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第1章 ある悪魔召喚士の信用取引

 ーー「その愚かな少年は助からないよ」


 貴族の子供の様な姿をした神ハデスは、突然暗闇の中から煙の様に現れクロエに非情な宣告をした。


「あぁ、まだそこの脆弱な身体に、魂を留めているみたいだけどね、僕には分かるんだ。僕の神意がそう告げてる。愚かな事だ。こんな馬鹿みたいな事をしなければ死なずに済んだのに」


 神ハデスは相変わらず生気を宿さず、真白で美しい顔を軽く笑みで歪めていて、クロエは言葉を発せずただ薄い桃色の唇を噛んだ。

 焦りと絶望、妹を想ったリュカ行いを『馬鹿』と一蹴された怒りで気がおかしくなりそうだった。


「少し昔の事を思い出したんだ。半神半人の癖に、僕の神域から死者の魂を連れ去る、愚かな奴が居たんだ。僕に限らず神々は、その神域を犯し穢される事を嫌悪し決して許さない。その彼は僕が神ゼウスを叱責して処分させたけれどね」


「神アスクレピオス様……ですか」


 神ハデスは何故か少し、ムッとした表情を浮かべてクロエを見据え不貞腐れた声で言う。


「うん、アスクレピオスさ。あれが神だって?ーー罪を犯して処罰された愚か者を、死んだ後に人間の都合で神格化して、あまつさえ彼を『神』と称する事は、僕としてはあまり面白く無い話だよね。そうなっちゃったものは仕方ないけどさぁ」


 少年の姿を仮りた神が「だいったい人間なんて生物は…」とまだ憤っている。


 ややあって、少女の方を向き直した神ハデスが意味深に、彼女にとっては甘く、何を差し置いても縋り付きたくなる言葉を語りかけた。



「こほんっ、ねぇクロエ。君は彼の命を助けたいかい?」



 ニヤニヤと少女の心を分かり切った上で、反応を試す様な意地悪な笑みを浮かべていたが、クロエは神ハデスの『威に当てられ口が開けない』ままで、必死に首を縦に振り、神ハデスの救いを請うことしか出来なかった。


 「やれやれ、そう言うと思ったよ」と、やや呆れた風に口を尖らせた神ハデスが言葉を続ける。


「その少年は何もしなければ死ぬ。それは間違いない。ただ、それは『何もしなければ』の話なんだ。賢いクロエはもう分かってるんじゃないかなぁ?」


 ーーそう、悪魔の力だよ。


「僕の眷属である『マルバスの力』を以ってすれば、少年の傷を治す事なんて造作もない事さ。あははっ、神でも彼を助けちゃくれないってのにさぁ、悪魔って凄いだろう?」


 神ハデスの言葉を聞いたクロエの瞳に、光が僅かに戻ったのを見て、神ハデスが愛し子を慈しむ様な目で少女を見つめた。


 聡いクロエには『その慈しむ様な瞳の裏』に神ハデスの『何らかの思惑』の存在に気付いていたが、少女にとってリュカを助けられるならば、他の問題は些末な事でしかなかった。


 (リュカを助けられるなら何だって構わない!)


 「でもさクロエ。君に今、金貨二万枚って大金が用意出来るのかなぁ?」と、主神の言葉を聞いた少女の瞳が陰ると、同時に神ハデスがある提案をクロエに持ち出した。


「ごめんよ。何も嫌がらせをしに来た訳じゃ無いんだ。ねぇクロエ、僕と取引しようか?ーー信用取引って言ってね、君達には馴染みの無い言葉なんだけどさ、僕の君に対する信用を以って、マルバスと仮契約させてあげるよ。もちろんタダでとはいかないから、君の魂を担保に入れて貰うけどね」


 クツクツと神ハデスが笑みを零しながら、クロエが『担保』の意味が分からず訝しむ表情を見ると言葉を続けた。


「今回の担保っていうのはね、契約の期限までに金貨二万枚を用意してマルバスと本契約をしなければ、僕がクロエの魂を頂きますよって事さ。僕としては君の事は気に入っているし、魂を頂いたら僕の妻にするのも悪く無いかも知れないね」


