第01話 凱旋と、新たな出会い
「飯管一つが舌になった以外は、要望通りだな。ほれ、これが報酬だ」
どしん、とテーブルの上に袋が置かれる。これは依頼の報酬だ。
トロルの大牙を三〇と、飯管を三つ、舌を一つ。対価はそっくりそのままこの重みだ。魔法の袋ではないので、体積や重量が減ることはない。
「ほれ、お主は新人じゃろう。一応これにも、目を通しておけよ」
ドワーフのおっちゃんから木板を渡された。
これは何だと尋ねる前に、おっちゃんは素早くギルドのカウンターから抜け出して……酒場に突っ込んでいった。両手に一つずつ、マイジョッキを掲げて。
ふむ。
仕方がないのでまじまじと見てみる。
……読むのは別途、翻訳の奇跡とは別のを掛けてもらわないと駄目なんだった。
「おーい、アルキス」
「ちょっと馬鹿、今そんな風に呼ぶなっ」――という声自体は、周りからの歓声にかき消された。
しかし奇跡のおかげで、言った内容自体は伝わってくる。
不思議だ。
翻訳の奇跡が便利過ぎてなにかウラがあるんじゃないかと思っている。
しかし聞き取り以外の性能を全部投げ捨てればこんなもんかとも思う。ピーキー過ぎるが。
まあ、それはおいといて。
アルキスの声を掻き消したのは、期待通りというかなんというか……野太い声の呑んだくれどもだ。
この街に初めてきたときも買い物に付き合わされたときも、初依頼で出発するときもそして今も。この人たちいつもいるけど、働いているんだろうか。
気になるが、今の話題はそこではない。
「これ、何か分かるかー?」
「ただの、適正取り分の表よ! 一番ランクの低い奴の取り分を一として、割合で書いてあるから! あたし達は二人組だから、私の取り分は……――」
そこで突然、翻訳抜きの声しか聞こえなくなる。まさか奇跡が切れたのかと焦っていると、彼女がほとんど話し終えるくらいのタイミングで再開された。
「二人のランク差をnとして、二のn乗すればいいだけよ!」
「数学っ!?」
とんでもない超訳が入った気がするが、気のせいだと思うことにした。
奇跡ィ……。
気を取り直して。
俺が鉄級、アルキスは神鉄級。ランク差は……銅、銀、金ときてその上が神鉄だから、四か。俺の取り分、一に対してアルキスは十六。格差だ。
「自分の分だけとったら、口を縛って投げなさい!」
ありがたい指示を受けたので、従わせてもらおう。
俺は爆心地に背を向けられる位置に椅子と机を運んで、報酬の勘定を始めた。
アルキスは、またしても『二人組』などという言葉を聞いて狂乱するおっちゃんどもをちぎっては投げ、ちぎっては投げている。
ただ、相手もなかなかしぶとい。
アルキスに殺す気がないので、倒されてもすぐに起き上がり攻め寄せていくのだ。
既に五回以上倒されて疲労を強いている猛者もいる。
彼らはめいめい、勝手知ったる酒場の机、椅子を駆使して少しでも長く立つ。するとどうだろう、昏倒させられた仲間に、気付け薬を飲ませる隙が生まれた。
出歯亀おじさん達の根掘り葉掘りゾンビアタックはまだまだ続きそうだ。
視線を机の上に戻す。
勘定開始から僅か数秒。
俺は行き詰まった。
そりゃそうだ、この世界の金について何も知らない。
どうやら報酬は硬貨ばかりらしく紙幣はないが、袋から出てきたのは銀に近い鈍色の――多分、鉄製の硬貨がたくさんと、銅の硬貨が少し。
……だと思う。
流石にこれらがすべて神鉄貨だとか神銅貨だとか言われたら、「初冒険でなんて依頼受けさせてんだ」と文句を言うべきだろう。
俺が困っているのは、硬貨の分類である。
たった今、硬貨を二種類に分けて数えていたが、実はまだまだ細分できるのだ。
硬貨の縁に溝が彫られているもの(これはせめて、ただのギザ十のようなもんだと思いたい)をはじめとして、かなり違いがあった。
両面に図柄があるが、これが両面同じだったり片面だけ違ったり、また片面には文字が彫られていたりいなかったりする。
図柄の種類も、袋に入っていた限りでは七種類。
蛇に獅子、亀やら魚やら、鳥に猿、数は少ないが竜もいる。亀は陸で生活するタイプで、鳥は鷲とか鷹に近い種に見える。魚は分からなかった。
これらの価値の違いを、俺は知らないのだ。使っているところすら見たことがないし。
まあ、見ていたとしても分からなかっただろうが。これだけ種類があると、たった数度のやりとりではいくら渡していくら釣りが出たのかも検証しようがないし。
アルキスに尋ねようにも近付けない。おっさんどもの包囲は弱まる兆しこそ見せているが、衰退速度は微々たるものだ。
一応、御鈴流の理念――『鬼を討ち、魔を祓い、悪を斃す』を果たすために、八法には対人戦術だって含まれている。ただ、あまり相手にしたくはない。終わりの見えない戦いというのは誰だって嫌なものだ。
……仕方ない。
万事休す、というやつだ。
振り向いて、後ろの不毛な争いを眺める。
見た感じではアルキスはまだ汗もかいていない。対しておっちゃん達は息も絶え絶えという感じだ。
あの狩りが終わったら、教えてもらおう。
ひとまず硬貨は、転がっても困るし片付けておこうか――と。
そうして机上に並べたコインに向き直ると、対面に人が座っていた。
「何が仕方ない?」
「ふぅおわ!?」
硬貨を集めようと伸ばしていた手が、白くて細い指に触れる。心臓が口から飛び出さんばかりに跳ねて、思わず立ち上がってしまった。
柔らかかった――柔らかかった!
