第03話 Black Blockade Bittergirl
正確には少女は、人さらいではなかった。
風のように現れた彼女は、しばらくの間はおとなしかった。
この場合の『おとなしい』というのは、『俺に被害が及ばない』という意味で、だが。
アルキスは犠牲になったのだ。
俺は今、メイプルの頬をふにふにしながらそれを眺めている。
君子危うきになんとやら。
少女の服装は、本来なら紅白の巫女装束。それを、白い部分をまるごと黒く染めたようなものだ。また、地の紅白――じゃなくて紅黒に関わらず、身体の中心から末端に向けて金色の線が入っている。
なんというか、強そうな服だ。
長めの黒髪に白い肌。
少女自身は普通の女の子のようである。
ただ、その……ダーク巫女装束に黒髪ストレートの推定大和撫子はとても鼻息が荒かった。
少女はハッスルしていた。それはもう、見ているこちらまで興奮するくらいに。
今日のパンツは青空色。アルキスの澄みきった心を表しているかのようだ。
……だから黒髪の女の子に押し倒されながら、人を殺しそうな目でこっちを見るのはやめてほしいなって。
そうしてメイプルの柔らかな頬をつつきながら眼福に与って、三十秒ほどが経った頃。
ひとしきりアルキスに身体をこすりつけ「お姉様ぁ……!」と譫言のように呟いていた少女は、思い出したようにアルキスを解放した。
解放したと思ったら立ち上がって、こちらを見た。
少女の瞳は金色だった。ついでに唇も、化粧をしてあるのか鮮やかに紅を引いている。
……しかし、なんだ? 随分と剣呑そうな眼差しである。
すんすんと、匂いを確かめるように鼻を鳴らして、少女は言った。
「出会ってから五ヶ月ほど、といったところですのね」
「いや、三ヶ月半くらいだけど」
氷のような少女の顔が、僅かに強張った。外して恥ずかしいのか、別の意図があったのかまでは読めなかった。
ぷいと少女は、アルキスのほうを向いてしまったからだ。
少女が何かを言う前に、アルキスはこくりと頷いた。
それだけで少女は、わなわなと震え出し――
「は、破廉恥なっ! あれだけ匂いが移っていてその期間ということはっ! では……ではお姉様と同じ部屋で寝泊まりしたというわけですか!?」
「いや同じ部屋っていうか野宿!」
そもそも同じ部屋レベルでアウトならお前はどうなんだと言いたいね、俺は。めちゃくちゃ身体こすりつけてたじゃないか。
眼福だったからあげつらう気はないけど。
……ああ、アルキスの視線が肌に痛い。
だんだん天人に近付いていってないだろうか。森人なのに。
「そ、そんな……麗しのお姉様に野宿を強要するなんて……」
少女は少女で顔を青褪めさせている。
強要はしてねえよ。
むしろわざわざ宿場街を避けてアルキスのほうが誘ってきたのだという事実を告げると、少女は一層錯乱した。
何この子……事情説明してもしなくても様子がおかしいんだけど。
「きぃー!! お姉様から夜のお誘いを受けるなんて! 万死に値しますわ!!」
「ちょっ、往来で変な言い方はやめてくれ! 幼……小さい子もいるし! おま……きみの言うお姉様の顔も引きつってるから!」
「お黙りなさい発情生物! 汚らわしい! お姉様だけでは飽き足らず、いたいけな幼子まで慰み者にするなんて!」
「お前の脳味噌のほうがよっぽど汚らわしいけど!?」
「私はお姉様を愛する者だからいいのです!」
「はぁ!? それなら俺――っ、お前だって発情してんじゃねえか!」
「愛情の間違いですわ!! 脳と心臓をまとめて下半身からぶらさげているような生き物と一緒にしないでくださる!?」
「お前マジで下ネタやめろ!!」
いっそ腕ずくで口を塞いでしまうべきかと考え始めたちょうどそのとき、少女の袖をメイプルが引っ張った。
「なんですの? あなた」
少女がメイプルを見下ろす。
「はじめまして、メイはメイプルなの。おねえちゃんは?」
勇猛果敢か。
この状況で自己紹介を始めた幼女にどう対応すべきかと、少女も悩んでいるようだ。
「え、ええと……シズカ・レーゼインですわ。ええ。由緒正しきレーゼイン家の当主、王弟マサムネ・レーゼインの一人娘ですのよ。はじめまして、お嬢さん」
迷った末に、少女――どうやらシズカというらしい――は名乗ることにしたようだ。
「はじめましてなの」
もう一度だけメイプルは、はじめましてを繰り返し。
二人は握手を交わした。
日本人っぽい名前だな。案外、俺以外にも六面世界に渡った人間はいるのだろうか。
思案していると、俺の後ろにアルキスが立った。シズカから隠れるようにしつつ、俺にギリギリ聞こえる音量で囁いてくる。
