第08話 突発迷宮
目を開けると、そこは闇の中だった。
……んん?
目を瞬かせても、やっぱり闇にいるのは変わらない。体調的にはもう夜明けを過ぎているはずだが。
と、不審に思いながら窓のほうを見て――身体が固まった。
外は見える。
きっと月のものと思しき、淡い光が照らしていたから。
けれども景色は岩肌だった。
石造りの壁はなく。風に揺れる街路樹の葉もなく。夜の店の明かりも、朝の炊事に追われる民家の煙もない。
昨日見た街並みは一つとして残っていなかった。
代わりに。
立ち並ぶ岩の巨山を繋ぐように、同じく岩でできた細い道が幾筋も網の目のように巡っている。
現代風にたとえるなら高架道路。あるいはモノレールの線路。それらが駅以外に支柱のない状態で空中を行き交っているのだ。
……あれを通ることになるのか。
なるんだろうな。
だってそれしか、進む道がなさそうだものな。
遠目のことにばかり注意が向いていたが、宿の立っている地面も歪なものだ。
窓から飛び出して十歩も行けば、もう地面がない。
続いているのが奈落の底なのか地表なのかは分からないが、魔法や奇跡なしでは助からないのは見て分かる。あと儀霊。
せめてこの宿の立地が『崖のような場所』であることを――つまり、宙に浮かぶ岩の円盤の上に宿が立ってるなんて状況じゃないことを――祈りつつ、俺はため息を吐いた。
「アルキス。起きてるか」
「当たり前でしょう。翻訳の奇跡。夜見の奇跡」
アルキスの言葉から遅れて一秒。奇跡が俺に届くと同時に、目に映るすべてが明瞭になる。
それでも地の底が、あるいは空の果てが見えることはなかった。
下の穴ぐらには霧が立ち込めていて、空はといえば岩の蜘蛛の巣が月の向こう側まで張り巡らされているようにも見えた。
「これは広いな」
俺の感嘆に、アルキスも隣にやってきて外を見た。
「どれどれ……うわあ。かなりの規模ね、最悪だわ。運がないっていうかなんていうか……」
「……運が悪いのか? こういうのって大きいほうが実入りがいいとか――」
つい質問してしまったのは、出会ったばかりのときにただの日本刀をレアアイテムと勘違いして泉の中に潜ろうとしていた姿を思い出したせいだ。
「そうじゃなくて。こっち」
「ああ。なるほど」
アルキスが指差したのは、事態に気付かずすやすやと眠っているメイプルだった。
確かにメイプルを連れて動かねばならない可能性を考えると、状況は芳しくない。
――っと。
忘れるところだった。
「アルキス。とりあえず状況が分からないから教えてくれ。こういう……なんだろう、地盤沈下って呼べばいいのか? こういうのはよくあることなのか」
「あんた分かってなかったの」
呆れ顔を向けられるが、仕方ないだろうと視線で言い返す。
アルキスの頬は緩んでいた。
人に教えるのがそんなに好きかね。
「『迷宮都市だから多分迷宮絡みの何かなんだろう』くらいの認識しかないぞ」
「まあそれで大体あってるんだけどね……ずばり言わせてもらうと」
完全に余談だが、アルキスが自慢話や情報を教えたりするときは長い耳がぴこぴこと動いて愛らしい。
それが見たくて意図的に情報収集を怠っているという説はある。
「言わせてもらうと?」
「突発迷宮よ」
「なるほど」
分からん。
否、意味としては理解できた。優秀な翻訳の奇跡さんのおかげで。
続くアルキスの説明によると、起こった事態は魔界側からの奇襲。
ただし突発迷宮はその発生を、人間界からは察知できないという悪質なもの。
事実上のランダムエンカウント。
人間側にとってみれば局所的・偶発的に発生する予測不能の奇襲だ。
その実態は、人間世界と魔界を繋ぐ小規模な表裏の入れ替わり。オセロの一コマがひっくり返るように、限定的に土地が裏表になる。
たまたま偶然今回は、俺たちの泊まった宿で、寝ている間に、発生したものだから当然宿泊客も巻き込まれたと、そういうわけだ。
だが事態として理解したくなかった。
そんな無差別無作為テレポート時空みたいなところに都市を作るか、普通。おかしくないか。
人死にじゃ済まない――ああ、そうか。
ここに都市がないと裏側の魔物が侵攻してきて、もっと酷いことになるから駄目なんだった。
……なんだその八方塞がり!?
