プロローグ 落ちこぼれの少年と恵まれた少年と
ーー少しだけ時間を遡り、リュカ四歳のある日。
幼いリュカは父ヨハンに連れられ、遥か東の果てにあるドワーフの国『山の下の国』へ向かう事になった。
リュカの父ヨハンは王国に仕える、『宮廷魔導師団』の魔導師長を務める偉大な魔導師で、今回の様な遠方へ赴く任務も度々ある。
ヨハンは好奇心が強く冒険が大好きなリュカを、今回任務で向かう事になっている、彼のドワーフの友人が暮らす『山の下の国』へ連れて行く事にしたのだ。
赤茶けた奇怪な形の巨大な岩々に、付近を囲まれる『山の下の国』ペリヴァージャ市は、リュカが産まれ育ったマグノリア王国グランツァーレ市から、東へ脚の早い馬で十二日程、馬車で向かうともなれば二週間ともう少しの場所にある。
シュヴァルツヴァイト領から出た事の無かったリュカは、二週間以上もの長い馬車旅を通して、見た事の無い土地を渡り、初めて知る巨大な生き物を見て、恐ろしい魔物に襲われ父親に退治して貰ったりと、ワクワクしっ放しの旅となった。
果て無く続くきそうな大草原の真ん中で野営をして、その草原を抜けると領境付近の『向こう岸の見えない大河』を渡たった。
初めて訪れた街で宿に泊まり、森の街、川岸の街、拓けた大きな市街を抜けて馬車を走らせると、外の風景はだんだんと緑が少なくなり太陽が近くなった。
森が林になり、林は牧草地に変わり、牧草地は石ころだらけの荒れた草原に変わった。
馬車をもう少し走らせると、窓の外の景色は少年が見た事も無かった、木も草もない広々とした砂漠の様な、干からびた土が剥き出しの大地になった。
そこから更に二日程先へ進むと、二人がグランツァーレ市を出発した頃には、日光の淡い光が手足を照らしうっすらと暖かかった太陽は、ギラギラと音が聞こえそうな程に灼熱の猛威を振るい、馬車の中は蒸し暑くて干からびてしまいそうな程だった。
やがて恨めしい程の太陽が西の地平線にその姿を隠そうとする頃、少年の親子を乗せた馬車は『山の下の国』ペリヴァージャ市の市外壁正門へ辿り着いた。
◇
「うっわああああぁぁ!」
「ははは。大きいだろう!」
「凄いっ。父さん凄いよっ!」
ペリヴァージャ市外壁の大きさに興奮したリュカは、白いまつ毛をあらん限りに開き、好奇心旺盛な紅い瞳を輝かせると、馬車から身を乗り出して叫んでいた。
ペリヴァージャ市を護る市外壁は厚さ三m以上、高さに於いては実に十二m以上にも達し、外壁はこの地域でよく使われている『アドベ』と言う建材で作られている。
『アドベ』とは、砂と粘土に藁を合わせ天日干しして作られる煉瓦で、乾燥して暑い地域でよく作られている建築材料だ。
その煉瓦を幾万、幾十万個積み重ね築いた、巨大なペリヴァージャ市外壁は、見る者の心に壮大な歴史の重さを刻み込み、畏怖の念すら感じさせる。
『おい、入市税は二人で銅貨六枚だ。ここに書いてある持ち込み制限のある荷が無ければ、向こうの建物で税金を払ってくれ。終わったら街に入って構わないぞ』
市街地に入る為の税金をヨハンが払い、正門に作られた関所を潜り抜ける馬車の中で、リュカはふと気になった事をヨハンに尋ねた。
「でも何から街を護る為にこんなに凄い市外壁を作ったんだろう……」
「ああ、このドワーフ族の街ペリヴァージャ市は、大昔山の地下にあったんだ。だけど、ある日地下にあったペリヴァージャの街に、突然竜族が入って来たんだ。そこで命の危険を感じたドワーフ達は街を放棄して、地上にこの街を作ったんだよ。余りに急な出来事で、地下に街を建設する時間が無かったから、ここのドワーフ族だけは地上に住んでるんだ」
「……竜族!……竜族って大きいの?」
まだジリジリと熱を放つ傾いた太陽が、街の石灰岩を掘り作られた珍しい岩の住居を、美しいオレンジ色に照らし染めていた。
街にはドワーフ族を始め、人族、デミ・ヒューマンと呼ばれる人狼族や猫豹族、リザードマン、エルフ等、様々な種族の人々が行き交い、冒険者の姿も多く、独特の活気が漂っている。
大きな通りに面した宿や食堂、酒場には早くも明かりが灯り、仕事を終えた大柄な冒険者の男達が酒を飲んで、愉しげに騒いでいる声が聞こえていた。
「そうだね。だいたい六〜八m以上はあるんじゃ無いかなぁ。父さんも昔一度だけ見た事があるけど凄く大きかったよ」
「へぇぇ、まだ地下に居るのかな?……突然、街が襲われたら嫌だなぁ」
未知の生物の存在に少しだけ怖くなった少年は、父親の服の袖を握り、心配そうに顔を曇らせる。
ヨハンは「ワシャワシャッ」とリュカの頭を撫でると、「もうずっと現れて無いし竜族達は山脈の地下ダンジョンに住んでいるから大丈夫だ」と言って優しくリュカを抱え上げた。
ややあって親子の馬車は、アルベルティ家の屋敷である巨大な岩の住居の前に付けると、既に玄関先には上品で綺麗な格好をしたアルベルティ家の使用人達が、親子を出迎えてくれていた。
(門の通行を管理する兵士の人達が、先に僕達の到着を伝えたのかな?)