「頼みがあるのよ。……シズカと話をするときは、あんたが間に立ってね」
「そりゃまたなんで。アルキスが直接話したほうが早いだろうに」
どうやら慕われているようだし。
「相性が悪いのよ。シズカとは。性格もだけど、能力がね。奇跡と相反する力だから」
ぼそりとアルキスが言った。
能力がどうこう、については何を言ってるのか分からないが、性格が合わないというのは本当なのだろう。大方、アルキスの言ったことを拡大解釈して行動するとか、そうでなくとも勝手に暴走するとか、そのあたりか。
しかし……。
ユミナといいシズカといい、こいつはなんでこう、苦手な奴に好かれるんだろうか。
「お話は終わりまして?」
「ああ。もういいよ……っと、そういえば俺も自己紹介がまだだったな――」
「その必要はございませんわ。メイさんの保護は私とお姉様が行ないますから、あなたはこれを持って去ってくださって結構よ」
そう言って、シズカは小さな袋を投げ寄越した。
……重いな。
銀貨で数十枚。およそ八十枚前後というところ。
「もらわねーよ!」
それを俺は、投げ返した。
報酬ならギルドからきちんと貰う予定だ。
「あら。無料でお姉様から手を引いてくださいますの?」
「引かねえって言ってんだよ。それに仕事はまだ残ってるしな」
俺が薄らと笑みを浮かべたことに、シズカが怪訝な視線を向ける。
「ならその仕事も、引き受けて差し上げますわ」
「そりゃ無理だ。あんたにはできない仕事だからな」
「……詳細をお伺いしても?」
流石に眉根を寄せ下げて、不機嫌を露わにしているな。慇懃無礼の極まった奴だけど、自分が挑発されるのには弱いらしい。
袖をくいくいと引っ張っているアルキスが可愛い。だが、これはシズカのためとかそういう感じのアレだから、俺も心を鬼にしなければならないのだ。
別に発情生物呼ばわりとか、メイを慰み者にしてるとか言われたのがムカついたわけではない。
別に。
全然気にしてないし。
「俺の仕事ってのは、アルキスとお前の間に立って話を繋ぐ役だよ」
最初にシズカは、無表情になった。
「アルキスとお前は相性が悪いらしいからな」
続いて愕然と口と目を見開き。
「というわけでアルキスに頼まれて、俺は連絡係になるってわけさ――」
「……そ、んな」
最後には膝をついて、シズカは卒倒した。
……うおう。
想像以上の威力だった。
◆◆◆
シズカとアルキスの出会いは、至極単純なものだった。
ここ迷宮都市の迷宮探索中に、危機に陥ったシズカをアルキスが助けたというもの。
俺はそれをちょっとの自慢話も込みで、アルキスから聞かされた。
「……って経緯で、シズカはあたしに執着するようになっちゃったのよね。この子自身も高ランクの冒険者だから、辺境の街まで追っかけてくるようなことはなくて……それでいつも、ここに来る頃には忘れちゃうんだけど」
――そのせいでマキネシアから出掛ける頃には、忘れちゃってるのよね。
と、アルキスは言った。
……なんだか可哀想だな。こんなに懸想して、強烈なキャラなのに。
一年かそこら会わなかっただけで存在ごと忘れられていたなんて。
背中に感じる体温の主に視線をやると、彼女はすやすやと眠っていた。起伏のない身体は心臓に優しいし、時折うなされる程度で静かなものだ。
彼女もアルキスに助けられた一人だと思うと、妙に親近感が湧いてくるから不思議だ。
まあ正直、喉元まで死が迫ってるような状況でこんな可愛い女の子が颯爽と現れたら、惚れるのも仕方ないんじゃないかなと思う。
流石にアルキスに近付く奴を片っ端から威嚇するような真似は、俺にはできないが。
ちらりとアルキスを見る。
「何よ。あたしの話はこれで終わりよ?」
「ああ、それは分かってる――」
不思議そうな顔で俺を見上げる彼女は、今日も今日とて美少女だ。
視線が鎧の隙間あるいは柔肌の谷間とでも呼ぶべき場所に吸い寄せられるのはきっと、視線誘導の奇跡が掛けられているに違いなかった。
「……不潔ですわね」
いつの間に起きていやがった。
頭上に疑問符を浮かべるアルキスをよそに、俺とシズカの気が鬩ぎ合う。
「起きたなら自分で歩け」
「言われずともそういたしますわ。雄に背負われるなど一生の不覚ですもの……!!」
シズカは己の失態に歯噛みしながらも、俺の背中から素早く離れた。
……雄がどうのと言っているけど、アルキスと出会う前は普通の少女だったんだろうか。気になる。
しかし俺が疑問を口に出すより先に。
「――着いたわよ」
俺たちは〈黒曜同盟〉と看板を掲げた建物の前に立っていた。
……あれ?
ギルドの名前って確か、〈迷宮観光局〉じゃなかったっけ?




