第1章 ハーブと金貨と少女の懺悔
『キングゴブリン』そして、四百体に及ぶゴブリンの群れを倒し、魔物の行軍を止めたリュカ達三人はマグノリア王国 グランツァーレ近郊のレーヌ村へと戻った。
普段のレーヌ村は人口三百人程の小さな集落で、澄んだ水と空気と森の緑が美しく、村人も温厚な人達が多い。
グランツァーレ市街から近い事もあり、林業・狩猟業・牧畜業が盛んな、長閑な風景が広がっている。
小川には鮎や岩魚、カジカやウナギ、野にはウサギ等の小動物が生息していて、秋の季節も深まる丁度今頃は、毎年近くの林でキノコを採取する親子の姿を見る事が出来る穏やかな村だ。
リュカ達が村に入った時、村の中はまだ騒然としており、荷物を纏めて逃げ惑う人々で溢れていた。
親と逸れて泣いている子供や、荷車に家財道具を押し詰めている者、怒声が飛び交い戦々恐々としている。
早速リュカは近くに居た、三十代くらいの男性を捕まえて状況を説明する。
「そんなっ!信じられねぇ。たった三人でアレを片付けちまったのか……!」
「ええ、問題無く始末しましたよ?」
「そんな事が出来る訳がねぇ!」
「出来たから村まで帰って来たんですよ。では、これをご覧ください。ゴブリンの魔石約四百五十個と、大きいのが『キングゴブリンの魂晶』です」
「まさか、本当なのかっ?」
「ええ、こちらのレーヌ村の村長ヨーゼフさんにグランツァーレで依頼を受け討伐しました。ヨーゼフさんは疲労が激しかったのでギルドにてお待ち頂いています。副村長さんか、お話出来る方はいらっしゃいませんか?」
「わ、悪るい。疑ってすまなかった。魔物の大群から逃げるのに必死だったんだ。許してくれ。そういう事なら、ヨーゼフの親父が村長の代理をやってるから呼んでくる。少し待っててくれ」
村長宅へ走る村人は、走りながらすれ違う村人達に「おい、冒険者の人が魔物を倒してくれたってよ!」と、大声を張り上げ人混みに消えて行った。
ややあって、先程の村人に連れられてやって来たのは、五十代くらいのまだまだ屈強な体躯をした男性であった。
「儂はヨーゼフの父のマコフと申します。息子がグランツァーレへ出向いている間、この村の長代理を務めております。この度は誠にありがとうございました。まだ村はこの様に荒れておりますが、我家で恩人を歓迎致します。ささ、此方へ……」
ヨーゼフの父マコフが『歓迎をしたい』と申し出てくれたが、もう直ぐ暗くなりそうだった。
リュカは今日中に確認しておきたい事があり、折角ではあったが辞退する事にし、マコフに一つお願いをする。
「申し訳ありません、マコフさん。僕はリュカ・シュヴァルツヴァイトと言います。領主であれば領民の村を助ける事は当たり前です」
「なんとっ。そうですか、貴方が若き伯爵様で御座いましたか。大変な御無礼申し訳ありません!」
「いえ、失礼なんて無いですよ。そんな事よりもうすぐ日が暮れてしまいます。宴は結構ですので、代わりにエルダーフラワーの場所までご案内頂けませんか?」
「エルダーフラワーですか?」
「はい、少し訳がありゴブリンの討伐後に村に寄らせて頂きました。お願い出来ませんか?」
「分かりました。そういう事でしたら早速ご案内致しましょう!」
「伯爵様ありがとうございました!」と、村人達の暖かい歓声が飛び交い始めるが、リュカとしては照れ臭いだけだ。
「マコフさん、私はこう言った空気に慣れていない者でして。さぁ、急ぎましょう」
「いやはや、そうでしたか。では、こちらが近道ですので……」
◇
リュカが知っているエルダーフラワーは、春先に花を付け始め夏、秋、初冬まで変わり代わり花を咲かせ続ける。
白く小さな花は『マスカットの様な甘い香り』が特長的だ。
利尿作用と解熱作用が優れており、毒消し草としても用いられていて、太古から人間と密接に関わって来た植物である。
エルダーフラワーの野生地に辿り着いたリュカが早速辺りを見回すと、エルダーフラワーの側にある水源地付近に、目当ての『マトリカリア』を見つけた。
リュカが求めていたマトリカリアは通常種とは異なり、少し青色の花を付けている。
タンポポの様な小さな花が咲き、辺り一面を青色の絨毯に変えていた。
「これは、凄いな。ここまでの群生地は見た事がないよ。ね、クロエ綺麗だろ?」
「ん、凄く綺麗で香りもいい」
