第02話 六条の雨
ミレーティア王国の中枢、王宮都市ミレニアン。
大通りを外れ、宿の多い区画からほど近い場所に『大円武場』は存在する。
普段は単に円形の屋外施設として利用されているが、武闘会開催中の賑わいは他の時期を遥かに凌ぐ。
その喧騒を離れて俺は、大円武場の控え室にいる。
「……なるほど、これが貴族推薦か」
ユミナに渡されたトーナメント表は完全な二分木にはなっていなかった。
予選会から上がってきた三十九名と、冒険者推薦の二十五名。
合わせて六十四人の戦士たちは、どうやら初日で三十二名まで減らされるらしい。
で、スケジュールに余裕を持たせた二日目・三日目からようやく参加するのが、貴族から推薦された追加の推薦枠というわけだ。
実態を見るに、初日はさしずめ予選会決勝というところか。
総勢九十六人のうち、二日目終了時点で残る三十二人からがまともなトーナメントの体を成していると考えていいのかもしれない。
……俺の初戦はアルキスが相手なので、残念ながら手は抜けそうにないが。
「というか不親切過ぎるよなあ、この表は」
選手名なんてものはなく、ただ籤の番号が羅列されているだけ。
実際に本戦が始まれば観客に紛れて敵情視察もできようものだが、予選会組と冒険者推薦組は二回戦まで初見の相手とかち合うことになる。
「まあ、でも……」
今は関係のないことだ。
最初の相手はアルキス。
そして俺は、彼女の――手の内のほとんどを、知っている。
◆◆◆
『さあ続けてまいりましょう! 王国五耀武闘会――本戦第三回戦! イースト・ゲートは予選会勝利者! 最速最年少で神鉄徽章級冒険者に至りました! 今や彼女の名を知らぬ者はいないでしょう! アルキィィィス、バルダァァァイィィィィィン!』
司会の男性の声がここまで響いてくる。
俺がいるウェスト・ゲートはまだ、鉄格子の門が降ろされたまま。
反対側のゲートが開いて、アルキスが大円武場内部に入ってくるのが見える。
この世界の東西南北、分かりづらいんだよな。東と北から一つずつ太陽昇ってくるし。
……っと。今はそんなことはどうでもいいんだった。
武器よし。防具よし。
魔法旅袋よし。
すべての装備を確認して、声を待つ。
『ウェスト・ゲートは冒険者推薦! 未だ銅級ながら、史上最高と謳われる今代の"魔女"の推薦を受けてここに立ちます! 「黄金殺し」の立役者は俺だ! 無名の男、ジィィィィィン!!』
司会者ァ!?
お前……お前ほとんどユミナしか褒めてないじゃねえか! その『黄金殺し』っての対戦者もそう呼ばれてるんですけど!?
勝手に立役者にされてるし、なんだ無名の男って! 苗字がないと韻が踏みづらいのは分かるけどさぁ!
……ま、まあいいや。
力を示せば、次からはもうちょっと配慮した紹介になるだろう。
そのためにはここで勝たないとな。
――鉄格子がゆっくりと持ち上がっていく。
空白が身長を越える前に歩き出す。
鉄格子すれすれを髪が撫で、擂り鉢状の会場へ、俺は足を踏み入れた。
開始時の距離は四十メートルというところか。
中央近くに線が引かれている。これのそばに立たないと、戦いは始まらない。
決して息を乱さぬよう、歩いてそこへ向かう。
『両者――に――て――』
たった十数秒。
その間に、罵声が消えていく。
歓声が消えていく。
『――で――ん――――』
意識を傾ける。
『――――!』
隅のほうで何かを叫んだそれを、意識から斬り落とす。
まばたきをする前には引き絞られていた弓矢が、目を見開いたときには放たれている。
数は三。
叩き落と――そうとして、気付く。
さらに三つの矢があった。
増えた? 分裂か? 新たに放った?
