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刃の転界者  作者: 利々 利々
序章   刃術師は異界へ渡る
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第04話 お買い物Date

「今日は買い物に行くわよ」


 朝。


 昨晩(ゆうべ)、泥のように眠りについた俺は夜が明けても未だ、まどろみの中にいた。


 暗く深い泥濘(ぬかるみ)の中に全身が投げ出されたかのような錯覚。

 師匠に斬られて、泉のそばに横たわっていたとき。あのときと同じ感覚だ。


「ちょっと、起きてるの?」


 くぐもった声が、耳に届く。

 聞き覚えのあるような、ない、ような……。


 泉を覗き込んだときから順に、記憶を呼び覚ましていく。


 軋むような音とともに、多頭蛇(ヒュドラ)の顔を思い出す。あいつは確か、三頭級(ヤング)とかいったか。

 それから、翻訳の奇跡(トランスレイト)のおかげでこの世界を知って――

 思い出せない。


 この世界は、なんなんだ?

 そんな疑問を吹き飛ばすかのように、俺の意識は急激に覚醒した。


 ――殺気!!


「さっさと起きろッ!!」


 間一髪。


 上から降ってきた拳を避けて手首を掴む。

 そのまま一気に引き寄せて、ぐるりと二者の位置取りを変える――頭上(うえ)をとる。

 空いた片手で完全に()の両手を塞いで、ベッドの上に倒した。


 同時に他への警戒も怠らない。


 増援が来るかもしれない――


「敵か!?」


 天井に人の気配はない。

 窓の外も。

 床下に一人、扉の外に数人。

 しかしいずれも、敵意は感じない――ここは宿の二階だ、思い出した。


 開ききった扉のところで、あんぐりと口を開けているのは背の低いもじゃ髭のおっさん。懐の金属音は鍵束だろうか。

 ……ああ、思い出した。ここの主人は地人(ドワーフ)で――


 ――と。

 目の前に、美少女がいた。


 気付けば俺は、アルキスを組み敷いていた。

 廊下に数人気配がするのはつまり、刺客ではなく野次馬。


 互いに首を傾げれば、額と額がくっつくほどの距離。胸元に伝わってくるのは、相反した感触。革鎧の硬い表面と、中身の柔らかさ。つまりこれはアルキスの――

 驚き一色だったアルキスの顔は、すぐさま羞恥に染まる。続いて怒り。


「……変態」


 その言葉と同時に、俺は飛び退く。


 少女の膝が、一瞬前まで俺の股間があった場所を打つ。


「黒ッ!」


「死ねえ!」


 アルキスがスカートを履いていたことに、心からの感謝を捧ぐ。


「……部屋は汚すなよ」


 地人のおっちゃんが、それだけ言い残して部屋を後にした。野次馬の縋るような声が、扉に遮られて聞こえなくなる。


 残されたのは二人。

 猫のように唸るアルキスと、虎を前にした民間人――俺。


「神の奇跡はナシだぞ」


「こういうときには使えないのよ。攻撃のはね」


 忌々しげに、アルキスは言った。

 ということは単純な力量勝負になる……と思いたいが、ハッタリという可能性もある。慎重を期すべきだろう。

 そこで俺は提案した。


「……やめよう、不毛だ」


「な……なっ――さ、最近生え始めてきた気がしないでもないもんっ!!」


 空白。


 扉越しに上がる歓声を聞きながら、二人の間に先ほどとは違う沈黙が流れる。

 張り詰めた空気とは違う、絡みつくような嫌な雰囲気。


 見れば、アルキスは顔を下に向けて、ぷるぷると震えていた。

 耳が真っ赤だ。

 そういえばフード、被っていないというか……俺とくんずほぐれつしている間に脱げただけか。指摘しないでおこう、殺される。


 ……本当にこの子が、この街で最強の座に君臨する冒険者(トレイラー)なのだろうか?