「リュカ君、少し良いかな。これは、普通は採取しない『マトリカリアの偽物』って呼ばれてる植物だと思うのだが」
「そうだよ。でも、これは『亜種』であって偽物じゃ無い。僕は薬品にこれを使ってるんだ」
「そうなのか、知らなかったよ。どんな効果があるんだい?」
「まぁ、大体は普通のポーションと変わらないけど、これを精製して作ると効果が飛躍的に上がるんだ。特別な精製方法が必要だけどね」
「なるほど。君は強いだけじゃ無く、物知りなんだな。私も見習わなければ」
「やめてくれよ。大した事じゃ無い。ーーところで、マコフさん。この植物の群生地は、ここ以外にありませんか?」
「幾つか心当たりはあるが。役に立つのですか?」
「ええ、凄く役立ちます。もしかしたら、村が少し豊かになるかも知れませんよ」
「なんと、本当ですか。おお、そろそろ帰りを急がないと、暗くなって参りましたぞ」
「そうですね。では急ぎ村に帰りましょう。クロエ、マーニ、村に帰るよ」
リュカは大きな収穫を得て満足顔で、青い花畑で無邪気に遊んでいた二人を呼び戻し、村に帰る事にした。
「いえいえ、伯爵様。村人と子供達の命まで助けて頂いて、馬の御代なんて頂けません。どうぞお使い下さい!」
「マコフさん、有難く使わせて頂きます。でしたら代わりに、これを何か村の役にでも立てて下さい。ゴブリンの魔石で四百五十個程あります」
「よ、宜しいのですか。こんなに沢山の魔石を頂いてしまって」
「ええ、今回僕達は大きめの魂晶も収穫しましたし、欲しかった情報も得る事が出来ました。村の方々の為に使われるのであれば構いませんよ。それじゃあ、街まで戻ろうか」
夜の帳が静かに降り始めた頃、リュカ達三人は馬に跨りグランツァーレ市街へ向けて村を発った。
◇
リュカ達がグランツァーレ市街へ戻ったのは、日が暮れて暫く経った頃だった。
グランツァーレ市は市街のやや西寄りを流れる運河を挟んで、西側に貴族区があり、高級な衣料店や診療所、騎士団の詰所、神殿などがある。
東側は一般的な世帯の住民が住んでいる住居区域、魔法道具屋、魔石屋、商会関連の建物が建ち並ぶ商業区、鍛冶屋などの火を扱う工業区に分かれている。
冒険者ギルドのある商業区の夜は、建ち並ぶ宿や飲食店の窓から漏れる明かりが、夜の闇を柔らかく照らし、暖色の街灯と混じりる事で、幻想的で妖艶な空気が漂っている。
アルビノとして生まれ、直射日光を避ける生活をしているリュカにとって、夜は何処か解放された気分さえして風も心地よく感じた。
商業区を暫く歩きリュカがギルドへ戻ると、冒険を終えた冒険者達が今日の収穫を酒で労い、彼方此方で大きな笑い声を上げている。
男達は肉料理を肴にエールやワインを、女性の冒険者はミードや果汁で喉を潤していた。
幾人か知り合いの冒険者も居て、笑顔で手を挙げ簡単な挨拶を交わしながらカウンターに進むと、ラウラ嬢が少し疲れた顔で待っている。
「リュカさんっ!」と、音を立ててラウラ嬢が立ち上がり、豊かな胸の前で祈る様に手組んでいる。
普段冷静な彼女としては珍しい姿であった。
「依頼の『キングゴブリン及びゴブリンの群れの討伐』は無事終わりました。あと、レーヌ村に寄って討伐報告もしたので、村の人達も普段の生活に戻っています。討伐したゴブリンの魔石は村に置いて来たので、これが討伐報告の『キングゴブリンの魂晶』です」
リュカが大きな黒紫の魂晶を「ゴトッ」と、カウンターに置くと、ラウラ嬢は緊張で強張らせていた表情を「ぱぁっ」っと和らげて、本来の彼女の美しい笑顔を戻らせた。
「リュカさん、この度は有難うございました。ギルドとしても……」
「いえ、気にしないで下さい。ラウラさんは僕の立場をご理解頂けてると思いますし。それに、今回は別件で収穫もありましたから。ヨーゼフさんはいらっしゃいますか?」
「別件ですか。はい、すぐにご案内致します」
ラウラ嬢に案内して貰って応接室に入ると、ヨーゼフは憔悴し切った顔で目の下にクマも作って待っていた。
「この度は本当に、本当に有難うございました」
「いえ、僕達は依頼を達成しただけですし、御礼なら先程レーヌ村の方々にも頂きましたから。どうか顔を上げて下さい」
「そうですか。藁にも縋り付く思いで街まで来ましたが、もう駄目かと思っていました。これが村から集めた依頼の金貨七十枚です。足りなければ、何としても集めてお支払い致します」