 「何か聞きたい事はあるかい?」と、神ハデスはその威を解きクロエが口を開ける状態にした。


 少女は神の重圧から解放され、荒々しく息を整えながら横たわるリュカを一瞥し、その神意を確かめる。


「神ハデス様、何故その様なお話を頂けるのですか?」


「まぁ、僕としては人間達が生きようが死のうが大した意味は無いんだけれどね。生物は等しく生まれてやがて死ぬものだし。僕の神意とは、あらゆる生物の『死』を受け入れて、新しい『生』へと導く事なんだよ。そして、僕みたいな神意を持つ神は他にも居るんだ」


 一度間を置いた神ハデスは、心底腹立たしそうな表情を見せると「ところがさぁ」と、話を続ける。


「この何百年か『ある神』が、愚かな人間に囚われてしまっていてね。代わりに僕がその神の勤めを果たさなきゃならないから、忙しくて仕方ない。僕はね、前にも話したけれど面倒くさがりなんだ。だから、そこの彼を助ければ『或いは……』と、考えた訳さ」


 「まぁ、彼がそれをどうするかは僕にも分からないけれどね」と、神ハデスは付け加えた。



「少年の命が消えようとしてる。もっと話をしていたいけれど、あまり時間が無いみたいだ。クロエはどうするんだい?」


「必ず金貨を揃えて本契約を致します。ですから、どうか悪魔マルバスとの仮契約をお願い致します」


 クロエの承諾を得て、無邪気に喜んだ表情を浮かべた神ハデスは、右手をリュカの身体の方に差し向けて、自らの眷属へ命令を下した。


「分かった。じゃあ……マルバス、少し此処に来てくれるかな。今すぐ彼の傷を癒して命を繋いでやってくれ」


 神ハデスは自然な口調で、まるで友達にでも話しかける様な言葉を口にすると『象よりも巨大で猛々しくも気高い、金色に輝く光に包まれた獅子』が顕現した。


 その神々しくも美しい姿は、悪魔とは形容し難く『神』や『天使』と表現した方が、実際の見たイメージに当て嵌まるかも知れない。


 獅子の姿をしたマルバスが、光に包まれた巨体を「のそり」と動かしリュカの頭に口付けると、少年の身体が金色の光に包まれ輝き始めた。


 気高く金色の光に包まれた獅子は、神ハデスから下された役割を終えると、一瞬の間クロエを一瞥し音も無く消え去った。



 ややあって、クロエがリュカの傷口を見ると、先程まで赤黒い血が噴き出していた肩は、肉が盛り上がり、『白いリュカの肌色の皮』が張って、顔の血色も暖かみを戻していた。


 ーークロエが少年の胸に耳を当てると、力強い心臓の音が聞こえている。

 安堵したクロエはそのまま胸に顔を押し当て声を出さずに涙を流した。



「まぁ、金貨の事なんだけれどさ、その少年に相談してみるといいよ。色々面白い力を持っているみたいだしね。期限は六十日だけど、ーー君達なら直ぐに用意出来るんじゃ無いかな。それに、運命なら既に動き始めているからさ」


暫くクロエを見つめていた神ハデスは「じゃあ、頑張ってくれたまえよ」と、戯けた口調で言い残し闇夜の虚空へ消えて行った。


「神ハデス様……」



 生まれてから今迄、自らの主神に対し嫌悪感を抱き続けて来た少女はその考えを改め、初めて主神に対して感謝の意を捧げた。



 ◇



「目を覚ましたの? 何処か痛い所とか無い?」



 非常に冷たい目でクロエは、目を覚ましたリュカを一瞥し、お座なりに身体の調子を聞いていた。


「あ、うん。大丈夫みたいだ」


「大丈夫じゃ無いわよ。あんまり心配させないで」


 冷めた表現を一切崩さず「で、シャルはどうだったの」と、昨晩の説明をリュカに求める。


「ああ、石の錬成は上手くいった……かな。錬成の代償で考えてた以上に身体を持って行かれて、血を失い過ぎたんだ。ーーポーションは一応用意してたんだけど、血が止まらなくて。錬成で犠牲にしたものは存在自体が消失するみたいて、僕はそれを見落としてた」


