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刃の転界者  作者: 利々 利々
第二章 祈祷師は愛の咎人
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第11話 祈祷師の弱点、斬り徹しの弱点

「本当に申し訳ない」


「……あなたが謝ることではありませんわ。元より今の(わたくし)は公爵家令嬢ではなく一冒険者(トレイラー)。体調が悪くなったのを心配されておきながら、仲間を引っ(ぱた)いたことのほうが問題でしょう」


 御鈴流で鍛え上げた身体制御によって歪みなく土下座した俺の頭上から、当惑したような声が落ちる。

 シズカのものだ。彼女は特に何の問題もなく、俺の前に立っていた。


 そう、特に問題なく。

 なんのことはない。シズカの身体を蝕んでいたのは毒ではなく疲労だった。ただそれだけの話だ。


 普段一緒に行動しているのがアルキスなので気付かなかったのは俺の落ち度。

 自分の体調を報告――少なくとも把握できていなかったのはシズカの落ち度。

 そういうことで、一応の決着はついた。


 戦闘を合間に挟みながら、浮遊移動する警報機に注意を払いつつ、幅十メートル前後の壁なき道を早足で、月明かり程度の照明だけを頼りに数時間歩く。

 なるほど言葉にしてみると、神経も体力も磨り減りそうな内容だ。


「儀霊で身体強化はできないのか」


「やれるだけはやりましたわ、神官や魔法使いと比べられると見劣りするでしょうけれど」


「得意分野ってやつかい」


「そうですわね」


「アルキスたちの場所までどれくらいだ?」


「半ばほど。お姉様たちが移動していなければの話ですが」


「俺たちの居るほうへ移動してる可能性は」


「ゼロではないでしょうね」


 あてにはできそうもない。


「とにかく移動は続けよう。検索の儀霊は何度でも使えるのか」


「お姉様を探すだけなら、それほど負担は」


「じゃあ休憩の都度、使って動くってことでいいか」


「……異論はございませんわ」


 なんだかダウジングじみてきたな。


 こまめに休憩を繰り返しながら進んでいく。

 ダウジング――もとい検索の儀霊によると、アルキスたちは僅かずつ移動していた。ただ、動きが不規則で何かを目標にしている様子はないらしい。


「迷ってる……わけじゃないよな」


「そういうときは立ち止まるはずですわ。大方、悪魔(デヴィル)たちに纏わりつかれぬよう位置を変えているのでしょう」


「ああ、そういうこともあるか」


 納得した。

 まあ俺たちにできるのは、いずれにせよアルキスを目指して進むことだけだ。


「さて。じゃあまた行くか」


 近くに魔の類がいないことを確認して、(おもむろ)に腰を上げる。


「……あなたが指図しないでくださいます? お姉様に寄生する虫の分際で」


「思い出したように毒吐くのやめない?」


 これさえなければ悪い奴ではないと思う。



  ◆◆◆



 道中は順調だった。


 適度な警戒を保ちつつ、疲弊しない程度に戦闘が挟まる。極度に弛緩することもないが、限界まで緊張することもない。

 平凡な波のように道中は穏やかだった――それはある種の退屈を伴っていて。


 もうすぐアルキスたちと合流できる。

 そんな折。


 だからそれは、きっと必然だった。


 思えば深追いし過ぎていた。考えてみればその悪魔(デヴィル)位置取りは誘うようなものだった。振り返ってみれば注意が欠けていた。


「よし! やっと一匹倒した」


「……最初の讒言の(スランダー・)悪魔(デヴィル)のことを忘れていませんか?」


 そういえばそんな奴もいたなと、思い出しつつ細剣(レイピア)をしまった。


「とりあえずそろそろ休憩に――」


 言いかけた、ときだった。


 己の油断に気付いたときの、特有の緊張感。

 駆け寄ってくるシズカの表情がさっと青褪めた。足が止まった。


 彼女の目は、俺のすぐそばを見ていた。

 視線を追わなくても分かる。

 何かがいる。


 現れたのは空中石道の下から。ふわりと浮かんできたそれは、片手には収まりきらない大きさの目玉だった。

 目と『目』が合う。

 あっという間に充血し、白目の部分に無数の赤い脈を走らせた目玉を、俺は。


 斬った。


 鞘が駄目になるのも承知で、納めたばかりの細剣(レイピア)を振るった。

 最短。

 最速。

 理を体現する剣撃は、これ以上ないほど理屈以外を取っ払った軌道を描いて、目玉を斬った。


