら、無傷で倒せそう」
ユミナが俺の鎧をそう評したのは、俺が衝撃でギルドのカウンターに叩きつけられた直後だった。
説明するまでもなく、アルキスに蹴られたのだ。
しかしなるほど、道理でトロルの攻撃で傷一つつかないわけだ。
少女一人の蹴りくらい、なんてことはない。
酒場のほうからは「いいぞもっとやれ」「やっぱり嫉妬してんじゃねえか」「ヒュウ、ヒュウ」という野次が幾重にも飛んでいる。
咳き込みながらも身構えると、アルキスの視線はユミナを射止めていた。どうやら俺は眼中にないらしい。
「何しに来たの」
剣呑きわまる声を発したのはアルキスだ。
右手にはナイフを握っている。
蹴りだと思っていたけど、俺を打ち据えたのはあれか。
本命の魔法の短剣がすべて腰にあるところを見ると、最低限の自制心は働かせてくれたらしい。
彼女なりに、手加減はしてくれたのだろう。あまりありがたみは感じないが。
ユミナの評によれば、さっきのは『魔族の一撃』に相当するわけだ。それと同等の力で斬りかかってくるって、当たりどころによっちゃ死ぬんじゃないのか。
「見物。あなたが弟子をとったと聞いたから」
ぽつりとユミナがこぼす。
弟子じゃねえし。
「弟子じゃないわ。常識も何も知らない状態で行き倒れてたから、人様に害なさないように仕込んでるだけよ。実力ばっかりあるんだもの」
そう言った瞬間に、ユミナの肌がより一層強く光った気がした。
アルキスはというと、森人特有の長い耳をぴこぴことひくつかせながら、ユミナが光っているのは気にしていないのか気がついていないのか、言葉を続けていく。
「それから、見物っていうのは嘘よね。あんたがそんな暇人の真似事をするわけがないから。――言いなさい。本当は何をしに来たの」
アルキスが据わったの目で睨む。
それに竦んだ様子もなく、ユミナはこちらへ向けてゆっくりと足を運ぶ。視線はこちらに向けていない。警戒しているのだろうか。
「見物自体は嘘じゃない。他に目的もある。それだけ。そちらを話す必要はない。あなたには関係ない」
「関係ないわけないでしょうが!」
声を荒げているが、まだ抜く気はないらしい。安心した。ここで魔法と魔法の武器とが飛び交う事態になったらどうしようかと
「事実。あなたの一方的なライバル視にはほとほと参っている」
火に油注ぐのやめて!
アルキスの顔が真っ赤に染まっている。憤怒の化身だ。般若の形相だ。
今まさに切り開かれようとしている戦端に怯えていると、すぐ隣に座り込む気配がした。
「私のことはいい。それより、あなたと彼とのことについて確認がある」
ぎょっとしてユミナを見るが、彼女の視線は依然アルキスを捉えていた。
「なに」
怖い。俺の知ってるアルキスじゃな……いわけでもないか。
「彼を拾ったのは偶然?」
「そうよ」
「それにしては随分と、彼に対して入れ込んでいる様子」
「そんなわけがないでしょう」
なんだ、何をしてるんだユミナは。アルキスを煽って何が楽しいんだ。俺の命に関わるからやめてくれ。やめられないなら離れてくれ。
「彼に対して執着はしていない、と?」
「その通りよ。それがどうか――」
「つまり、彼のためにあなたは完全に善意だけで負担を受け入れている」
「それがどうかしたの!? その通りよ!」
「――それはいいことを聞いた」
ユミナが、俺の左手を握った。
「だったら、あなたが彼の面倒を見る必要はない」
「な、」
「思い入れのない人間の生活を負担するのは、非生産的。善意が傲慢に変わる。傲慢が反発を呼ぶ。悪循環を招く。それに、周辺一帯で唯一の神鉄徽章級冒険者たる、あなたの手を煩わせる。良いことはない」
「だけどそいつはね! 野放しにするには危険なのよ! だったら私が面倒を見るしかないでしょう!」
「私が彼を育てる」
ユミナが俺の左肩の上に、こてんと頭を乗せた。
まずい。これはまずい。二人の間の空気がどんどん険悪になっている。
あと酒場から「痴話喧嘩だ」「修羅場だ」「あの兄ちゃん……殺す」とか聞こえてきている。残念ながら絶好の肴になってしまっているのは、認めざるを得ない。
「私は彼を気に入っている。とても、とても、気に入っている。……実にいい鎧。このマントも、手甲も脚甲も」
「……そうよ、それは私が買ったの。だから、」
「じゃあ、仕方ない。費用を負担する。返せというのなら、費用の負担に加えて現物も返す」
ユミナが言葉を遮った。
「あなたが買ってあげたすべてを倍額にして返せる。文字の読み書きから社交界の作法まで、安全な王都で十全の教養を与えられる。冒険者として名を馳せるまで、注意深く依頼を進めさせてあげられる。彼が望むなら、もっと安定した職業にだって就かせられる。あなたにはできない。私にはできる」
