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紙上賭博家

作者: 新谷 裕


「下三桁、482……二桁、57……ラスト、4」

蝉の乱れた合唱が、再び俺の脳内に響きだす。床に広げた新聞紙には、いつの間にか水玉模様の染みが出来上がっていた。

「三千五百円か……」

 用済みになった数十枚を握りしめるのと、開きっぱなしの口から、長い溜息が出たのは殆ど同時だった。

 そして、その年三度目の俺の戦いが終結した。




 俺は宝くじが好きだ。宝くじは俺の一部だと言っても過言ではない。自分では、俗にいうマニアではないと思っている。ただ、年に五回購入する紙切れ五十枚に全力をかけている、一般的な三十路過ぎの独身男である。

 あの一枚三百円の紙切れには、金額では表せないほどの夢と希望が詰まっている。発売日から抽選日までの一ヶ月間は特に夢が膨らむ。

勿論、くじには「はずれ」が存在する。だが、はずれという絶望感があるからこそ、大物が当選した時の感動は計り知れない――のだと思う。

 残念ながら、俺にはその大物獲得という経験がない。俺が宝くじを購入し始めて、早六年になる。毎度同じ枚数、一万五千円分を賭けているのだが、当選した最高金額は七千五百円。それもたった一度きり。完全なる赤字である。抽選日まで神棚に供えていても、まるで効果がない(神棚といっても、天井近くの角の位置にある、小さな飾り棚だ)。

「……一攫千金してぇなあ」

 何回、何十回も繰り返した呪文がこぼれた。




 秋、次の発売日。仕事が終わり、トランポリンの如く弾む心を抑え、行きつけの売り場を目指していた俺の前に立ち塞がったのは、スーツを着た一人の少年――否、背の低い青年であった。

「もしかして、これから賭けるんですか」

 ハスキー声のそいつが指差したのは、俺の目的地だった。トランポリンから突然落とされた俺は、不機嫌さを全面に押し出して答えた。

「ああ、その通りですよ。これから私の高揚感を賭けるんです。どうかそこを通らせては頂けませんか」

 ハスキー声の唇が三日月に歪む。

「もっと素敵な賭けをしませんか? 賭けというか取引に近いかな。取引、したくないですか?」

何が言いたいのかさっぱり理解出来なかった。が、そんな困惑とは関係無しに、好奇心という厄介な歯車が働いてしまう。人間の性なのだろう。

「取引、というと?」

「簡単です。今回の賭け金、僕に払わせて下さい。あ、ロトなら明後日に結果がわかりますよね、それも一緒に買って下さい。で、当選金額を僕に教えて下さい。そして次回のくじからは当選したお金で買うんです。これでお金がどんどん増えますよ。くじの規模の大小に関係なく、大当たり連発です」

信憑性なんて何処にもない。なのに、俺にはその取引が魅力的に思えた。

今までの自分の運の無さに別れを告げたかったのか、夢のような逆転劇の主人公に憧れたのか。俺の口は言葉を紡いでいた。

「――その賭け、乗った」

 ハスキー声の目がニイッと笑った。三つの三日月がそこに浮かんでいた。

「ありがとうございます。では、これを今回分の賭け金としてお納め下さい。あ、報酬として、当選額の五%をいただきます。――くれぐれも、報酬や報告する金額を誤魔化すことの無いように、ね」

 そんな言葉と一万円札二枚を握った俺を残して、小柄な契約相手はビル街に消えていった。




 四度目の戦いは、俺の大勝で幕を閉じた。番号を自ら選ぶロトくじは初体験だったが、二千円分の購入で五千円当たった。人生初の黒字。嬉しさのあまり、その日、俺は売り場で膝から崩れ落ち、通行人の注目の的となってしまった。そして本命の結果は、なんと四等五万円。長い付き合いになる売り場のおじさんに盛大に鐘を鳴らされ、喜びや驚き、羞恥心が入り乱れて、ただ茫然と立っていた。

 例の小柄な青年に出くわしたのはその帰り道だ。ほらね、と言わんばかりの笑顔を浮かべていた青年に、俺は何度も礼を言い、金額を告げ、報酬分を手渡した。それは、契約継続の証拠だった。




