第03話 二人のカンケイ
「あー……疲れた……」
俺のベッドに身を投げ出して、アルキスは心の底からため息をついている。
そこ俺が寝転びたいんだけど?
「本当にな。なんだったんだ、あのユミナちゃんって子は」
「……ユミナちゃん?」
じろり、とアルキスが俺を見た。
「いや、なんて呼べばいいのさ」
「成金魔道士で充分よ」
吐き捨てるようにそう言うと、彼女は寝返りをうって俺のほうを向く。嗚呼、両腕に挟み込まれて変形したきょにうのなんと素晴らしいことか!!
「目がエロい」
どこに隠し持っていたのか、小さな錘が飛んできた。鎖分銅の要領で、蹴りほどではないが自在に攻めてくる。
「仕方ないだろ、好きな子が自分のベッドに寝転んでるんだぞ」
意を決してそう告げてみたものの、返ってきた視線と言葉は冷めたものだった。
「あのおっさん連中には付き合わなくていいわよ。酒の肴が欲しいだけなんだから。それより、ユミナのことだったわね」
「…………ああ、そうだ。あの子には気をつけたほうがいいのか? それと成金魔道士って。冒険者の階級って金で買えるもんなのか?」
ちっ。と舌打ちが聞こえた。なんて呼べばいいんだ……。
「ちょっと昔から色々あってね。あいつがちょっかいかけてくるのよ。節目節目にいつもね。だからいつも警戒してたら、今度はライバル視とか言い出してるし。今回も、あたしがあんたのこと拾ったって聞いてきたんだと思うけど……」
それ、ただの心配性な親御さんじゃない?
いい子なんじゃないのか。
「あと、実力は本物よ。言ったでしょう? 身一つで戦うなら金は必須だって。冒険者は体力と、お金と、才能と……そのうち二つは絶対にいるのよ。あたしは体力と才能。つまり弓術と奇跡ね。あいつは金と才能よ。お金と魔法」
「俺が習った、薬草やら素材のあれこれは」
「前提とか土台って言えば分かる?」
頷いた。
「ない奴は死ぬだけ。だから勘定しなくていいわ。いま話したのは、冒険者として『成功』するための話だから。土俵に上がる前に必要なことって、あるものよ。どんなことでもね」
ふぅとため息をつくと、アルキスは壁に向かって寝返りをうってしまった。
「なぁ、それで――」
「……あんまりあいつのことは話したくないの。口に出すのもイヤ」
とりつく島もない。
「でも、目的もなくうろつく奴じゃないから。ここに来てたってことは、この街のどこかにいると思うわ」
そう言って、俺の枕を抱え込んでしまった。
「なあ」
「なに」
「……俺のベッドなんだけど」
「そうね」
「俺寝れないんだけど」
「そうね」
「……アルキスのベッド、借りぶぐっ!?」
枕が飛んできた。
「あたしが教えてもいいんだけどね……とりあえず自力で、ユミナについて調べてきなさい。冒険者として情報収集の能力も大事よ」
ついでのようにアルキスの指先から光が放たれて、俺とアルキスに入り込んでいく。
「翻訳の奇跡はかけておいたから。効力のあるうちは、あたしに伝えたいって強く祈りながら叫んだら……まあ街から離れ過ぎない限りは、あたしに通じるから」
なにそれ電話かよ。
「何かあったら叫びなさい。……いい? 何かあったらだからね? 世間話とかだったらいらないから。まあ、でも、いつでも叫べるように、街から離れ過ぎないようにね」
そう言って律儀に俺の枕をベッドの上に戻してから、アルキスは自分の部屋に閉じこもってしまった。
部屋に立ち入るわけにもいかないし、どうしようもなくなってしまった。気分転換がてら、本当に街に繰り出すことにしよう。
◆◆◆
宿を出て、まず最初に困ったのは言葉だった。
アルキスの奇跡は受信専門なのだ。
当たり前だが、自分から聞き込みという真似ができない。俺の質問をこの世界の言葉に訳すことができないから。
あるいはそれも織り込み済みだったのかもしれないが、俺は井戸端会議やら酒場のおっちゃんどもの会話に聞き耳を立てるしかなかった。
街を半ばほどまで横切っても、成果は微妙。
流石に街ぐるみでアルキスの親を気取っているだけあって、ユミナのことは話題には上がる。ただ、それが有益な情報かどうかはまた別だった。
どんな魔法を使うとか、どういう魔法の物品を持っているとかいう話については、てんで話題にならなかった。
そうやってスパイじみた行動をしながら、ゆっくりと南下を続けていたときのことだ。
