第09話 石の隘路と思わぬ罠
宿を離れ、幅十メートルほどの空中石道を進んでいく。
おそらくは異物を探しているのだろう、空飛ぶ目玉の視界から逃れながらの探し物は遅々としている。
〈常夜の六相界〉のまともな地上は、連々と続く山々だけ。
他の場所はもっぱら、不自然にも宙にある。そのほとんどは山を錨代わりにするように、細い石の道――遠目に見ると、糸と呼びたくなるくらいの――によって大地と繋がっていた。
ごく稀に完全な浮遊物体も存在するようだが、今は考えなくて良いだろう。
ともかく俺たちは今、その石糸もとい空中石道を通って山へ向かう途中なのだ。
目指すのは上。
山頂付近にぽっかりと空いた穴ぐらだ。
そこに最初の目標がいる。
「作戦に納得しておいて言うのもなんだけどさ、結界を張るのって儀霊使い――祈祷師っていうんだっけ? そいつらにしかできないのか」
「なんで僕に訊くんですか」
声量を落として訊ねた俺に、同じトーンで返したのはヴァレットくんだ。
なんでって、そりゃあ……シズカに直接訊いたら面倒臭そうだからだよ。
「まあ理由はいいじゃないか。ただ気になっただけだよ。それとも、教えるとまずいことだったか?」
「……いえ、構わないんですが、面白い話題ではないですよ?」
「別にいいさ。黙って歩くよりましだろ?」
「暇潰し、というわけですか」
肩を竦める。
前を歩くアルキスと、彼女に纏わりつくシズカは騒がしく、こちらの会話に気付いていない。
「結論から言えば、できます。魔法が魔法の物品を創り出し、神々が人の器を通じて奇跡を起こすように、儀霊は『場所』に関わる発現を得意としていますが、あくまで得意というだけです」
ヴァレットくんの目が、アルキスの背中を見る。
「アルキスさんなら少し練習すれば、あるいは今すぐにでも奇跡で結界を作れるでしょうね。これは魔法の話ですが、今代の"魔女"は翻訳の奇跡を再現した魔法の装身具を発明したそうですよ」
ぴっ、と彼は指を立てた。
「系統ごとの得意というのは、基礎に過ぎません。剣を受けるには盾が必要ですが、熟練の戦士なら剣や槍でも代用できる。その程度の差違です」
「なるほど、アルキスやシズカは傑物ってわけだ」
「それで、どうして僕にそんな話を?」
急な話題の転換に、ぎくりと背筋がひくついた。顔には出ていない……はずだ。
「さっきも言っただろ。理由なんてないさ。本当に、ただ気になっただけで」
「さっき仰ったのは『理由はいいじゃないか』でしたよね?」
「む……そうだったかな」
そうでしたよ、と。
きっぱり言い切って、ヴァレットくんは俺の目を覗き込んだ。
「……分かった、分かった。話す。ちゃんと話すからそう迫らないでくれ」
「嘘を言うのも駄目ですからね」
「元々隠すことでもないしな」
だったらなんではぐらかそうとしたんですかという問いは無視して、言葉を頭の中で組み上げる。
「聞いたんだ、アルキスから。奇跡は儀霊と相性が悪いって。だから気がかりだっただけで」
「アルキスさんからですか、なるほど。道理で歯切れが悪かったわけです」
得心いったのかどうか、ヴァレットくんはしきりに頷いた後、再び俺を見た。
瞳には、かすかに悪童の色が滲んでいた。
「ついでだから訊くけどさ。実際のところ、どうなんだ。――相性が悪いっても程度があるだろう? 儀霊と奇跡ってのは、実戦じゃ相手にできないほどなのか。近付くとやばそうだってのは、なんとなく分かるんだが」
「何をどう分かっていらっしゃるのか存じませんが、儀霊使いが側にいるだけで影響が出たりはしませんよ?」
「……そうなのか?」
話すのすら嫌がるもんだから、てっきり近付くだけで奇跡が弱るとかそんなのだとばかり。
予想が外れたと正直にヴァレットくんに話すと、彼はころころと笑って言った。
「それほど相性というのが致命的なら、お嬢様はそもそも『愛しのお姉様』に近付きませんから」
……それもそうか。
「アルキスさんが仰っていたのはおそらく、遮神性のことだと思います」
「シャシンセイ?」
初めて聞く言葉だ。
「ええ。超常の力には、それを引き出す源があるでしょう? 魔法なら、この世にあまねく存する魔力を。儀霊なら先人たちの思いの残滓を」
「奇跡なら、暗獄神様のお導きを、だな」
「魔界の神に愛される人間なんて、それこそ一握りですけどね。メジャーな神というと太陽神とか森雨神あたりでしょうか」
「色々といるんだな……んで、遮神性ってのはどういう理屈なんだ?」
「先ほど僕が言ったように、神にも魔界や太陽など、それぞれに居場所があります。通常なら行使者は自身を媒体に奇跡を起こすわけですが――」
ふむ。
神様本人から現実へ中継するのが本来の仕組みってわけか。すると神の力が電波みたいなものと考えて、電波を遮断してしまうのが儀霊というわけだ。
「――儀霊がその行使者と神との間で発動していると、奇跡が弱まるとされています。矢弾を盾が遮るように」
「そりゃまた一体どういう仕組みなんだ? 結界と関係があるのか」
「結界は得意分野の話ですから関係ないですよ。奇跡と儀霊の関係については解明されていません。一応、奇跡は神の領域の力で、儀霊は人の領域の力。だから人の領域たる現世では儀霊のほうが優先してはたらくのだ――という仮説を聞いたことはありますが」
「『なんだかよく分からない』が答えか。難儀だな」
「あまり難しく考える必要はないと思いますよ。敵対しなければ問題にすらなりませんし、仮に敵が儀霊使いだったとしても、アルキスさんには弓があるでしょう?」
それに俺もついてるし。……というのは口には出さないでおこう。恥ずかしい。
「ああ。色々と根掘り葉掘り聞いて悪かったな。勉強になったよ」
「お役に立てたようで何よりです。……まあ、お嬢様を仮想敵とするなら、僕に訊ねるのはまずいと思いますけどね」
「……気付いてたのか」
「お嬢様は、アルキスさんの情報収集に余念がありませんからね。"黄金の顕邪"の結末から、もっと些細なことまで」
……?
