第12話 ◇狂言回天
翌日もまた、それらは現れた。
蛇の姿はない。
村人たちは安堵とともに剣をとり弓をとり、ヴィシャス・スケイルに応戦した。
先頭に立つのはカエデ。
後ろで弓を引き絞るのはアルキス。
他には数百の森人たち。
自分の村を追われた者もいれば、生まれ育った村を守るために立ち上がった者もいる。
共通しているのは、彼らに退路を選ぶ気はないということ。
既に逃亡を選んだ者は、戦えない者たちを守って世界樹を下っている最中だ。
彼らが生き残れたのかどうかは、ここにいる者たちには知る由もない。
それに、それどころではない。
「あぁっ! くそ! 離せ化け物!」
前線を支えていた森人の戦士が、魔物の脚に掴まれて叫ぶ。
しかし戦士は助かった。
声に反応したカエデによって、完全に身体が浮かびきる前にその脚が切り落とされたのだ。
「た、助けてぇ!」
だが数は敵のほうが多い。
反対側でもう一つ悲鳴が上がった。
見れば魔物に、女戦士が連れ去られんとしている。
女戦士の足が空を切る。
自分の足では間に合わない。
カエデが諦めて次の敵を見据えようとしたとき、視界から外れる寸前に魔物の目から矢羽が生えるのを見た。
――まったく。どこから射ったのやら。
アルキスの技量に感心しつつ、遠くで聞こえた泡立つような声――濁った断末魔に顔をしかめる。
カエデとアルキスだけでは、到底森人全員をカバーすることはできなかった。
「ちぃッ! 戦力を分散するのはまずいと、言っても聞かんじゃから! せめて煩わせぬように立ち回れぬもんかの!」
悪態を吐きながら一匹、また一匹とカエデは魔物を狩る。
今日はアルキスの周囲につく必要はない。
というより敵の正体を知った時点で、手を分けるべきだと二人は判断したのだ。
アルキスの矢だけでは、村人森人のお守りが完遂できない。
前線で、手の届く限りカエデが救う。
後衛から、矢の間に合う限りアルキスが救う。
二人の奮迅によって、層の薄くなった森人の戦線はどうにか崩壊を免れていた。
「右翼に増援! 十五秒!」
アルキスの怒号に森人たちは波打つように動く。
その間隙を縫ってカエデが駆ける。
本日何度目かも分からない接触だったが、カエデは一番槍をとった。
七日木登りの鬱憤を晴らすように、彼女の働きは獅子の如きものだった。
嘴が空を切る。
脚が風を掴む。
翼がはためく――より先に、紙切れが魔物の生を断つ。
先頭から一つ後ろにいた魔物の死を皮切りに、衝突が始まった――
◆◆◆
突発的に始まった傭兵稼業の、一日目が終わった。
死者は一桁ほど。蛇までに戦線へ復帰できない重傷者が、別途一桁ほど。
軽傷を負った者は多くいるが、明日の戦線に関わるほどの傷を受けたのは上記の通り両手で数えてどうにか余るくらいだった。
完全勝利と、呼んでいいだろう。
戦って生き残った、特に近しい戦友を失ったわけではない者たちにとっては酔うに値する勝利だった。
容易い勝利。
微々たる損耗。
つまりは忌々しい魔物たちを、かつてないほど完膚なきまでに叩き潰してやったという事実。
蛇の恐怖を、忘れたわけではない。
忘れたわけではないからこそ――忘れたいという思いも、恐怖そのものも飲み込んで、最後の砦まで追い詰められていた森人たちは片時の優越に酔いしれていた。
それは一筋の光明。
今までは世界樹に住まう自分たちしか頼るものがなく、昏く閉ざされた未来に絶望していた彼ら一族の前に、突如として現れた救いの手。
アルキスとカエデは、最初の助太刀のときよりも遥かに丁重な歓待を受けていた。
持て囃す声は止まない。
今回の勝利の立役者には、酌する者が後を絶たない。カエデなどはテンションがオーバーフローしているのか、儀霊と武器代わりの紙切れを使って宴会芸を仕出かしている。
恨み言を投げる連中もいない。
それが族長に制止されているからか、優秀な狙撃手から流れ矢を受けるのを恐れたからかは分からないが。
しかしアルキスは剣呑な空気を醸している。
悪意を向けられるわけではないが、あるいは悪意より彼女を苛立たせるものが周囲に屯しているからだ。
「俺の名はクルツ。世界樹の森人随一の使い手、クルツ・サリッサだ。よろしくな、美しい風精の森人のお嬢さん」
またこの手合いだ。と、アルキスの表情が一層暗くなる。
世界樹の森人で一番。世界樹に住む森人で一番。どこそこの村で一番。雑種森人で一番。
言い寄る男どもの自称を聞き流し、アルキスは静かに杯を傾ける。
「それは朝露かい? 折角だから俺が注いであげよう」
