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刃の転界者  作者: 利々 利々
序章   刃術師は異界へ渡る
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第01話 Blade of Migrant

 暗い。


 ひどく、暗い。


 いつか潜った海よりも、いつか放り出された夜の森よりも、俺の意識は暗いところにあった。

 ここはどこか――なんて、考える余裕もない。どういうわけか、考えるのが億劫だった。


 最期に思い出した師匠の言葉。

 あの言葉通り、師匠は不意を打たれても、驚愕に身を苛まれても、俺を一撃で仕留めてみせた。だけど、それが本当に正しかったかと言われれば、首を傾げてしまう。

 俺はこれでも、記憶にもないうちから師匠に拾われて以来、十ウン年も師匠の下で鍛錬してきたわけだ。それを一刀のもとに斬り捨ててしまって良かったのかと、思う。普段の師匠ならもっとうまく――いや、こんなことを考えてもきっと、意味はない。


 気を取り直して、目を開ける。

 三途の河の渡し守って奴を、運良く斬って戻れたりはしないだろうか。そんな期待を僅かだけ胸に秘めて。


「……随分綺麗な河だな」


 目を開けて最初の感想はそれだった。

 綺麗な水だった。澄みすぎててもう、田沼を一滴ぐらい垂らしてやったほうがいいんじゃねえの? ってくらい。それともあれか、これはワイン的な何かなのかもしれない。泥を一滴垂らすとそれはもう全部泥水だー、みたいな。


 ……でもそれだと、今まで俺より前に死んできた人が全く何もこぼさないというのは不思議だ。絶対誰か駄々こねるだろ。

 なんて、現実逃避的な思案をしながら……俺は河を覗き込んだ。


 鏡のような水面(みなも)。慣れ親しんだ俺の顔と、俺の後ろの木々が映っていた。


 さて、暗い暗いと思っていたが、ここでまさかの新事実。『三途の河のそばに青々とした葉のついた木が生えている』……というか森だな、これは。

 賽の河原なんてなかったんだなあ……と、しみじみ。


 そりゃ暗いわ。今は河辺に這い出てきたから明るいけど、そりゃ暗いわ。あんだけ茂った木々の下で目ェ瞑ってたら暗いよ仕方ないよ。

 などと考え込んでいる間も、覗き込む姿勢は続けていたわけで。

 不意に、俺の頭から何かが落ちた。


 今となっては意味なく鍛え上げられた反応速度で、それに意識が移る。一瞬、そう一瞬だけちょっと――俺が死んでいるだとか、俺の頭のある場所から落ちたとか、多分そういう理由で――グロい妄想をしてしまったが、大事ないということがすぐに分かる。大丈夫、俺のヘッドは無事だ。

 果物スウィーツ的に穴が空いていたりはしない。


 落ちたのは葉っぱだった。綺麗な緑だ。

 葉が水面に触れて、波紋が起こる。

 波紋の行く先をぼうっと眺める。ゆらりゆらりと広がっていって、対岸へ届く。そこではたと、違和感に気付いた。


 対岸から陸が、こちらまで繋がっている。

 言い直すとこの水面、丸い。円だ。

 俺の屈み込んでいる地面が、この三途の河を囲むように続いて――


「……泉だこれ!?」


 ようやっと、俺は事実に気付いた。


 それと、嫌な予感。

 妖精さんの出てきそうなほど綺麗な泉に、俺はさっき葉を落としていた。いや、それより前に、もっとずっと大事なものを落としている。


 ……金の命と銀の命。訊かれて正しく答えたら、俺の心臓は二つになるのだろうか?


 そんなことを考えながら泉の中心を眺めていたが、まあ当然、しかし残念、泉の精なんてものが現れる気配はなかった。


 三途の河でもなければ、女神の泉でもない。

 どうやらここは現実らしいと、思考が逃避から帰ってきた。


 で、俺は現実を見据えて動こうとしたわけなんだけど――



  ◆◆◆



 ――まずい。

 ――……まずい、非常にまずい。


 ここが現実だと気付いて、俺が最初にしようとしたのは場所の確認だ。

 というのも、まず晴らすべき疑いが『師匠の非殺傷攻撃で俺の身体が吹っ飛んでどっかの森の中に落ちた』だったから。


 なにせ御鈴流刃術。

 斬首の余波だけで、落としたはずの罪人の首が日本を横断したという伝説を持つ恐ろしい古武術である。幼少期に聞いたきりなので、子供の興味を引くための作り話として受け止めておくのが吉と思っていたのだが、そこにこの事態。