「それで、あなた自分の身体を犠牲にしたの?……いい加減にして。死んだらどうするつもりだったの」


 ベッドの横に腰掛けていたクロエは、急に泣きそうな顔になりリュカの肩へ顔を埋め、鼻を啜り始めた。失った左腕を慮る様な優しい抱擁だった。


「ごめん、僕の見込みが甘かったせいだ。心配掛けて本当にごめんね。ーーシャルの魂なんだけど、僕と一緒に転がっていた石を見せてくれるかな?」


 クロエが取り出した赤黒い石を、暫くジッと見つめていたリュカは「大丈夫だ…」と呟くと、石にシャルロッテの魂が定着している事を、術式の状態で確認して安堵した。


 ややあって、リュカはまだ抱き付いて離れないクロエの綺麗な黒髪を、右手で優しく撫でながら、昨晩シャルロッテの部屋であった事の顛末を話した。


 ーーそして一つの疑問を口にする。


「ところで、僕が錬成の代償に受けた傷口が完全に治って、失った血まで戻ってるみたいなんだけど」


「それね、リュカが倒れていた部屋に入った後、神ハデス様が私の前に現れて、あなたの傷を治す事が出来る悪魔との『仮契約』を、私に提案してくれたの」


「仮契約?」


「金貨二万枚必要だったけれど、今の私達にそんな大金無いからって、信用取引……えっと、私の魂を差し押える代わりに、神ハデスが貸してくれたのよ」



クロエは神ハデスから聞いたばかりの慣れない言葉を「ごにょごにょ……」と、誤魔化して説明する。リュカは驚いていた様子で話しを聞いていた。


「つまり、神ハデス様が僕の命を助けてくれて、君がその担保として君自身の魂を差し出した。期限までに金貨を用意すれば君の魂は取られなくて済む。こういう事で間違いない?」


「ええ、間違いないわ」


リュカは「全く、君も無茶な事を……人の事言えないと思うよ?」と苦笑いを浮かべるが、クロエは身を起こすと、その少し低い目線を逸らし、口を尖らて呟いた。


「あなたを失う位なら、私の魂なんて無くたって構わないもの」


 少年の肩で泣いたのだろうか、目を少し赤く腫らして、頬を紅色に染めた、黒髪の妖精の様なクロエの横顔が、堪らなく愛おしくなり、リュカはもう一度強く少女を抱き締めた。


 「ん……」


 少し声を漏らした少女の細い肩は、強く抱き締めればすぐ壊れてしまいそうに、華奢で頼り無く震えていて、リュカは何も言わずに死にそうになった事を激しく後悔した。


「本当にごめんね。もう勝手に居なくなったりしないから。約束するよ」


 リュカが約束をするとクロエは静かに頷く。彼女が動く度に、少女の花の様なうっとりとするいい匂いがした。



 暫く考え込んでいたリュカが短い時間で纏めた考えを話し始める。


「とにかく、君の魂を取られる訳にはいかない。僕らがダンジョンで得て貯めていた金貨は、昨日使った分を差し引いて約四千三百枚ある。僕の腕を使える様にする為に約八百枚必要だ。残りは三千五百枚」


 一度リュカは間を置きクロエの身体を起こすと、言い聞かせる様に、ゆっくりハッキリと言葉を続けた。


「この家は領地と一緒に僕が引き継いだから、屋敷を手放す訳にはいかないけれど、屋敷を元手にある程度は騎士団から借りられるはずだ。それと、絵画や家財道具、国から頂いた価値の高い物を処分すれば、それなりに纏まった金額になる。もしそれでも足りなければ僕が何とかする」