 まあ昨日今日と見ていると、君臨というか街ぐるみで見守られているような気がしないでもないが。


「というかなんでまた、そんな勘違いを……」


「仕方ないでしょ! あ、あんたがいきなり黒とか言うから!」


 ……なるほど。

 先に彼女の意識を、スカートの中へ向けたのは俺だという説か。


「いやそれ俺悪くなくねえ!?」


「どっちが悪いなんて話はしてないわよ!!」


 しまった。余計なことを言った。



  ◆◆◆



 アルキスの機嫌はすぐに治った。

 打たれ弱いが立ち直りも早い、というのが、出会ってからこれまで過ごして分かった彼女の印象だ。多頭蛇の三番目の頭を落としたときも、すぐに再起動していたし。


 というわけで大して時間を無駄にすることなく俺は現在、ここ〈ピクシーの針子縫(はりこぬい)〉で服を見繕ってもらっている。


 翡翠の酒瓶亭を出て徒歩で体感五分。

 取り揃えている品は女性モノから男性モノまで様々だ。アルキスと店員さんが話し込んでいる間、俺は立派なひげをたくわえた只人(ヒューマン)っぽいおっちゃんと話している。

 もちろん二人とも、アルキスに翻訳の奇跡を掛けてもらっておいて、だ。


「――ってわけであの子とは、多頭蛇(ヒュドラ)の森で助け合ったのが最初ですね」


「ほほう、ラクラスの森で。あそこは広大で、泉も多くあります。ヒュドラは倒しても倒してもキリがないというのが現状で――お嬢も苦労なされておりましたからな」


 どうでもいいが、この街の人は妙にアルキスのことを『お嬢』と呼びたがる。

 本人は嫌がっているようだが。しかし街の人々は耳目の届かない、あるいは届いても駆けつけて来られないところでは言いたい放題だった。


 冒険者になって三年、志望していたのはもっと前からだというから、その頃から街にいたはずだ。

 街のみんなで育てた愛娘って感じなんだろう。


多頭蛇(ヒュドラ)の厄介さはその手数――いえ、頭数にあります。パーティを組んでもまともに囮ができる者すら少なく、単独(ソロ)で挑むようになってからどれほど経ちましたか……」