…………まあ多分マクスウェルのことだろう。
「その調査も、きみが担当してるのか」
「もちろんです。僕はお嬢様の懐刀ですから。……なんですか、その目は」
「いや、なんでもない」
この子、過労死しそうだ。
六面世界での秘書とか重役とかいう役職が、どれくらい忙しいのかは分からないけど。
「ヴァレット。いつまで野人と話しているの? ああ、野人じゃなくてジンさんでしたわね」
「お前はなんでそう常に刺々しいんだ」
アルキスの隣を歩けて満足していたんじゃないのか。
「心外ですわね。常に、ではありません。あなたにだけですわ」
「なお悪いわ!」
生意気極まる十三歳の少女に向かって。
ほんの少しだけ気圧すつもりで視線に力を込めたとき、それは起こった。
「――あっ」
最初に反応したのはアルキスだった。
彼女が上げた声を、前兆とも呼べないほどの僅かな瞬間。
アルキスが矢を引き抜くより。
俺が細剣の柄を握るより。
ヴァレットくんが臨戦態勢になるより。
シズカが姿勢を崩すより――早く。
シズカの足元、ほんの少しだけ膨らんだ突起のような石ころが、がちりと音を立てて沈み込んだ。
まるでスイッチを押すように。
そして、光が起きた。
◆◆◆
「……しくじりましたわ」
悔しげな声に、目を覚ます。
視界にはシズカ一人。
身体を起こしてあたりを見回しても、アルキスとヴァレットくんの姿はなかった。
そこでようやく、狭くて薄暗い空間にいると気付く。
ついでに先のシズカの呟きが、二重音声に聞こえなかったことにも。
翻訳の奇跡と夜見の奇跡が切れてるな。
「悪い、シズカ。翻訳の奇跡が切れたみたいだから、俺に話すときは簡単な言葉で頼む」
途端にシズカは、驚きと気持ち悪さが半々に混じったような顔を俺に向けた。
なんだその目は。
「……お姉様の翻訳の奇跡が? …………分かりましたわ」
「今の間はなんだ」
不安になるだろうが。
「想定より距離があるようだと、そう思っただけですわ」
「時間切れって可能性は」「ございませんわね」
即答か。
どうやら俺が気絶していたのは束の間のようだ。しかし距離は奇跡が届かなくなるほど離れている。
するとさっきの光は――魔法的な転移の罠だろうか。
「トラップなんて迷宮らしいものがあるとは思わなかったよ」
「あれは罠ではなくて、悪魔ですわ。それも厄介な類の」
忌々しげに、シズカは表情を歪めた。
けれどすぐに、眉を下げてこちらを向く。
なんだ、しおらしいな。
「『目』に気を取られ過ぎました。……私の失態です。あなたまで巻き込んで、申し訳ありません」
……妙に毒気がないと思ったら、罪悪感があったのか。
「分かった。許す。で、今の状況なんだけどさ」
「切り替えが早過ぎませんか!? もっと……こう……」
「? 責めて欲しかったのか?」
「違います! 殿方というのはもっと、相手の落ち度を執拗に責めて人倫の欠片もないような要求を――!!」
「しねえよ! 人倫の欠片もないのはお前の頭の中だけだ! 俺はアルキス一筋だっての!!」
だいたいアルキス相手でもこんなところでおっぱじめねーよ!! 魔物の餌食になるわ!
「むむむ……確かにお姉様以外の誰かの弱味を握ったところで、脅して押し倒そうなどとは思いませんわね……」
納得するのかよ。
というかアルキス相手だったら脅して押し倒そうとするのかよ。
時と場合を弁えろよ。
「まあ、分かってくれたならいい。それでどうする? ここから動くか、捜索を待つか」
「悩ましいところですわね。……ですが、まずは」
ぴしり、と。
シズカの言葉を待ちかねていたように、周囲の壁に亀裂が入った。
否――壁じゃない。
これは、結界だ。おそらくシズカが張ったもの。
そして僅かな亀裂の向こう。結界の外側。
「『今』を乗り切るのが先決ですわ」
「そういう大事なことは先に言えよ!」
獲物を見定めるべく間隙を覗く、知性を帯びた眼差し。
翡翠の双眸と、目が合った。