「いや、これで充分ですから。もし、御礼を追加で頂けるなら、一つお願いがあるのですが構いませんか?」
「私達の村で出来る事であれば……」と、ヨーゼフはリュカの頼みに耳を傾ける。
「実は先程レーヌ村に寄らせて貰った時に確認して来たのですが、レーヌ村で『ある薬草』を定期的に採取して、納品をお願いしたいのです。私が作る薬品の原料になるのですが、継続的に安定して、仕入れ出来る相手を探していたんです。もちろん、代金は支払いますので村の収益にもなります。如何ですか?」
リュカが薬草の野生地の把握と確保、採取、納品までの依頼を提案すると、ヨーゼフは喜んで引き受け、それから暫く薬草採取の打合せをして村へ帰って行った。
◇
冒険者ギルドで、今回の依頼報酬と魂晶を売却した金貨を受け取った後、リュカ達はグランツァーレで宿を取り、宿の食堂で三人での初仕事を労う事にした。
「お疲れ様っ!」
「「「乾杯!」」」
三人で乾杯をすると、マーニがエールを勢い良く飲み始めた。
今日はリュカもエールを、クロエも温めたミードを飲んでいる。
リュカは早速今日の収穫を報告し分配する。
「今日は依頼報酬が七十枚と、キングゴブリンの魂晶が金貨六百八十枚で売れたから一人丁度二百五十枚ずつ。これはマーニの分だ」
マーニは暫く少し考えている素振りを見せた後、キッパリ報酬の受け取りを拒否した。
「私はある程度の必要な金貨は蓄えている。無理を言って仲間に入れて貰った以上、旅に同行させて貰えれば充分だ」
「そうだなぁ。報酬は受け取って欲しいけど、そういう事ならこの先僕らの旅は長くなるだろうし、装備も手入れしたり、新調しなければならなくなる」
「ああ、その通りだ。私の装備もいつかは交換しなければならないだろう」
「だから、毎回の報酬の配分は無しにして、マーニの分も、僕が管理する旅の資金から出すって事で良いかい?特別大きな買い物するなら相談してくれれば構わないし」
「ああ、私は最初から報酬は貰わないつもりだったが、旅を続ける上での必要経費を出して頂けるのは有り難い。是非、私からもお願いする。それより私はお腹が減って仕方ないんだ。リュカ君、もう一杯飲まないか?」
「ああ、僕もぺこぺこだよ。ーーあ、エール大きい方を二杯追加お願いします。クロエは追加同じのでいいかい?」
「ん、蜂蜜酒の暖かいの」
「うん。じゃあ、それも追加で!」
マーニはリュカから見ても、『竹を割った様な』さっぱりとした嫌味の無い性格で、品があり、高い志しを持ちながら、欲張らず目的を見失わない。
(何だろう、何か悔しいけど、他人の男の人の圧倒的な魅力を見て、少し嫉妬する気持ちが分かるかもしれないな。マーニは得難い仲間になりそうだ)
◇
翌日、昼前にマンハイム商会に赴くと、アルベルト・ガンツとの面会の予約が取れてガンツと商談をする事になった。
「伯爵様お久しぶりですなぁ。今日は如何されましたかな?」
ガンツ氏が、特徴的にカールした髭を少し弄りながら姿を現せた。
ーーリュカは早速本題に入る事にする。
「先日は家財の買取り有難う御座いました。今日は折り入って商談の為にやって来ました」
「ほう、商談ですか」とガンツ氏は興味津々な態度を示し、執事に紅茶の用意をさせる。
黒髪の頭の回転が早そうな初老の男性だ。
「それで……」とガンツ氏は話を促す。
「ええ、私が作るポーションの製造販売権を私から半分買取り、新しいポーションの製造販売業を始めませんか?」
「ほほう……以前、伯爵様に助けて頂いた時のポーションですかな?」
ガンツ氏の顔色が変わり豪商人たる雰囲気を醸し出す。
隣で執事が淹れる茶葉の、素晴らしい香りが部屋に充満している。
リュカは心地よい香りを感じながら商談の続きを始める。
「私の作るポーションは通常品の約二倍の効果があります。御社が商う事業のポーションの仕入れ値は売価の半額、一本当たりの儲けは銀貨一枚だ。違いますか?」
「よくご存知で。その通りで御座います」
「私の作るポーションの製造コストは月一万本単位で銀貨五千枚、一本当たりのコストは銅貨五枚。通常商品のポーションが一本銀貨二枚、約二倍の効果のポーションを銀貨三枚で販売致します。新商品の粗利益は二.五倍の銀貨二枚と銅貨五枚となります。」
ガンツ氏が低い唸り声を上げながら話を真剣に聞いている。
(今の既製品のポーション月間販売個数を計算しているのかな?)