◇
「久しいな。シュヴァルツの大魔導師ヨハンよ!」
「ああ、久しぶりだレオン。でも大魔導師は止めてくれよ。子供の前で恥ずかしいじゃないか!」
開口一番に相変わらずの豪快な挨拶とハグをした旧知の友人に、ヨハンは少し呆れた様子で少年を紹介する。
「こっちが息子のリュカだ。何度か手紙には書いたが、俺とアンネリースとの間に出来た子供だ」
「まぁ良いではないか。事実じゃ。おお、手紙にあったアンネリースとの息子か。良く似ておる。もっと顔を良く見せてくれ!」
髭を長く伸ばして、逞ましい顔に深いシワを湛えた大柄なドワーフの男が、深く茶色い琥珀色の瞳を輝かせると、しげしげと白獅子の様なルベウスの瞳の少年を眺めている。
「なるほどのぉ、目元など美人じゃったアンネリースにそっくりじゃわい。わっはっは、儂がドワーフ五氏族の『ディオニソス』氏族の長、レオン・アルベルティ・ディオニソスじゃ。宜しくのぉ!」
「リュカ・シュヴァルツヴァイトです。僕の方こそ宜しくお願いします」
「おお、母親に似て礼儀正しく可愛らしいのぉ。気に入ったぞ!」
少年の母親の事をよく知っていると言う、ドワーフ五大氏族の氏族長であるレオンは、その明らかに力の強そうな隆々とした筋肉を剥き出しにして、太く大きな手をリュカに差し出した。
握手を交わした後、筋肉の塊の様なレオンは力任せに少年を抱えあげると、「ガシガシッ!」と乱暴に頭を撫でる。
リュカは少しの悲鳴を上げたが、内心はちっとも嫌な気持ちにはならず、寧ろ幼い頃に亡くなった母親を褒めてくれる事が嬉しくて、リュカにしては珍しく俯き赤面していた。
幼いリュカを軽々と抱えたレオンは、そのまま歩き出すと、「疲れたじゃろう。もうすぐ飯の用意が出来るからこっちでゆっくりせぃ!」とまた豪快に笑い二人を奥の部屋へと案内した。
暫く抵抗し、やっと雄々しく厳ついレオンの腕から逃れる事に成功した身軽な少年が、案内された部屋で珍しい魔法道具を眺めて寛いでいると、何処からかハーブや香辛料をふんだんに使った、スパイシーで食欲を刺激する、美味しそうな香りが漂ってきた。
「くぅぅ……」
可愛らしい腹の虫が悲鳴をあげた。
◇
「うっわあああぁぁ!」
今日だけで、もう何回目か分からない歓声を上げたリュカの前には、真白で清潔なクロスを張った大きなテーブルに、所狭しと『ご馳走』と言って差し支えない様々なエスニック料理が並んでいた。
鶏一羽を丸ごと使った香草焼きや、羊肉を串に刺して黒胡椒でアクセントを付けたケバブ、地元で獲れた魚を焼いてパンに挟んだフィッシュサンド、香ばしい香りの炒めたライス、沢山の野菜が入ったスープ等、数えればキリが無い程の料理の数々。
珍しい物が大好きな少年が目を見開き、ルベウスの瞳をキラキラと煌めかせて、初めて見る料理を前に感激している。
その姿を大人達が微笑ましい笑みを零しながら見ていると、「ただいまぁ」と一人の少年が外出から帰って来た。
「おお丁度良い時に帰ってきたわい。おい、エル。手ぇ洗ったらさっさとこっち来て挨拶せぃ!」
大柄で雄々しいドワーフが豪快で武骨な口調で少年を呼び寄せた。
「親父ぃ。そんなデカい声出さなくたって、ちゃんと聞こえてるよぉ!」
少しだけ面倒くさげな声で返事をしながら部屋に入って来たのは、リュカより少し背が高く年上の少年だった。
濃い栗色の髪は長めに伸ばし背後で一つに纏め、透き通る様な深い琥珀色の美しい瞳は父親譲りだ。
健康的に日焼けした身体は、無駄無く引き締まっていて、風通しが良さそうな素材で誂えた、白く上品な趣きの服に身を包んでいる。
「あっ。ヨハンおじさんお久しぶりですっ!」
「やぁ、エル君久しぶりだねぇ。しばらく見ない間にまた大きくなったんじゃないか?ーーああ、こっちは僕の息子のリュカだ。歳も近いから仲良くしてやってくれ欲しい」
父親からの突然の紹介に、ルベウスの瞳の白い少年は少し慌てて、『エル君』と呼ばれた少年と握手を交わした。
「初めまして。僕はリュカ・シュヴァルツヴァイトだよ。よろしく!」