疑問の前に、最初の三つを叩く。疑問に答えがないと知る前に、後の三つも叩いておく。
鏃まで木製の矢だ。
弓を変えた――わけではないはず。
ふむ。
大円武場内に入ったときは身体に隠れていて気付かなかったが、アルキスの右手に黒い……煙? 靄? みたいなのが纏わり付いている。
保護者が反応していないなら少なくともアルキスには安全なものなんだろうが、俺にはヤバいものかもしれない。
二射目、最初の三矢も落として、アルキスを見る。後発の三つは、今度は偏差射撃になるはずだったのだろうが、初撃を躱さなかったおかげであらぬ方向に飛んだだけに終わった。
観察。
口元が動いている、のは奇跡の詠唱だろう。あの祝詞なら黄昏の釵か。
弓は普通。世界樹の枝製というのが『進化する武器』、という意味でなければ、だが。
やっぱり、あの黒い煙みたいなのを纏った右手は怪しい。
そういえば矢筒もないな。
アルキスが弦に触れる。
まだ矢はない。
アルキスが弓を引く。
まだ矢はない。
そしてアルキスが手を離す――直前。
いきなり弦から矢が生えた。
……まだ三つだ。
矢の軌道上から身体を逸らして、確と弦を見据える。
最初の三本が放たれ、弓がしなり、余韻のように弦が震えて――その弦から矢が増えた。
「はぁ!?」
驚愕に思わず声を上げてしまった。
息を吐く。息を吸う。
その間に追加の一射。
迫る六つの矢を叩いて落とす。
空隙。
思考。
……なんだあれは。
矢を落とす。
空隙。
思考。
……いやなんだよあれ。
矢を落とす。
空隙。
思考。
「――それどうやってんの!?」
「言うわけないでしょ馬鹿なの!?」
言葉と同時に奇跡が発動する。
矢は放たれる。
歪に象られた七つの雷槍と、今まで通り六つの木矢。
十三の攻撃が俺を狙って飛来した。
冷静に。
細剣を手放す。
俺は空いた左手に、魔法旅袋から引っ張り出した短剣を握る。
そして向ける。
切っ先が示すのは雷の槍。
封じ込められた術式が起動すると、黄昏の釵は俺の短剣へと吸い込まれ、そして消えた。
避雷針の短剣。
この武器を中心に半径十メートルくらいの空間に入った雷を吸収できる一本だ。
吸い上げた電流は短剣の柄尻にある剣緒から放電される。わざわざ放電する必要があるところからしても許容限界はあるらしいが、今のところアルキスの雷撃で限界を迎えたことはない。
「残念だったな。左手が埋まっていたら、防げなかったんだが」
「……さっきまで細剣、握ってじゃないの」
逡巡の後、アルキスは恨みがましくそう口にして、もう話すことはないとばかりに詠唱を始めた。
できればもっと長く、少しでも長く話したかったんだが、仕方ない。
矢を払う。
――とにかく一歩でも、前へ。
聞き覚えのない詠唱を耳に焼き付けながら進んでいく。
距離が二十メートルを切る。
逃げるアルキス、追う俺。この構図は戦闘開始から変わっていない。
だが消耗しているのは俺だ。
三本の矢が飛んでくるだけなら一本の軌道から逃れて、残り二つを両手に持った細剣で叩くなり払うなりすればいい。
しかし、矢が六つ、それも正確に飛んでくるとなると話は変わる。
躱した先に後発の矢が置かれる場合を考えて、剣を持つ腕は当然全力で振るわなければいけないし、常に思考を要求される。
――願わくば、相応の疲労がアルキスにもあってくれ、と。
そう思わざるを得ない。
あの曲芸――たった一度の射撃で六本の矢を正確に飛ばす芸当が、どれほどの距離から不可能になるのかは分からない。普通の射撃で舞い落ちる葉を射抜けるのが二百メートルくらいだったはずだ。
だが後発の矢は勢いが緩いから、百メートルもせず地に落ちるだろう。
となるとあの精密性を維持できるのは――
……くそっ。さっきのは煽る前にそっちを訊いておくべきだった。
これでスタミナが切れて負けました、では笑えない。
「何を考えてるのか知らないけど……間に合わなかったわね」
悔恨と並走する俺とは対照的に、アルキスの口角が釣り上がる。
――あと十メートル。
ちっ。
「――『暗獄神の慈雨』!!」
宣告。
雷鳴。
数える気にもならないほどの轟音を伴って。
無情の雨が降り注いだ。