「まぁ、仮に月一万本の製造と販売をしたとした粗利益の額は、既製品であれば計算する迄もなく銀貨一万枚。新商品であれば銀貨二万五千枚。製造工場の設備投資と人夫の雇用、工場の運営、五十%の製造販売権の買取りを受けて頂く代わりに、私とマンハイム商会の利益配分率は三:七としましょう。良い話では無いですか?」
「ううぅむ…して、五十%の製造販売権というのは金貨何枚位ですかな?」
「金貨五千枚で受けて頂きます。五千枚であれば半年もあれば初期投資は回収出来るでしょうし、マンハイム商会の販売力であれば、もっと早く金貨を市場で回転させられるのでは無いですか?」
「……いやぁ、本当に参りましたな。流石はヨハン様の御子息だ。このガンツ、若き伯爵様の事業に喜んで投資させて頂きましょう。金貨はすぐに御用意出来ます。お時間は大丈夫ですかな?」
「ええ、大丈夫です。それと、月々の利益額に対する私の取り分については、グランツァーレ冒険者ギルドの私の口座へお願いします。あそこであれば、他の街からでも資金を動かせますので」
レーヌ村からの原材料の納品の件等をガンツ氏と打合せを行い、金貨五千枚を受け取ったリュカは、一旦マーニと別れて、シュヴァルツヴァイト家の屋敷へと帰って来た。
遂に金貨二万枚を用意出来た。これで神ハデスとの約束を果たし、クロエの魂の枷を外せる。
リュカは叫び出しそうな逸る気持ちを抑え、クロエにマルバスとの本契約をさせる。
床に魔方陣を引き、金貨二万枚を山の様に積み上げクロエがマルバスを召喚すると、金貨の山は一度ドロドロに溶けて質量を増し、象よりも巨大な獅子の姿に形を変えると悪魔マルバスが顕現し、クロエに頭を垂れ、眩い光を放ち虚空へ消え去った。
ーーこれで本契約は成った
「リュカ、ありがとう」
「僕はクロエのその力で命を救われたんだ。御礼を言うのは僕の方だよ。助けてくれてありがとう」
「金貨を作れたのはリュカのおかげ。私一人では無理だった」
リュカとクロエが感極まった様子で話をしていると、何処からか聞き覚えのある声がして窓の方を見やると、窓から差し込む陽の明かりが創り出す影から神ハデスが現れた。
「ね、クロエ。僕の言った通りだっただろう。ははっ。レシピを五十%の権利として売却して、必要な金貨と継続収入を得たのは面白い考えだったよねぇ。これで多少は無駄に死ぬ人間達も減って、僕の仕事も少しは楽になる。願ったり叶ったりだ」
戯けた口調で信用取引の真意を話した神ハデスに対し、クロエはリュカの命を救って貰ったあの日から、様々な経験を経て考えを改め、自らの主神に話さなければならない事があった。
クロエは神ハデスに向き直り、膝を着くと頭を垂れ、神ハデスに彼女の想いを言葉に紡いだ。
「神ハデス様、お話したい事が御座います」
「何だい、君から話なんて珍しいじゃないか?」
「私の主神、神ハデス様。私は二歳の頃にあなたからのブレスを賜りながら、その意味を理解出来ず、父を失い、母を失い、更には新たに得た家族を失う中で、私は自身の出生を恨み、運命を呪い、賜ったブレスを嫌悪して生きて参りました」
「そうだねぇ」
神ハデスは、これまでのクロエが歩んで来た半生と彼女の生き方、想いを振り返り少し哀しそうにクロエの告白を肯定する。
「しかし、やっと、私は賜ったブレスの意味に気付き、運命を受け入れ、自分自身と向き合う事で、大切な者を守る力を得る事が出来ました。愚かな私をどうかお許し下さい」
クロエは身体を震わせながら更に深く頭を下げた。
「君の心が成長してくれて僕は嬉しいよ。だけど、僕は何も特別な事はしていない。他の神とやってる事は然程変わりは無いんだ。つまりはね、クロエ。神の力は万能であっても、力を与えられた君達自身は決して万能じゃ無いんだ。くれぐれもその事を忘れないで、道を誤らないでくれたまえよ。ふむ、君の事だから大丈夫だとは思うけれどね」
神ハデスは血の気の一切無い、表情の薄い真白な顔で大仰に頷くと、リュカを一瞥し言った。
「おい少年。あまりクロエを泣かすんじゃないよ」
(え、僕ですかっ?)
綺麗な黒の衣を纏い子供の姿をした神が踵を返し、静かに影の中へ消えた後、突然神様に怒られたリュカは、少しの間唖然としていたが気を取り直して、膝を曲げ頭を下げたままのクロエに声を掛けた。
「クロエ。良かったね」
ーー少女が黙って頷いた横顔は、薄らと涙を湛え嬉しそうに朱に染められていた。