アルキスは答えない。
――。
「私のほうが、彼をよりよく世界に適応させられる。これは向き不向きの問題じゃない。神級冒険者の位階が一つ違う。二つ違う。それが何を意味するか、あなたはよく知っているはず」
ユミナは懐から何かを取り出した。ただの銀色だが、その複雑さと、状況からして理解する。それは、神銀称級冒険者の証だった。
――――。
「彼のために、あなたは彼から手を引くべき」
――――――。
俺は。
俺は右手を黙って、首の後ろへ伸ばした。
「これ以上縋るなら、あなたの善意はただの迷惑」
カチリと音を立てて、ネックレスが外れる。
名残惜しい感触を指先に感じながら、それをユミナに差し出した。
「……もうやめてくれ」
「どうして? あなたにはメリットしかない」
澄んだ目に、俺の姿が映り込む。
「やっぱり、このネックレスは関係ないんだな」
ユミナの表情に、驚きの色が浮かんだ。
俺の手を握っているユミナの手に、ネックレスを握らせる。意図は充分に伝わったのだろう。彼女は立ち上がって、それを懐にしまいこんだ。
それから、ちらりとアルキスを見て――
薄く唇を引き伸ばすように笑って言った。
「残念。いい奴隷が手に入ると思ったのに」
――――――――。
俺に向けられたわけでもないのに、それははっきりと感じ取れた。
殺意。
ユミナとアルキス。
二人の間を遮るように。
振り上げた左手に、穿牙の短剣が刺さる。
アルキスの右手が、ユミナを指差すように上がっていた。
「危ないところだった。やっぱり、あなたには忠犬の才能がある」
視線は依然、俺を見ていた。
嬉しくない。
と、思っているところに、ユミナが小声で続けた。
「それにしても残念。本当に残念。こんな優良物件は他にないのに。金になびかずに忠誠を貫いてくれる。他人嫌いのアルキスが、わざわざ関わって教育しようと思うほど強い。先に私が見つけていたら絶対に、何も知らないことをいいことに適正な報酬分配なんか放り出してこき使ったのに。もったいない。残念。――このアミュレットは、私の右腕にでもあげることにする」
ユミナは。
ともすれば聞き逃しそうな、棒読みにも似た抑揚のない声で、そうまくしたてると霞のように姿を消した。
後に残ったのは二人と野次馬。
左手に短剣の刺さったままの俺と、それを投げた体勢のままのアルキス。そしていきなり血を見せられて手の止まっているおっさん連中だけだった。
「だ、大丈夫!?」
ようやく我に返ったアルキスが駆け寄ってくる。
俺の左手を心配しているらしい。しかしこう、あまり近寄られると背の低いぶん胸元が上から見えるわけで。おまけに革鎧のせいでお胸様は窮屈そうにしていらっしゃるわけで。
慌てて距離をとると、アルキスの動きが止まった。
こちらを見つめたまま、一瞬のうちに瞳が涙で濡れる。どこから湧いて出たのかと訊きたくなるほどの量の涙を湛えて、彼女は今にも嗚咽をこぼしてしまいそうだった。
ちょっと不安定過ぎる。
ユミナの言葉が、かなり効いていたのだろう。
「違う。違うんだ、アルキス」
まるで浮気のバレた夫のような言葉を繰り返しながら、そっと近づいていく。手っ取り早く調子を取り戻させる方法は思いつくけども、それは俺が痛いので使いたくない。
できれば、だ。
そんな駆け引きを考えていたからだろうか。
「別に嫌いになったとか、あっちのほうが良かったとか思ってるんじゃない。ここに残って良かったと思ってる。俺はアルキスのこと、結構好きだ」
『好きだ』――その言葉に反応する劇薬が、アルキスの後ろには大量に転がっている。
その事実を、見落とした。
「「「うおおおおおおおっ!!」」」
歓声が上がる。
いや待ってくれ、あんたら俺の言葉分からないんじゃなかったのか。というかアルキスにのされてぶっ倒れて――なかったなそういえば!
無数の野次が飛んでくる。
「ちょっと押しが弱ぇがいい告白だったぜ!」「それより見たかよ坊主が逃げたときの反応」「おう、あれは確実に両思いだぜ」「とうとう嬢ちゃんにも春が……!」
恥ずかしいからやめて!
「あんたらちょっと黙りなさあああぁぁぁい!!」
俺が動き出そうとした瞬間に、アルキスが怒号とともに何かを投げた。
それは眩い光をともなって着弾し、そして――爆発した。
まるで閃光手榴弾。
耳をつんざく爆音と、目を焼くような光。その中で俺は、手を引かれた。
「――――」
何も聞こえない。何も見えない。五感が元に戻るまで、しばらくかかる。けれど結果オーライだ。手を引く柔らかな感触は力強く、元の調子を取り戻してくれたらしい。
だから俺は、アルキスに手を引かれるままについていった。