「……そんなに驚かなくても」
お化けでも見たかのような反応だったのが気に食わなかったのか、いつの間にか座っていた人間――少女は、机に視線を落として口を尖らせた。
背はアルキスよりも低い。見た目は同い年、十五歳くらいに見える。まあ、アルキスの本当の年齢は知らないが。
少女の肌は白い。黒くてゆったりした服に身を包んでいるせいか、余計に際立って見える。暗い店内なのに、淡く光っているようにすら。
まじまじと見つめているうちに、少女が顔を上げた。
「素材の同じ硬貨は、すべて価値は同じ。鉄と銅だと銅のほうが高い。でも時々、鉄貨が高値で取引されることもある。戦争のときとか」
「ああ、そうなのか。……ええと、ありがとう?」
「どういたしまして。素直なのはいいこと」
なんなんだこの子。
数十センチという特級つば広の帽子の下から、赤い双眸が覗いていた。髪は銀。そして俺の期待に応えるかのように、とびきりの美少女だった。アルキスが生命力溢れる可憐さを感じさせるのに対し、こちらは彫像のように美しい。
肌の色以外、アルキスとは対照的だった。
……で。
誰だ。盗人? いや、それなら椅子に座ってるのは変か。
「どちら様?」
「よくぞ聞いてくれた」
言って、少女は立ち上がった。
げぇっ。面倒なやつだ。
「私はユミナ。王都の五本指をまとめて圧し折る、ミレーティア王国最強の魔道士とは私のこと。以上」
……あれ?
途中までは大演説でも始めそうな勢いだったのに突然打ち切られた。かと思うと、ユミナと名乗った少女はさっと椅子に座ってしまった。
なんか身構えてたより早く終わったな。
「喋るの、面倒。あと飽きた」
……もしかして、心を読まれたのか?
「顔に出てる」
そりゃ申し訳ない。
「そうかい。まあ、俺も長々と付き合わされなくて良かったよ」
安堵の息を吐くと、それを見たユミナは鷹揚に頷いた。
「あなたは、アルキスの弟子で間違いない?」
「弟子ではないかな。はざ――じゃなかった、俺はジン。ええと、翻訳の奇跡がないと他人と話せないから――」
うん?
「もしかして話、通じてる?」
「通じてる。手を出して」
言われるがままに手を出す。何か渡されるんだろうか――ッ!?
渡されたのは、小さなネックレスだった。
装着るようにジェスチャーをしているが、俺はそれどころではない。……今、これはどこから出てきた?
ちらり、とユミナの胸元を見る。
ジェスチャーが徐々に丁寧なものになっていく。とうとう俺に背を向けて、『何かをねじってくっつける』ようなポーズを始めた。いやそれはネックレスを見たら分かるからどうでもいい。というかうなじが……すごい。
手元のネックレスに目をやった。が、すぐに目が戻ってしまう。
彼女は、自分のうなじを丁寧に指でなぞっている。エロい……なんだこの光景は……はっ!? それどころじゃない。
今、俺が握っているネックレスは彼女がつけていたものだ。首の後ろで留めるタイプで、付け外しは簡単にできるらしい。
おそらくはここに翻訳の奇跡、あるいはユミナは魔道士だというから、翻訳魔法のようなものがエンチャントされているのだろう。
それだけなら、何も問題はない。
問題は、これがおそらく男性用に作られたものだということだ。証拠に、ユミナがつけるには少し紐が長い。ただ、それでもつい先ほどまではユミナがつけていた。
彼女は特にアスリートボディというわけでもなさそうな普通の女の子だ。首は細いし、このネックレスをつけると紐は余る。当然ネックレスの飾り部分が、重力に従って下に落ちるわけだ。
……本当につけていいのか?
いや、それ以前にいま、俺の手の中にはネックレスがあるわけで。つまりこれは間接パイタッいやいやいや考えるな! それ以上考えるな! 思考を止めろ葉桜刃太郎!
などと考えていると、机に影が差した。
それがユミナだと気付く前に、ネックレスは俺の手中から消え。
俺は顔を上げる前に、肩に重みを感じた。
吐息が耳をくすぐる。胸が控えめなのは残念、ということもない。彼女の服はゆったりとしている。だがッ、だが距離が近過ぎる! 角度のせいで見えない! もうちょっと離れて! ああっ、頬と頬が触れ合っている! なんだこの子は!?
首の後ろでカチリと音がした。それを合図に、ユミナの身体が離れた。
ちらりと見えた光景は、俺の記憶に永久保存しておこう。まさに天上の美と言って差し支えない。
……名残惜しいなんて思ってはいない。本当だ。
この胸の動悸は、いつアルキスがこちらを見つけてしまうかとヒヤヒヤしていたせいだ。そうに決まっている。一応、俺と彼女はこの街公認の仲らしいからな。
「これでいい」
席に再び可愛いお尻を乗せた彼女は、こちらを見てふっと微笑んだ。……まあ、多少、名残惜しいような気がしないでもない。あくまで社交辞令的な意味で、彼女の評価をむやみに貶める必要はないだろうというだけのことだ。
なにもおかしくはない。
そうして新たに現れた美少女に翻弄されていた俺は、何も分かっていなかった。
有り体に言ってしまえば、俺の純心は弄ばれたのだ。このユミナという少女に。
その証拠に――俺は後ろから足音を消して近付いてくる、森の悪魔に気付かなかった。