クルツと名乗った男が酒精の混じった――まさか最高戦力に対して、毒の類までは仕込んでいるまいが――瓶を差し出していると分かった上で、アルキスは杯を差し出した。
元より彼女はほろ酔いすらするつもりはない。
宴会の後、夜深くにこっそりと抜け出してまた契り葉の弦と格闘しなければならないのだから。
酒だろうが毒だろうが薬だろうが、今は身体を侵さないように暗獄神の加護を発動している。
「……よっと。では俺も一杯」
クルツは茶髪をかきあげ、ぐびりと酒を呷る。
「なあ、アルキスさん……斥候に出ていた仲間が蛇を見つけたようなんだ。ペルなんとかっていう奴をさ」
対するアルキスは黙々と、口に触れた途端に水になる酒を胃に送り込む。
「俺のいた村からこの村までの間、結構この村に近いところで脱皮の最中だったって話だ。明後日か――いや、楽観的過ぎるか。きっと明日には襲ってくるんだろうな」
二人はともにハイペースで杯を空にしていく。
「ああ、こんなことが言いたかったわけじゃなくてだな。つまりだ、お嬢さん。森界で一番強い俺と――」
二人はともに森人だ。
水も酒も、どれだけ飲んだところで水分そのものは世界樹に吸収される。
「俺、俺と……うぷ」
だが、酔いは別である。
実質水を飲んでいるだけのアルキスは平然としているが、クルツは瞬く間に赤ら顔になって、次第に顔色を失って――
「――――!!」
覆水の前に、アルキスはその場を離れていた。
騒ぎの中心から距離を取って、しかし宴から姿を消したとはみられない程度の位置に腰を下ろす。
「……ふう。英雄だなんだって持て囃すなら、少しくらいゆっくりさせてくれてもいいのにね」
「随分と疲れておろの。精神的に」
独り言ちたアルキスの隣で、すとんと座りの軽い音がした。
じろりと見遣ればカエデが笑っている。
普段のような邪悪さはないが、毒のある表情だ。
「誰かさんは楽しんでるようで何よりだわ」
「妾は一足先に苦しんだかあのう。誰かさんのせいで」
くつくつと笑うカエデを無視して、アルキスは新しい水を杯に注ぐ。
これは酒ではなく本当にただの朝露だ。
「しかしモテモテじゃったのう。けぷっ。……好みの男子はおったかね?」
「いないわよ。ああいうのは――」
――あたしの趣味じゃない。
そうアルキスが告げる前に、カエデは話題を次へ持っていく。
「ジンベエもあれくらい積極的になれば良いのになあ。そーは思わんか」
「ジンベエじゃなくてジンタロウよ。ジンの名前は」
「過ぎたるは及ばざるが如し、とはよく言っらものじゃな」
「話聞きなさいよ。……それはともかく、なにそれ。誰かの言葉?」
「程々が一番という意味じゃ」
アルキスの疑問に被せるように、カエデは話を続ける。
「ジンベエが先の森人のように迫ってきても、それはそれで嫌りゃろう?」
「……なるほどね。…………って! あたしは」
「足して二で割れれば良いのじゃがな。人は簡単には変われにゅの」
また言葉を遮って、カエデが喋る。
違和感を覚えたアルキスがカエデの顔を眺めるうちに、さらに話題が飛んでいく。
「酒は百薬の長ともゆうが、薬も過ぎれば毒になるからのう」
「……ねえ。あんた、もしかして――」
「しかし毒をもって毒を制す、という言葉もある。げっふ。毒に成り果てた薬を抑えるには、毒を薬のように使う気概も必要にゃのじゃろうなあ」
「――酔っ払っては、いないみたいね」
(顔は随分と赤いんだけど、気のせいだったかしら)
そうしてアルキスが、意識を他に向けようとした瞬間。
「何が酔っ払いじゃあ! 妾は酔うておりゃんわ!」
「へあ!? な、何っ、どうしたのよ!?」
カエデの小さな手が、アルキスの握っていた小瓶をひったくった。
杯を介さずそのまま傾け、カエデはごくごくと中身を干していく。
「……えっぷ。何りゃこれはぁ。酒精が足りぬぞ」
当たり前である。
彼女が飲み干したのは栄養たっぷりなだけのただの水だ。
「ちょっとあんた。やっぱり酔っ払ってるじゃないの! 酒も過ぎると毒になるって、さっき自分で言ってたくせに」
「飲み過ぎてぇはおらぬぅ。おらぬぞぉ。ふへへ、妾は地人の血も引いておるのじゃぞぉ。酔いが足りんのじゃー」
「毒を消化できる内臓は受け継いでないんでしょうが……」
完全に面倒な性質を開花させてしまったカエデを引き摺っていく。
自分と泥酔幼女に割り当てられた寝床で仮眠をとり、再び夜空の下へ出るときには宴も終わっていた。
「……さて。今回はもうちょっと、頑張ってみましょうか」
そしてアルキスは、世界樹の葉を一つ手折った。