「元の世界には戻れるんだよな?」
「どこかにある隔理の鋲を、倒すなり破壊するなりすればね」
ふんとアルキスが鼻を鳴らす。
状況はどうやら芳しくはないらしい。
「そのギミックとやらが近くにあるといいんだが……そんなに都合良くはいかないよな」
「普通は、突発迷宮を発生させられるギリギリの距離にいると見ていいわ」
鋲の在り処はこの奇襲迷宮の最深部。どう足掻こうと攻略するしかないわけだ。
「はぁ……ったく。静かな宿を取ったのは間違いだったかな」
宿が騒がしくないというのは、つまり客が少ないということだ。客が少ないなら比例して、宿にいる冒険者も減る。
しかしアルキスは、すたすたと。
「どうかしらね。あたし的には――」
部屋の扉に近付いていって、そして。
「――むしろ良かったと思ってるけど」
思いきり、扉を引き開けた。
「わきゃあ!?」
「うひゃあ!?」
体重を預ける先がなくなって、部屋の中に雪崩れ込んできたのは……シズカとヴァレットくんだった。
「……うるさいの」
あとメイプルも起きた。
扉を開けて盗み聞き犯を睥睨しているアルキス。
木床と壁胸の板挟みになって呻くヴァレットくんと、転んだ拍子に首を巡らせてアルキスの寝間着姿を目に焼き付けているシズカ。
騒ぎに目を覚まして目をこすっているメイプル。
そのすべてを視界に収めて、頭痛を堪えている俺。
すっかりカオス空間だ。
誰かが扉の向こうで聞き耳を立てているのは知っていた。
それがシズカだとも、ヴァレットくんだとも思い至らなかっただけで。
「……一応、なんでここにいるのか訊いてもいいかな」
「どうせあたしのことを追いかけてたら、ガラガラの宿に泊まったから自分たちも泊まろうと思ったとかそんなところでしょう」
「すごいです、アルキスさん!」
「えっ」
「完璧にお嬢様の行動パターンを把握なさってるんですね!」
「ほ、本当にそうだったの……?」
結構嫌そうな顔でアルキスが二人を、もといシズカを見下ろしていた。
……視線を向けるのはいいけど、アルキス。
当の元凶は「はぁん、お姉様の咎めるような視線っ。心が洗われるようですわ!」とかなんとか言って悶てるぞ。
絶対洗われてない。
◆◆◆
埒が明かないので、俺とヴァレットくんとでシズカを縛り上げた。
メイプルにはとりあえず知恵の輪二号(一号は既に解かれてしまった)を与えて、冒険者四人で顔を突き合わせて作戦会議だ。
なんでも相手が隔理の鋲かどうかは識鋲の玉鏡という魔法の物品で識別可能らしい。
ただ、手鏡の形をしたそれから出る帯状の光を数秒間当てないとならないため、隠密の得意な人間がいなければバレるし、魔界の生物にこれがバレると十中八九戦闘になるとのこと。
まあ鋲を探してるってことは侵入者とイコールだからな。普段から戦争してる連中が目の前に現れたら殺しにかかるだろう。
他にも鋲なら殺されると泥になって消えるとかでも判別できるらしいが、出会う魔物すべてに喧嘩を売っていられない。
消去法で、まともな判断方法は玉鏡くらいのものだ。
しかしおかげで、鋲っぽい奴を探して光を当てるだけで良くなった。
「シズカの儀霊で、場所の調査はできないのか?」
思い付いたのは、メイプルの親探しにも使ったアレのこと。
さらに楽になるといいんだが。
「ぴったり鋲を、というなら無理ですわよ」
縛られてだらしない格好のシズカが答える。
「ってことは、心当たりはあるんだな?」
「……聡明で大変よろしいですわね」
じゃあなんで眉根を寄せてるんですかね。
「検索するなら『このあたりで飛び抜けて強い魔物・魔族・悪魔』くらいでしょうか」
つまり「どうせ鋲にするなら強い奴を」という思考を逆手にとる方法だ。
他にも案がいくつか出たが、四人悩めど答えは出ない。
アルキスの奇跡も検索は不得意だというし、ヴァレットくんの技能もこの場から動かず、遠く離れた鋲を探し出すのには向かなかった。
とにかく『一番強い奴』を検索して、それを目指して行動することに決まった。
もしも違っていた場合は臨機応変に。要は行き当たりばったりということだ。
宿にはシズカの儀霊を使って結界を張っている。ミミズ文字のお札を使った、地球の日本を思わせる封印だ。
結界では足りない留守の守りは、俺たち攻撃班以外の冒険者連中が当たる手筈になっている。
総勢十二名。内、〈黒曜同盟〉所属が十名。偶然居合わせただけの二人には申し訳ない割合になってしまった。
なぜ連中がこの突発迷宮に巻き込まれているのかとヴァレットくんに訊いたら、当たり前のように「わざわざ訊かないでくださいよ、ははは」と乾いた笑みを向けられた。
多分アルキスを追ってきたシズカと同じような理由なんだろう。
こうして俺たちは、宿を後にした。