 もしかしたら事実だったかもしれない。……と思っていた時期が俺にもありました。


 端的に結果を述べると、ここは日本ではなかった。

 どころか地球じゃない。俺の脳が天動説を囁く程度には常軌を逸している。


 なにせ太陽が、二つあったから。

 しばらくチェックしていた限り、あのダブル太陽、ぴったり天頂で交差するように動いているように見受けられる。毎日正午に皆既日食だ。

 どっちの太陽がどっちの太陽を喰うのかは知らないが。


 まあそれでも、泉の精が出てこなかっただけマシだろう。

 ことここにいたって、俺は落ち着き払っていた。


 どうせ落とした命である。なんかよく分からんが助かったし、幸いにして怖い師匠もいない。御鈴の八法一理はこの身に修まっている。

 さっき舞い落ちる葉っぱを斬ったから間違いない。

 とりあえず刃物を持っていればどんなものでも斬れるし、俺の手の中には脇差し程度の長さになってしまった日本刀が一本。

 どうとでもなるはずだ。


 要は、楽観的諦念だ。

 健全な肉体も記憶もちゃんとここにあるから、あとはこの世界のことをじっくり学べばそれなりに楽しめるんじゃないか、という至極刹那的な――


 ――と、そこで。

 目の前の泉が波打った。

 その光景に、見惚れそうになる。

 すわ泉の精かと身構えようとして。


 だが。


 現れたのは美しい泉の水とは似ても似つかない、醜悪な化け物だった。


 鱗のない、長く伸びた胴。(いや)、胴というより首っぽいそれの上に、醜い頭が載っている。

 馬のたてがみと同じ位置にはトサカのような、あれはヒレ……だろうか、とにかくそんな感じの何かが生え並んでいた。いや、多分、ヒレなんだろうけど……身体が青いのに対して、そのヒレは真っ赤なので、なんというか……鶏のトサカを思い出すのだ。


 で、頭部。

 頭部は思いっきり化け物だ。全体的に蛇っぽい顔のフォルムをしているけど、牙は生え揃っているし、もちろん肌はハリのある一続き一枚の皮膚だ。鱗ではない。

 そして黒目のない、あるいは白目のない眼。瑠璃色の膜を張ったようなそれは、一体どこを見ているのか。俺が知る(よし)もないが、俺に向けて殺意を飛ばしているのはひしひしと窺える。


 そうして鎌首をもたげた頭が、ゆらりと俺の頭上へ回ろうとして――俺の足元、水面が跳ねた。


 飛び散ったのは、水と血の飛沫。

 水はもちろん泉のもので、血は化け物のものだった。


 もう一匹。頭上の怪物を囮に現れた二つ目の頭部を、俺はすかさず貫いていた。握っていた半身の日本刀を突き刺したのだ。ちょうど脳天。完璧なタイミングだった。


 ――殺気でバレバレだぜ。

 ……とでも言ってやりたかったが、怪物が人語を解するようにも思えなかったのでやめておく。


 ふう。

 下から現れた頭は、何の抵抗もなく死んだ。

 俺の注意を上に引き付けて、下からもう一頭がパクリ。それが精一杯の算段だったらしく、それ以上の加勢はない。

 お粗末な策略だった。


 だが、次に俺を襲ったのは。


『ギィ――ィイイイアアアァァァ!?』


 ぶん殴られるような衝撃だった。


 それも全身くまなく(したた)かに、だ。

 頭上にあった怪物の頭部が突然奇声を発し、俺は同時に地べたへ這いつくばった。


「ぐっ……が……?!」


 全身が悲鳴を上げる。

 奴の肺活量と俺の身体の耐久度。どちらが尽きるか勝負の土俵に、気付けば引きずり込まれていた。


 これを耐え切ったら、目の前で死んでいる怪物の頭部から刀を抜いて……普通にやっては届かないだろうから、投げるしかない。

 投擲『斬り徹し』で殺してやる。試したことはないが、おそらくいける。

 問題は耐え切れるかどうかだ――


 頭の中でそんな算段をつけているところに、一筋の光明が差した。同時に地獄への門も開く。


「――――!!」


 光明は単純。

 突如物陰から少女らしき声が聞こえたと思ったら、頭上に光の槍みたいなのが降ってきて怪物を殺したことだ。


 地獄の門のほうは、もっと単純。

 その少女らしき声が、メリハリがあって抑揚のついた――つまり、おそらく意味のある文言だというのに――まったく意味が分からなかったことだった。

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