「おっと、失礼」
通行人と、肩をぶつけた。
「――っ!?」
総毛立つ感覚。
警戒のボルテージがいとも簡単に天井を突く。
寝惚けてでもいない限り、ラッキーなハプニングすら起きないこの身体が、脳髄へ向けてけたたましくサイレンを鳴らす。
そいつが意識の外にいたことに、俺の持つ全ての才能が警告していた。
振り返ると、男がいた。
金糸の髪と黒曜石の瞳。
虫も殺さないような優しげで細い面に、人好きのする笑みを浮かべている。
そいつは、どこか御伽噺の王子様のような印象を与える男だった。
けれど一つ。
常人とは決定的に違う点が一つ。
その男は、揺らめいていた。
足取りが覚束ない、わけではない。
酔っ払って頭が振れている、わけでもない。
男は蜃気楼のように、その姿が曖昧だった。
しかしそれも一瞬のこと。
俺が目を疑ったと自覚する頃には、男は普通の青年だった。
「お怪我はありませんか?」
「平気だ。あんたは?」
言ってから気付く。
俺から発した言葉は翻訳されないんだった、と。
しかしそれが杞憂だったことも、すぐに気付かされた。
「僕も怪我はしていません。それに魔法で姿を隠していたのは僕ですから、あなたが気にすることでもありませんよ」
普通に返事された。
というか。
姿を隠してた、ねえ……。
疚しいことでもあったのか。
「ああ、えっと、姿を隠していたとは言ってもですね。僕がやっていたのは道を蜃気楼で歪める程度のことでして。……人を避ける手間を魔法で肩代わりしていただけのことですからっ!」
俺が怪訝な顔をしているのが不安だったのか、男はさらに言い募る。
こちらが何も言ってないのにヒートアップし始めたことといい、さらに怪しい……。
「そ、そうだ! でしたら占いを一つ、して差し上げましょう!」
「占いぃ?」
「はい! 不肖マキシム、これでも次代の"魔女"を志す身! 質は保証いたします!」
保証されても、俺とあんたは初対面なんだが。
……しかしユミナの情報探しは元々行き詰まってたわけだし、こいつに賭けてみるのも悪くないか。
無料だし。
◆◆◆
自称・次代の"魔女"(そもそも男がなれるんだろうか?)マキシムの占いに従って、俺はマキネシアの南側、街の外へとやってきた。
そこに。
ユミナがいた。
まさかの御本人登場である。
情報……収集……?
本人に訊くのが一番的なアレか?
「待っていた」
待っていたらしい。
しかし隣には謎の甲冑が立っている。性別不明、俺より背が高い。全身漆黒の板金甲冑に包まれて、表情や視線は分からない。
「ここに来るまでに、変なことはなかった?」
「ううん? いや……多分なかったかな」
魔女を名乗る王子様みたいな奴に声を掛けられたくらいだ。そいつもすぐに北へ行ってしまったから、ここに関係してくることはないだろうし。
「――そう。なら、いい」
何か監視でもされているのかと思って、辺りを見回してみる。
人の目はない。
地平まで見渡せるほど広い原っぱに、俺と甲冑とユミナの三人。
黒甲冑野郎の手には分厚い両手剣を構えていた。あれではほとんどメイスと変わらない。食らえばひとたまりもなさそうだ。
しかし切っ先が俺に向いているような気がするんだが、気のせいだろうか。
「これは、下級魔族。私の召喚術で縛ってある」
いやそういうのは聞いてないです。
「召喚術で、って……悪魔は人間の敵とかじゃあないのか!?」
俺の驚きもしかり、という顔でユミナは頷く。
「悪魔は、確かにそう」
「連中は悪の手先に違いない。知性と理性をもって人を堕落せしめる怪物。だけど魔族は違う。破壊衝動が多くを占めているけれど、ただの本能の塊。きちんと召喚術で制御すれば――召喚者が理性の代替になってやれば、なんのことはない。有用な兵士になるだけ」
ユミナがどこからか取り出したバカでかい杖で足元を叩くと、地面が隆起して岩の塊になった。
そこに座り込んで、俺達の戦いを見守る気のようだ。
どうやらこの魔族をけしかけているというのは本当で、それなら彼女が知りたいのは俺の実力か。
ゆらりと黒魔族が剣を構える。隙はないように見えるし、事実そうなのだろう。あの大剣を自由自在に操れるとすれば、確かに隙はない。
「斬っていいのか」
訊いたのはもちろん、殺してもいいのかという意味でだ。
