第07話 ◇森界へ〈一〉:出立
ここからしばらく三人称パートです。
第三章終了まで。
赤い、長い絨毯。大人二人が肩車してでも通れるような大きさの窓。異様に高い天井と、そこから不安定そうに吊り下げられた照明は、しかしぴたりと静止している。
そのシャンデリアを見て、電球に驚ける人物はここにいない。
ミレニアン中央、ミレーティア王宮殿は謁見の間。
ここにいるのは玉座に腰掛けたカエデと、冒険者アルキス。
そして居並ぶ騎士たちだけだ。
騎士たちの警戒度は高いが、規則を破るわけにもいかずアルキスの喉元を狙えない場所に立っている。
アルキスの速射を妨げるには遠過ぎる距離だ。
もちろんそれは、カエデがこの世界で五指に入る剣技――もとい紙技――を持たなければの話。
「お呼びかしら。女王様?」
そしてアルキスに、カエデを狙う気があればの話だ。
重厚な鉄扉をくぐって現れた彼女は、尊大でこそあれ殺意はなかった。
騎士の視線の間を堂々と大股で歩いた挙げ句、通常の謁見の形式より数歩ばかり前に出て、跪きもせずにそう問うた。
騎士たちは微動だにしない。
王宮にはいくつもの騎士隊があるが、彼らは中でも謁見の間に並ぶことを許されたエリートたちだ。
ゆえに、森人が尊大だろうと、天人が発光しようと、地人が泥土で絨毯を汚そうと、妖人が玉座より高い位置まで飛んだとしても、決して揺らがぬ精神力を持っている。
それに――
「おおっ。やっと来たか。待っておったぞ」
カエデがそう言って、玉座から飛び降りた。
そのままアルキスへと走り寄っていく。
――それに、女王からしてこの気質なので、騎士が無礼を正そうと意味はないのだ。
女王の気品のなさにため息をつきそうになる自らの喉を戒め、騎士たちは玉座の隣を見る。
そこには一人の老臣が膝をつく姿があった。
枯れ木のような腕で胃腑のあたりを押さえ、こめかみに青筋を浮かべて「姫様ぁ……!」と呻いている。
彼は宰相。
無類の辣腕にして、常識に囚われ過ぎた哀れな存在。
彼が、この王国の胃痛と政事の中枢である。
そして騎士たちは思うのだ。
あんな目に遭うよりはマシだと。
言葉も視線も交わさず、騎士たちの心は一致団結した。
さて。
騎士たちの心労が緩和されたところで、アルキスとカエデに話を戻そう。
謁見の間の真ん中、絨毯の上で二人は相対する。
「くっくっく。いやなに、ジンタロの件でお主には伝えておかねばならんことがあっての」
「ジンの? ……そういえば今日はまだ見てないわね」
「くっくっく。聞いて驚けとは言わぬが、お主は驚くであろうなあ――」
アルキスが眉根を寄せても、カエデは悪戯っ気のある表情を崩さない。
どころか挑発的な言動に、アルキスの眉間はますます深く皺が刻まれる。
「ジンタロとは、しばし離れてもらうことになるからの」
「…………」
カエデがそう告げるのを、アルキス・バルダインは呆けた表情で聞いていた。
意味を解するより先に疑問が浮かび、遅れて感情が沈んでいく。
指先は冷たく。喉奥は熱く。
あべこべの感覚にふらつきながら、アルキスは声を絞り出した。
「どういう、意味よ」
「くっくっく。どういうも何も。妾がたった今、仰せたそのままの意味に決まっておろう。ジンタロは刃術の修行に忙しい。ゆえにアルキスよ、お主と会う暇はないのじゃよ」
「そんなこと言ったって、朝とか夜にちょっと会うくらいはできるでしょう? こんなところまで呼び出して、大袈裟じゃないかしら」
「それができんのじゃよ」
カエデは首を横に振った。
「ま。キリヒトが――あれの師が申しておった通りの才覚なら、武闘会には間に合うじゃろうて」
幼い見た目の性悪女王は、心底愉快そうな顔でアルキスを見下ろしている。
口端を歪めて目を細くするその表情は、到底幼女のものとは思えぬものだった。
若き神鉄級冒険者の動揺が収まるのを待って、カエデは再び口を開く。
「しかし、いい機会ではないか。"孤狼の"アルキスにつがいができたなどと噂も流れておるが、それくらいジンタロとともにいたわけじゃな。となれば久方ぶりに、一人で過ごすのも悪くなかろう?」
「一人で……」
応じるようにこぼれたアルキスの呟きは、謁見の間の広い空気の中に溶けていった。
◆◆◆
王宮都市北端、大裏門。
そこから一人の少女が、北へ向かって歩いていた。
言わずもがな、アルキスである。
装備はジンといたときと変わらない。
彼女の魔法の鞄は級相応に大容量で、複数の口を持っている。
右手でも左手でも、後ろ手に取り出すのも思いのままだ。
だから彼女の道程に憂いはない。
ない――のだが。
「うううっ! き、気になる……」
道程ではなく後顧が憂いではどうしようもない。
むずがゆい感情を抱えて、アルキスは王都を振り返った。
無意味に大きいとしか思えない全高十数メートルの鋼の門が、堂々と聳え立っている。
そして。
「おやおや。奇遇じゃの」
そしてもう一人。
金色の髪に、橙の瞳。
薄灰のシャツと青のホットパンツ。
見た目はまるで女児のように。
一体如何にして宰相の目を免れたのか、門から離れた場所でカエデは姿を現した。
「……なんでこんなところに」
対するアルキスは感情を隠しもせず、カエデを見て顔をしかめた。
「お主はいつも不機嫌そうにしておるな」
「あたしの勝手でしょう。……ちょっと、近付かないでくれるかしら」
ひょこひょこと近寄るカエデ。
じりじりと後退るアルキス。
近寄るカエデ。
後退るアルキス。
ひょこひょこ。
じりじり。
彼我の距離はゆっくりと詰まっていく。
「ところでアルキスよ」
にじり寄るカエデが問う。
「ジンタロが何をしておるか、知りたくはないか?」
「っ……!」
すぐさま反応しそうになった身体を懸命に御して、アルキスは声を押し殺す。
「うん? うん、うん? くっくっく――聞きたいのじゃろ? 聞きたくて仕方がないのじゃろう? 頼んでみてはどうかの。妾はミレーティアの女王ゆえな。ミレーティアの民が伏して頼むなら聞いてやらんこともないぞ?」
「……それが本性ってわけ? あんた、ユミナよりムカつくわね……!!」
「くふふっ! 流石に"魔女"殿より性悪とは自負しておらなんだが、お主がそう言うならそうなのかもしれんのう!」
そして嬉しそうに、カエデは嗤う。
表情に女王らしさなど――別の意味でのそれらしさはあったが――欠片もなく、彼女は嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「で、アルキスよ。どうじゃの? 妾を連れてゆけば妾の退屈をしのいだ度合いに合わせて、主に話をしてやろうではないか。もちろんジンタロの話をな」
「……本当に厭らしいわね。掌の上で転がされてるって、こっちが分かるようにやるところまでユミナと一緒だわ」
ふんすと鼻息を荒く吐いて、アルキスはカエデに背を向けた。
つまり、行き先のほうへ身体を向けた。
「くっくっく。妾はそれだけのために状況を用意したりはせんからの。やはりいくらかはマシじゃろう?」
「……やっぱり分かっててやってるんじゃないの」
「おっと。そんな風に聞こえてしまったかの?」
こうして、二人。
最勝の弓撃士と最小の刃術師が紡ぐ、奇妙で短い前日譚が始まった。