 そう言っておっちゃんは、ぴんっとひげを弾いた。目は遠くを見ている。


「寝物語に聞かせ過ぎたのでしょうな」


 もちろん、実際に寝る前に絵本を読み聞かせたわけではあるまいが。

 冒険者に憧れるようになったのは、この街の住人がそういう話を好んで教えたからだろうと、おっちゃんはこぼした。


「ああ、それで」


如何(いかが)なさいました?」


「ヒュドラを倒した後、俺の持ってた剣を泉から引き上げようとしてたんですよ。金になるからって」


 あのときは、金にうるさいのか困っているのかと思っていたが、この街に来てからのアルキスはむしろ逆だった。

 どちらかといえば裕福なほうに入るだろう。

 というか全体的に金遣いが荒い。


「冒険者といえば一攫千金、あるいは伝説の品を手に入れて一躍……というのはお嬢の中に刷り込まれてしまっておるようですからな」


 おっちゃんの声には、僅かだが後悔のように、自責のようにわだかまる感情が含まれているように思えた。


「……お嬢のこと、よろしくお願い申し上げます」


「えっ? あ、はあ。分かりました」


 思わず答えてしまったが、よろしくと言われても困る。

 俺がそのお嬢様にまあ……今はその、なんだ、養われてる、と言ってしまうと聞こえが悪いがまあ、ちょっとだけな? 厄介になっているというか……そういう立場なわけで。


「うむ、うむ。今日は良き日ですな」


 けれどおっちゃんは満足げに頷くと、俺が考え込んでしまうより先に歩き出す。

 そうすると俺もおっちゃんの行く手に意識を向けないわけにはいかず、連れられたのは小さな個室だった。


「風があるとよろしくありませんから、扉を閉めて頂けますかな?」


 言われるまま扉を閉めると、おっちゃんがいきなりぶっ倒れた。


「うえっ!?」


 そして徐々に、服が消え、髪が消え、輪郭が不確かになっていく。駆け寄って抱き起こしたときには、ぴんと伸びたひげはなくなっていた。


 俺の腕の中にいるのは、白いのっぺらぼうの木偶人形のみ。

 怖ッ。

 思わず床に投げ捨てた。


「そう驚かれずとも、(わたくし)はここにおりますゆえ」


 声がした。頭上からだ。

 見上げると、小さな人間が礼儀正しくお辞儀をしていた。

 おっちゃんにそっくりだ、ひげまで。


 空中に浮かんでいたのは、小さな人間だった。

 光の粒がこぼれ落ちる透明の羽が二対、背中から生えている。ただ、それらが空気を掻いているようには見えない。

 ときどき思い出したように羽ばたいているが、まさかそれで飛んでいるわけではあるまいし。


 どういう原理なのか、皆目見当もつかなかった。


 ともかくタキシードに身を包み、蝶ネクタイまでキメたミニマムおっちゃんは、ゆっくりと顔を上げて俺の視線と同じ高さまで降りてくる。


「……誰だ?」


「この店の店長をしております。妖人(ピクシー)のジャーグレムでございます。以後、お見知りおきください」


 空飛ぶ小人さんはぺこりとお辞儀をして、すぐに頭を上げた。


「と、まあ堅苦しいのはこのくらいにして」


 ぺいっ、と妖人――ジャーグレムさんはつけひげを投げた。それは光の粒子のようになって、空気中に消えていく。

 そして俺の周りをぐるぐると回り始める。


「よし」


 やがて満足げに頷くと、彼はすぐさま俺の足元へ墜落気味に落ちていった。

 正確には、俺の足元にある人形に、だ。


 ジャーグレムさんの姿が消える。(いや)、人形と同化する。

 すると、またたく間に人形は原型を――おっちゃんの姿を取り戻す。

 ひげも健在だ。服も着ている。


 ……本体のときもつけひげだった(しかも投げ捨てていた)のに、なんでわざわざ再現しているんだろうか。


「では始めましょう」


 そう言って、ジャーグレムさんは小さな針を取り出した。

 刺されるのかと思って後ずさると、彼はひげの下でひっそりと笑って声をかけてくれた。


「そう心配なされずとも、ジン様はそこでご覧になっているだけでよろしい。なんなら部屋を出て頂いても構いません。まあ、後学のためにもここに留まられることをおすすめいたしますが」


「どういう意味ですか?」


「こういう意味です」


 ジャーグレムさんの針が、規則的に動き始める。

 それが指揮をするための動きだと、すぐに分かった。意味が流れ込んでくる感覚。

 翻訳の奇跡(トランスレイト)の効果がまだ続いている。


 やがて、周りから音が鳴り始める。

 突然始まった演奏に俺が驚いていると、さらに驚くべきことが発生した。


 周囲にあった道具、材料の類が、ひとりでに彼の前へ集まり始めたのだ。


「ひとりでに、ではありませんよ」


 俺の心境を見透かしたかのように、ジャーグレムさんが微笑む。

 確かに、よく目をこらせば一部のアイテムは、周りに微かな光の粒子がまとわりついているような気がする。

 だが、ほとんどの物体はやはり、ひとりでに動いているように見える。


妖人(ピクシー)族の多くは、こういう力を操るのが得意なのです」


 そうは言われても心配になる。

 希少種狩りみたいなことは、ここでは起こっていないのだろうか。アルキスが森人(エルフ)であることを隠している理由も、同じだと思っていたのだ。


 疑問を口に出すと、ジャーグレムさんは困ったように笑った。


「そもそも、看板に出していますからな」


 そういえばそうだった。最初は大して意味もないものだと思っていたが、確かにここにはピクシーの針子がいる。


 やがて、鎧ができた。革製の軽そうな鎧だ。それから篭手。続いて脚甲。最後に兜――だと思っていたら、フード付きのロングマントみたいなのが出来上がった。


「さて、これで全て、完成です。どうぞ」


「……いや、どうぞって言われても。高いでしょう。これ、全部」


「ええ。並の冒険者ならパーティ全員でお金を出し合っても届くかどうか。ですが、神鉄徽章級(アダマンティン・)冒険者(トレイラー)から見れば格落ちもいいところでしょう」


「……買えませんよ。金がない。折角作ってもらって悪いですけど――」


「いいえ、ジン様からお金は頂きませんよ?」


 何を言ってるんだこいつは。そんな思いを込めてジャーグレムさんを見ると、彼はふっと笑った。


「この精霊の(スピリット)裁縫師(・テーラー)にご依頼なさったのは他でもありません、お嬢その人ですからな」


 まるでその瞬間を待っていたかのように――いや、気配からして実際に待っていたのだろう――扉が開いて、アルキスが入ってきた。


「お嬢って呼ぶのやめて」


 それが彼女の第一声だった。

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