 嗚呼、けれど。


 その断面が、剣の通り過ぎた端から再び繋がっているのを見て、俺の心を覆ったのは絶望だった。

 まるで泥を斬るように。

 その現象が起こるのは、二つ。

 本当に液体を斬ろうとしたとき。

 あるいは――


 魔法や奇跡を、斬ろうとしたときだ。


 だから俺は。


『ピィ――ギイイィィィァァァァァ――――!!』


 呆然と目玉が、警戒音(アラート)を響かせる様を、見ていることしかできなかった。


 あまりの音量に立ち竦む。

 充血したような見た目の飛行眼球は俺を見ている。瞼もない、眉もない、顔すらない――感情の読めない瞳を俺に向けている。


 そいつが突然、破裂した。


 ぱんと音を立てて。

 血飛沫はなかった。


 きっと儀霊だ。


 そう思う前に、声がした。

 叫ぶような人間の声。


「っ――馬鹿! 走りなさい!!」


 それがシズカのものだと気付く前に、俺は弾かれたように走り出していた。


 一歩。事態を理解する。

 二歩。感情を押し殺す。

 三歩。冷静を取り戻す。


 四歩目を踏み出す頃には、シズカの身体を抱え上げていた。


「何をなさいますの!?」


「うるせえ! そろそろ休憩ってタイミングだったんだ、体力温存しとけ!」


 代わりに俺に身体強化をかけろと、視線で訴える。


 それから五秒。

 実に詠唱時間だけの空白を経て、身体が軽くなった。


 錯覚だ。実際は力が強くなっている――この状態だと、『斬り徹し』を使うのは厳しそうだ。切っ先の精密な操作なんてできる気がしない。


「足だけでいい」


 短く告げると、僅かに腕が重くなった、あるいはシズカが重くなった――ような気がした。


 あわよくば、警報地点から素早く離れて何事もなく済ませたい。

 そんな思いがあったことは否定しない。


 しかし逃走開始から二分で、カップ麺より早くいずこからか湧き出た魔族(デーモン)の群れに、俺たちは追い回されていた。

 状況は本当に追い回されているだけだ。


 飛べる連中の進路だけシズカが妨害すれば、俺のほうが足が早い。

 単純に速度なら、追い付かれる心配はなかった。


 時々、前方から先回りした奴らが現れたり、もっと少数の連中が上空を走る空中石道から飛び降りてくる場合もあったが、すべて対処できている。

 言ってはなんだが所詮下級(レッサー・)魔族(デーモン)

 数さえ絞ればなんのことはない。


 ……そう、数さえ絞れば。

 後ろから迫ってくる、数十数百の魔族(デーモン)どもを相手にしている余裕はない。

 というか乱戦になったら即刻足を踏み外しそうなので、絶対に交戦したくない。

 こんな狭い足場で足元の見えない戦闘なんて、考えただけでも怖気が走るね。


「次の分岐を右ですわっ!」


 シズカの指示通りに道を曲がる。

 互いに毒を吐き合う余裕もない。そしてやはり毒さえなければ、悪い奴じゃない。

 どころか有能過ぎて俺が見劣りするくらいだ。


 突発迷宮(エンカウンター)に来てから今まで、マンティコア野郎を細切れにしたのと長距離走以外にいいところないからね、俺。

 悪魔(デヴィル)に挑発された挙げ句に深入りして、警報目玉に発見された上に発令も防げなかったし。

 ……あれ? 割とどうしようもないな。


「自信なくなってきた」


「いきなりどうなさいましたの!?」


 脇腹のあたりでシズカが騒ぎ始めた。腕の中で暴れられるとくすぐったい。


「無視ですの!? 何の自信がどうしたというんですか!」


「なんでもない! 空耳だ! それより次は!?」


 声に応えるように、儀霊の光が強くなる。

 返答はすぐに来た。


「――もう一度、右ですわ。その後は三つ股の分岐を直進して……えっ?」


「なんだ、どうし――」


 ひうんっ、と。

 俺の頭上を風切り音が裂いた。それが矢だと知る前に新たな音が。射手を認める前にまた新たな風が。


 矢は一本や二本ではなかった。

 雨あられのように降り注いで、魔族(デーモン)どもに突き刺さる。

 射手は高い位置にいた。俺の走っているのとは別の石道で、櫓の上から射るように弓を引き絞っている。


 放ったのは一人の森人(エルフ)

 金色(こんじき)の髪に(へき)の瞳。


「……あんたたち何やってるの?」


 呆れたようにため息をついたのは、アルキスだった。

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