 「そんなっ」小さくも悲痛な声をあげたクロエに、リュカは首を振り言葉を続ける。


「何度も言うけど、僕だって君を失う訳にはいかない。それは何があっても絶対だ。君は僕の最後の家族で僕は家長なんだ。それに、君が居てくれたからあんな事があっても、僕は正気を保って僕でいられたんだ。家宝なんて幾ら手放しても僕は構わない」


 真面目な顔で想いを告げるリュカに、クロエは胸を締め付けられ、込み上げる気持ちを感じずには居られなかったが、少しだけ目を逸らして「そう」と返事をして、もう一度少年の肩に顔を埋めた。



 ◇



 翌日、朝からクロエを部屋に呼んだリュカは、これから行う『ホムンクルス義体の錬成と肉体と魂への結合』を説明し、錬成の準備を始めた。


「危ない事なんて無い?」


「あぁ、今度は大丈夫だよ。ニコラスもかなりの数被験体で試して成功させてる技術だし、今回僕はデュラハンの質の高い魂晶を使うつもりだから、義体その物の失敗は無いはずだし」


 リュカは術式の見通しを説明しながら、魔石を細かく砕いてパウダー状にし、水銀と合わせた『紫色の液体』で魔方陣を描いていく。

 液体は床に触れると薄く凝固し、みるみるうちに美しい幾何学模様の魔方陣が完成した。


 リュカは魔方陣の中央に立ち、素材となる物を並べていき、デュラハンの魂晶、最後に一房『自分の髪の毛』を置いて、ホムンクルス義体の錬成を始めた。


「錬成"Prosthetic Body of Homunculus" ホムンクルス義体の錬成術式展開。及び、リュカ・シュヴァルツヴァイトの魂・肉体との結合術式の同時展開」


 ーー影のある紫色の光が魔方陣を照らし始めた。


 大量に置いた金貨がサラサラと砂塵に還り始めると、デュラハンの魂晶がまるで生きているかの様に、ウネウネと動き始め質量を増やしていく。

 やがてそれは『リュカの白い肌よりもやや白い』左腕の形に姿を変えるとその形状を固定した。


 ホムンクルス義体の錬成が終了したと同時に、リュカが新しい義体の腕を肩口に宛てがうと、ホムンクルス義体の方から『触手みたいな突起物』が生えてリュカの肩に「プツプツ」と入っていく。


「ゔゔゔぅ…」


 昨晩程では無い重い痛みに堪えていると、少しずつ痛みは和らぎ、新しい腕と身体が一つになった様な感覚を覚えた。

 リュカは義体に集中して肩を回し、手を握っては開いて、暫く続けて動かしていると『身体を動かす為に必要な情報』が頭に入ってくる。


「ちょっと、変な声出さないで。心配するじゃない」


「ああ、大丈夫みたいだ。不思議だけど、腕が動かし方を教えてくれる感覚だよ」


(慣れたら元の身体よりも動かし易いし、パワーもスピードも義体の方が性能が高いな、それに新しいスキルが使えるみたいだ)


「ねぇ、クロエ。デュラハンってさ『黒い霧になって』攻撃を回避したり移動するじゃない?覚えてる?」


「ええ、それがどうかした?」


 突然の問いに「当然」とばかりに答えたクロエの目の前で、リュカが一歩踏み出すと、


 ーーリュカが『黒い霧』になって霧散して消えた。


 次の瞬間、気が付くとのクロエの背後に回り込んでいる。

 正確にはデュラハンの移動術の一つ『霧化』の能力なのだが、クロエには瞬間移動にしか見えない。


「この能力は『Night Walk』って名付ける事にするよ。闇夜を徘徊してるみたいだし、突然消えて突然現れるなんて『夢』みたいだろ?」


「リュカ、人間辞めちゃったみたいね」



 ーー呆れた様に眉間を押さえたクロエも、興奮して嬉しそうなリュカを見て、苦笑いを浮かべるしかなかった。

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