「ああ、俺はエリンツォ・アルベルティ・ディオニソス。こっちこそよろしくな。腹減ったし、あっちで一緒に飯食おうぜ!」
「うん。僕もさっきからお腹がぺこぺこなんだ!」
もうお腹が減って仕方ないリュカはエリンツォに連れらてテーブルを回り込み、三歳年上のエリンツォと一緒に食事を始めた。
初めて見るエスニックな料理を前にして、リュカがどれから手を着けるか考えていると、「これがうまい」だとか、「この緑のは変な味がする」とか、「これはすげー辛過ぎて危険」などと、エリンツォが教えてくれて二人は一緒に料理を楽しんだ。
大人達がワインを浴びる様に飲んで、料理を豪快に食べていると、子供達の話題と感心は『ブレス』で熱を帯びた。
「なぁ、リュカはもう神様からブレス受けたか?」
「ううん、まだなんだ。エル君は?」
「そうかぁ、悪りぃ事聞いた。俺は四歳の時に神プタハ様のブレスを受けたぜ。まぁ丁度、今のお前と同んなじ歳だったし焦る事ないぜ!」
「うん、全然。ーーその神プタハ様ってどんな神なの?僕は聞いた事無いよ」
「へへっ、神プタハ様はヘリオポリスの神様で鍛治の神様なんだぜ!」
少し辛いけれど、油の乗った柔らかい鶏肉を仲良く二人で分け合って、少しずつ食べていると『また』新しい単語を聞いてリュカが目を輝かせた。
「ヘリオポリス??」
「ああ、ずっと昔に西の海を渡った所にあったっていうデカい大陸の国なんだ。ヘリオポリスは無くなったらしいけど、今でもそこの魔法道具とかは見つかってて『アーティファクト』って言われてる。知らないのかよ」
「へぇ、初めて聞いたよ。エル君って凄いね。それに神様ってギリシャの神様やローマの神様だけじゃ無いんだね!」
「ああ、そんなのあったりまえだろ。世界中に神様は居んだからそりゃたくさん居るだろ」
「あはは。確かに。ねぇ、神プタハ様ってさ、どんな風な神様だった?」
「そうだなぁ、なんか金色で白い服着て、杖なんか持ってて、手とか顔が緑なんだぜ。ーー俺達ドワーフとかシュメールの民とか、西の方のエトルリア人は大昔ヘリオポリスから来たみたいでさ、俺はプタハ様に会ってからヘリオポリスの勉強してんだ!」
「にししっ」と、屈託の無い笑みを浮かべたエリンツォは少しだけ自慢したい気持ちを抑えながら、年下の友人にドワーフ族の言葉と文字、エトルリア人の文字、ヘリオポリスのヒエログリフと呼ばれる文字の事を教えていた。
「ぐわはははは!」と時折聞こえるレオンの相変わらず豪快な笑い声に、「うちの親父うるせーよな」とエリンツォは顰めっ面で、大人達には聞こえない位の小さな声で愚痴を零す。
ーーあれだけ沢山あった料理もだいぶと少なくなっていた。
◇
それから約一週間、しばらくデュオニソス家に滞在したリュカがグランツァーレへ帰る頃には、二人は大親友になっていた。
リュカは目を輝かせて『ワクワクする夢』の話をするエリンツォが大好きになり、彼も愚直な程に真っ直ぐ挫けないリュカを友達として大好きだった。
「リュカ、もう帰んのか。まだゆっくりして行っていいんだぜ? 今度俺の宝物のアーティファクト見せてやるしさぁ!」
「うん、ありがと。次会う時は、僕の神様から貰ったブレスの話をするよ。僕は絶対冒険者になるからっ!」
大親友となった少年達は硬く握手を交わし次の約束を交わす。
夢を全力で追う二人は、アンバーとルベウスに瞳をキラキラと輝かせている。
「おう。諦めずに頑張れよな。大人になったら俺がお前の武器を作ってやるから楽しみにしとけよ!」
「ほんとに? 約束だよ!」
「エル君、リュカがお世話になったね。これからも仲良くしてやって欲しい。さあリュカ、そろそろ帰ろうか。母さん達が待ってる」
ーーいつ迄も話が尽きない少年達の会話にヨハンが割り込み、半ば無理矢理挨拶を済ませて親子は馬車に乗り込む。
少年の初めての遠出は、新しい事の連続の毎日で充実した旅となり、彼は大親友になったドワーフの友人と再開を約束して、生まれ育った屋敷への帰路に就いた。