ユミナは頷いた。
それを合図に、黒魔族が踏み込んでくる。
――遅い。
念の為に紙一重で剣を避ける。
魔法で不思議なことが起こるでもなく、それは見かけ通りの威力だった。恐るべくもないが……今のが様子見なら魔法の一つや二つ、駆使してくるだろうか。
横薙ぎの一閃を屈んで避ける。上段からの振り下ろしに対し、剣の腹を叩いてやる。足払いを後退して躱し、剣を囮にした拳を払う。
ときおり鎧の間隙にレイピアを刺し込んでは、徐々に誘い込んでいく。
「弱ェなあ、おいっ!」
声を振り絞って叫びかける。
「魔族ってのはこんなもんなのか!?」
鎧の奥からはくぐもった音が聞こえた。声音から察するに、怒っている。言葉が通じているのか、俺の表情から察したか。おそらく後者だが、挑発は有効だ。
なら、繰り返してもいいだろう。
そうして、ユミナを背にしたまま――大上段の一撃を回避した。
剣がぴたりと途中で止まる。
切っ先がユミナに触れる寸前だった。
「なるほど。召喚された魔族は主を害せないのか」
「そういう契約。ただ、例外もある」
ユミナが物怖じもしないままで説明してくれた。
「悪魔は利口だから、抜け道を探そうとする。強い魔族だと、契約によって攻撃を止めきる前に召喚者に当たる可能性がある」
「そんなもんか!」
兜の奥に剣先を突っ込んでみたが、手応えはない。やっぱり、こういう姿の魔族だと考えるのが妥当か。
他に試せることというと……そうだな。
咆哮をあげる鎧の周りを走る。俺も負けじと大声で挑発を繰り返した。
追撃。撹乱。幾度目かの打ち合いの末、目当てのものを視界に捉えた俺はすぐに魔族へ近付いた。振り回された剣の切っ先を見極める。せいぜい皮しか斬れないところまで踏み込んで、マントを絡めた手甲で受けた。
果たして、がぎんと音を立てて俺の身体は吹き飛んだ。
着地して、手甲とマントを検める。傷一つない。吹き飛ばされたのも、少し遠いが予定通りだ。
試したいことはすべて試した。だからもう、用済みだ。
身体は黒魔族に向けたまま、最速で距離をとる。
俺を追い始めるより早く。
黒魔族は光に包まれた。
光が晴れると、黒魔族の姿は消えていた。一定のダメージで送還されたのか、それとも存在ごと焼かれて果てたのかは分からない。
ともかくユミナは少しだけ悔しそうな表情をしていて、現れたアルキスは勝ち誇った笑みを浮かべていた。
こんな街はずれからでも届くのか。翻訳の奇跡っていうより通話の奇跡って感じだな。
「ありがとう、アルキス。助かった」
「問題ないわ。でも、このくらいは自分で切り抜けてよね」
「秘密にしといたほうが良いかと思ってさ」
そう言ってレイピアを見せる。『斬り徹し』を隠せたのは、アルキスが来てくれたおかげだ。それを見て、彼女はきゅっと眉根を寄せた。
「それも込みで、よ。あたしの手を煩わせてばっかりだと、教え甲斐がないでしょう?」
「『あたしの手』という表現はおかしい。あなたの奇跡じゃない。それは神が与えたもののはず」
ユミナさん。
どうしてお前は変なタイミングで割って入ってくるんだ。
「あら、神に愛されなかった愚物の嫉妬は醜いわね……神が私に与えたんだから、この奇跡は私のものよ!」
嗚呼。水を差そうとしたユミナに対して、アルキスが反応してしまった。
しかしあれだな。
アルキスはひどく嫌っているようだけど、こうしてみると悪友とかライバルとかの類に近く感じる。それか思春期の娘を抱えた親……アッゆみなサンゴメンナサイアナタソンナトシジャナイデスネ。
「だいたい、ジンのことは諦めたんじゃなかったの!?」
「諦めた。だからこそ力量を測っておこうと思っただけ。……いい右腕になる。私のには及ばないけれど」
ユミナの杖は、いつの間にか指揮棒ほどの大きさになっていた。
「あれは本当に『腕』じゃないの。こっちはちゃんと、自分でものを考えられるわよ」
「その分、強い。それに、あれはそれでいい。考えるのは私一人で足りるから」
「傲慢ね。いつか反発されて、居場所がなくなったらあんた、私の左腕くらいにはしてあげるわ」
「そっくりそのまま返してあげる」
仲良いなこいつら。
しかし……暇だ。入っていきづらいし、街に戻ってもどうせ話ひとつできない。手持ち無沙汰のまま、俺はしばらくの間、二人の掛け合いを眺めていたのだった。