 以降、俺の手元には大金が転がり込むようになった。ロトくじにもちゃっかり手を出し、毎週三千円ほどの儲けを出した。その度に青年に報酬を支払っていたが、時たま番号を選ぶ際に彼から助言を受けていたため、感謝の意も込めて、彼の取り分を当選金額の十%とした。

この時、俺は既に酔っていた。何故俺が売り場に来る時はいつも青年に会うのか。何故青年は自分でくじを買わないのか。何故俺にこの取引を、賭けを提案したのか。――そもそも彼は何者なのか? そんな単純な問いが浮かぶ余地も無いほど、深い誘惑に溺れてしまったのだ。





一年も経つと、酔いは通例と化した。当選の快感に慣れたと同時に、落選の絶望感を忘れつつあったせいだ。相変わらず俺は青年に、報酬として獲得金の一割を渡していた。だが、

(何故俺は金を払っているんだったか……あいつは何もしていないのに)

 初期には思いつきもしなかった、ありとあらゆる疑問が次第に俺を襲うようになった。――そういえば、俺はあの青年の事を何も知らないのだ。職業や年齢はおろか、名前すら聞いたことがない。

悶々とするうちに、抽選日が訪れた。またも大儲けした俺は、一つ賭けることにした。



「やあ、今回はどうでした」

 売り場から少し離れた、赤い夕日に染まる路地で、青年は微笑んで待っていた。

「おかげさまです。なんと三等まで当たってしまいましたよ。合計で百万三千五百円!」

「おお、ついに百万を超えましたか」

「これもきっと、貴方のおかげでしょう。……はい、十万三百五十円です」

 膨らんだ茶封筒の重みよりも、この青年の笑みとハスキー声の方が慣れない。もう何十回と繰り返している取引なのに。

 普段の俺ならこんな些細な事は気にしない。だが、この日ばかりは、彼の言動に細心の注意を払わざるを得なかった。

俺が報告した金額を誤魔化している事に、この青年が気付く可能性がある限りは。

「ありがとうございます……では確かに、頂きました。次も頑張って下さいね」

――三つの三日月を浮かべて、ハスキー声はわらった。

 青年の姿が消え、自然と気の抜けた溜息が出た。結局、彼には何の変化も見られなかった。実は、今回の当選金額は百五万八千五百円だった。要するに、彼の報酬金は五千三百円少なくしたのだが……。

「流石に、そこまでは気付かないよな……あれ、俺何を賭けてたんだっけ」




 その二ヶ月後、俺の逆転劇は逆転した。

今まで通り、彼の言うとおりに、前回の獲得金からくじを購入した。儲けが大きくなってから百枚に増やしていたのだが、賭け金三万円に対し――六千円。一年ぶりの大赤字。以前とは比べ物にならない絶望が押し寄せたが、俺の執心は暴走を止めなかった。

同じ賭け金、同じ結果、賭けて、負けてを繰り返した俺には、正気なんて言葉は微塵も残っていなかった。

残されたのは、耳に溜まったハスキー声、瞼に張り付いた三日月、用済みになった数百枚の紙切れだけ。




最高気温四十度を記録した、次の夏。

俺は最後の賭けに負けた。


人生最後の大黒字以来、あの路地で小柄な契約相手に会うことはとうとうなかった。












こんにちは、新谷裕です。


三作目になります「紙上賭博家」はいかがでしたか?全くもって小説のスタイルが定まらないので、毎回葛藤しております。その葛藤もまた楽しいのですが。


さて、主人公の「俺」は、あの日結局何を賭けていたのでしょうね。皆さんはどうお考えですか?

そして、「俺」に賭けを持ちかけた、三日月笑顔が特徴の、小柄なハスキー声の青年の正体はわかりましたか? 一応、彼には設定があります。しかし、答え合わせは必要ありません。読者の皆さんに、青年の姿を自由に描いていただければ、彼もきっと喜ぶでしょう。


(貴方の近くに、僕が現れるかも知れませんしね。)


ではまた。


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