第06話 ◇ウィッチのおしごと!
今話は三人称パート。
この1話だけです。
王宮都市の夜は明るい。
人が五人も並べるほどの通りなら、足元は必ず魔法や奇跡で明るく照らされている。
もう少し広いところへ行けば赤ら顔の人間と絶えずすれ違うことができる。
武闘会の開催中、ということもあるのだろう。
王都で催される四年に一度の祭典には、五大都市の残る四つ、王都以外の四都市から多くの人がやってくる。
貴族と平民。
王国の民とそれ以外。
善なるものと、悪なるもの。
只人と森人と、地人と天人と、妖人と……エトセトラ・エトセトラ。
区別しようとすればキリがない。
それでもあえて分けるならば、今の彼女はこう答えるだろう。
――「この世には、魔族に呑まれるものと、呑まれないものしかいない」
目抜き通りから程遠く、照らすものなく仄暗く、人が並ぶのも二人がやっとという小路。
淡く光る色白の肌。銀色の髪と紅の瞳。
魔道士ユミナ――として、ここに立っているわけではない。
今の彼女が"魔女"だからだ。
対峙するはローブの男。
今日の昼前、武闘会第七回戦でヴァレットに敗れた男だ。
今はローブの奥から琥珀色の双眸を覗かせて、ユミナを睨んでいる。
彼の目の周りには鱗があった。否、目の周りだけではない。ローブに隠れて見えないが、その全身が鱗に覆われている。
「翼なし。尾なし。有鰓竜人とみた」
ユミナの言に、ローブの男はフードをとる。
鱗に覆われていても、その頭は人に似ていた。とても魚のようには見えない。
ユミナが予想を外した――わけではない。
男が只人だと、ユミナは最初から気付いていた。
鱗の理由を問い質すために、彼女はわざと違う人種を告げたのだ。
――男の鱗は、魔族との契約によるものだった。
口では答えていないが、男はそう思考していた。
正確に述べるなら、男はそう思考しないようにしようと思った。
「……そう。召喚術は誰から習ったの? それで人を殺したことは? 尉級……はもう見たから、佐級以上の魔族を完全召喚したことは?」
――召喚術は独学。魔法一筋で生きていくのは諦めろと言われて、師匠の居室から盗み取った本で勉強。
――人を殺したことは二桁に届かないほどではあるが、あった。
――佐級以上の完全召喚は経験なし。ただし通常召喚の経験が多数あり。
立て続けになされた質問にも、男は応えない。
だがユミナにはそれでも足りた。
そして男の口元が小刻みに動いていることを、彼女は既に認識していた。
「……死ねッ! 『赤き双炎の鏃』!!」
魔法を放ち、男はユミナと逆方向へ駆け出した。
『赤き双炎の鏃』。
魔道士の代名詞系列の中では中位の魔法で、下位の炎の矢とあまり変わらない消耗で作り出せて爆発もさせられる。ただし制御が難しく、大抵の魔道士は発動と同時に真っ直ぐに敵へ飛ばすことしかできない。
使い勝手は悪いが、素早く飛ばせて爆発を起こせるという点で鉄級より上を目指すなら最初に覚えておきたい魔法である。
なにせ、今この場で彼がそうしたように、目晦ましにも使えるのだから。
男の放った魔法が炸裂し、朦々と土煙が立ち込める。
煙が晴れる前に、その中から声がした。
「……必要な質問は終えた。あなたは殺す。必ず殺す。今ここで逃げおおせようと、地の果てまで追いかけて息の根を止める――」
煙が晴れて、ユミナが姿を現す。
防壁の魔法には傷一つなかったが、余計な消耗を惜しんだ彼女はそれを緩やかに曲げていく。
その形は現代日本でいう、丸底フラスコに似ていた。
もちろん、ユミナがジンの大して重要ではない理科の知識から形状を盗んだものである。
「――まあ、今すぐ私の手にかかって死ぬ気があるなら、一撃でちゃんと殺してあげる。……ふぅ。聞いてもいない相手に、喋るなんて苦痛」
既に男はいない。
ユミナが喋り出す前から、男は小路の奥を曲がり、もっと細い道――路地へ入っていた。
男が声の届かない場所まで行くのを待ってから言葉を紡いだのではないかと訊ねられれば、ユミナは「そんなことはしていない」と嘘をつくのだろうが……ここに、それを問い質す人間はいない。
ため息とともに、ユミナは黒い外套を払いのけた。
外套の下に隠していた、総数二十の『遅延型蒼炎の鏃』を順番にフラスコ型防壁の魔法の中に入れていく。
鏃を一つ迎え入れると、フラスコ魔法は入り口をゆっくりと捻じ曲げて完全な密閉空間に変形する。仮に鏃が爆ぜても、威力が外に漏れないように。
同じものを二十個。
防壁の魔法に包まれて蒼炎の鏃は、王都の夜を照らす明かりの一つとなって消えていった。
◆◆◆
男は路地を駆けていた。
辺りは暗い。
足元も覚束ない。
だが、闇雲に選んだ道が袋小路でなかったことに安堵していた。
なにせ自分の集大成、三十年の歳月――魔道士に弟子入りする前まで含めるなら、四十五年――をかけてようやく辿り着いた『赤炎の鏃』を、ともに完全詠唱とはいえ同時に二つも放ったのだ。
魔力が切れて、目眩がする。
"魔女"。
その名を知らぬものはいない。
ミレーティアの召喚士なら誰であろうと、モグリであろうと知っている。というより五大都市を訪れたことがあってそれを知らぬとあれば、そいつがモグリのミレーティア王国民だろうと言ってしまえるほどだ。
外道の召喚士を殺して回る、恐ろしき魔女。
歳をとろうと、代が替わろうと、それは変わらない。
だから今の"魔女が誰かと問われて窮する者がいる時代もあるのだろうが、それも今代には当てはまらない。
史上最高。
男はその名を知っていた。
だが自分が出会すことになろうとは、夢にも思っていなかった。
夢にも思っていなかったし――
(どこか、どこか遠い場所へ!)
――路地を駆けている間、男はまだ自分が逃げきれると思い込んでいた。
けれど。
男は唐突に足を止めた。
否。
止まった。
「あ、あれ……?」
足を持ち上げようとする。
動かない。
腕を持ち上げようとする。
動かない。
身体ごと傾けようとする。
動かない。
首だけでも振り向こうとする。
動かない。
「な、なんで」
何も動かない。
何も動かせない。
言葉を発することと視線を彷徨わせることはできているが、他のことができない。呼吸もできているが、男はとにかく自分が何もできないということに意識を囚われていった。
「誰かっ! 誰かぁ! 誰かいないのか!」
一体何が起こっているのかは分からなかったが、このままでは"魔女"に捕まってしまう。
どんな残虐な手法で殺されるのか、男には想像もつかなかった。
「――呼んだかね。人の子よ」
だからその声が聞こえたとき、男は自分が救われると思ったのだ。
嗄れているが、低く重い、男性の声。
少なくともユミナの声でないことだけは確かだ。
「っ! そうだっ、呼んでいる! 誰かいるのか! 助けてくれ!」
「そうか。呼んだか」
そうしてそれは、男の前に現れた。
「――あ、」
黒一色。
コートを羽織ってシルクハットを被った、落ちぶれ貴族という表現がぴたりと似合うものがそこにいた。
袖から裾から、肩まで袖まで。端々が傷んだ襤褸の黒コート。天辺に穴が空いていて、鍔にいくつもの深い切れ込みが入ったシルクハット。
木製のステッキを握る手は、包帯でぐるりと巻かれて肌が見えない。
だから傍目には、ただの人間だ。
傷だらけには思えるかもしれないが。
けれど男は知っている。
「ま、待って――」
目の前の存在が、佐級魔族と呼ばれる類のものだと。
なまじ召喚したことがあるために、男は知ってしまっていた。
「待ってくれ! お、俺と……そうだ! 俺と契約し直さないか? あんた魔六道佐だろ? あの憎たらしい"魔女"に反旗を……か、は……?」
突然、息ができなくなった。
恐慌状態をきたした男は、しかし全身の自由も封じられているために――やはり身動き一つ、とれなかった。
「お前は私を呼んだのだ。もう遅い。慈悲ある最期を迎えられると思うな」
遅かったといえば、ユミナの前から逃げ出した時点で、もう遅かったのだが。
魔族随一の慈愛を標榜する魔六道佐は、出会ってすぐに男が許しを請うたならば、ユミナの前に今一度引き出しても良いと考えていた。
残念ながらユミナの最後通牒は、男の耳には届いておらず。
だから魔六道佐が何を言っているのか、男には分からなかったのだが。
……ただ、自分はおそらく助からないのだと、このまま息を止められて死ぬのだと、男はそう悟った気になっていた。
しかし。
「――っが!? ……げほっ、げ、ほっ……な、なんで、俺を殺すつもりだったんじゃあ……」
意識が飛ぶ寸前、唐突に呼吸を戻されて、男は激しく咳き込んだ。
もはや理解を及ばせるために必要なだけの酸素が頭に回っていない。ただ疑問を並べ立てることしかできず、ゆえに答える気のない魔六道佐を前に、男は再び呼吸を停止させられた。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
ただ息だけを止められ続けた。
慈悲深き魔六道佐は、その六眼のうち四つまでを周囲の警戒に費やし、誰の目にも留まらぬまま男への執行を続けていた。
そして――朝。
路地の入り口で発見された男の死体は、まだ温かかった。




