第九話 葛藤
法子は暗い面持ちで岐路に立っていた。
「関口教授の行いを止めさせることが指令なんて・・・。」
法子はため息をつく。
初春の夕暮れ道はまだ寒々とした空気が一面を覆っていて
法子の吐息は白く舞い上がった。
そして、その可視化された法子の吐息とは対照的に、
それが完全に消えて見えなくなる頃には、法子の気持ちはさらに暗く重々しいものとなっていた。
小一時間前の大学の江口の部屋でのことを思い出す。
「以上のような作戦で、彼にしたるべき制裁のかわりとしようと思います。
何か質問はありますか?」
江口の作戦は次のようなことだった。
場所と日時は5日後の県立の市民文化ホール。
その日に関口教授は彼主催で環境問題に対しての自分の研究についての発表会を行う。
その発表会には、環境庁や彼を支援するお国のお偉方たちも多数出席するらしく
彼のこれまでの業績と人気から推測すると、600百人は優に収容する文化ホールを
満員にするほどの足運びとなるだろうとのことだ。
そして、そこで関口教授の悪事を曝す。
やり方は、会の終盤にある質問のコーナーで、質問と銘を打ちマイクを握り、疑問を口にしているようにしながら、彼の発表の矛盾点を的確について彼に自ら墓穴を掘らせるのだ。
「そんなにうまくいくのか?」
雄三はその案を聞いたときに渋面を江口に向けながら言った。
「状況から考えるとその作戦が成功する上で疑わしい点がいくつかあるぞ?
まず、その質問のコーナーで俺達に指名が当たるのか。
そんだけ悪どいことに手を染めてるようなやつならサクラをしこんで、そいつに都合のいいことだけ質問させるなんてこと考え付いてやってもおかしくない。
あと、その関口を陥れるための、あいつの矛盾をしめす確たる証拠とは何か。
あいつも馬鹿じゃないだろうし、何よりバックに国の権力があるなら、その矛盾を隠蔽する方法なんて幾らでもあるし、その矛盾を卑怯なやり方で正すことなんて簡単にできるだろ?」
「卑怯なやり方で正すって何だよ?」連子が雄三に尋ねる。
「色んなデータを取るのは国なんだ。
その工程でちょっと都合のいいようにいじれば、数字が彼を守ってくれる。
環境省が取ったデータがたとえ嘘データでも、俺達にはそれに疑問を抱いたところでどうすることもできないんだ。」
雄三は胸糞悪そうに言う。
「で、どうなんだよ?今俺が言った2点をどう解決するんだ?」
雄三は連子から向き直ると、再び江口に問いかけた。
「ふふ。」江口は静かに両目の瞼を閉じると小さく微笑んだ。
そして、ゆっくりと目を開けると全員に向って口を開いた。
「それを解決することも含め、あなた達の使命、腕の見せ所ですよ。」
「な!?それも俺たちがすんのかよ?」雄三が声をあげる。
「え〜難しそうだよ〜」桃田は弱気な声をだす。
「だいたい・・・僕らにそんなことできるんですか?」連子は江口に顔を歪めながら言う。
「なんの為に君達を集め、レンジャーを結成したと思ってるのですか。
できると見込んだから集めたのです。・・・・ねぇ緑川さん。」
そう言うと江口は微笑みながら法子に視線をやった。
「・・・・」
法子は煮詰まらない気持ちでうつむいたままでいた。
「あなたのその幅広い豊かな知識と、その学ぶ上での忍耐力をもってすれば、
そんなに不可能なことではないと私は考えているのですが・・・。
いかがですかな緑川さん?できますか?」
江口はなおも微笑をくずさずに訊ねる。
法子は静かに顔をあげる。
決心はなんとかついた。
「・・・わかりました。やってみます。・・・でも・・・」
法子は歯切れ悪くそこまで言うと、尻すぼみに声のトーンを弱めた。
「でも?」江口が優しく先を促す。
「・・・でも・・・関口教授に直接会って説得する機会を与えていただけませんか?
彼ならきっとこちらのいい分を伝えれば、今の悪事から手を引いてくれると思います。
少し、脅すような感じがして嫌だけど、皆の前で醜態を曝させるよりよっぽど彼にとっていいはずです。
・・・お願いです、彼に会うことを許していただけませんか?」
法子は心の底から関口を尊敬し、信頼していた。
彼なら、もしその事実が確かなものであったとしても
話し合いをすればわかってくれる。
きっと改心してくれる。そう、法子は思った。
「・・・・緑川さん。それは作戦そのものすらをも脅かし得ない手ですよ?
それはあなたも理解しいるでしょう?」江口は口元の緩みを収めながら言った。
「はい。・・・でも・・・どうかお願いします。
関口教授はとてもすばらしいお方です。私・・・信じられないんです。」
法子は頭を振りながら言う。
彼にこちらから話し合いを申し込む、それは彼に作戦を知らせることと同意であり、
そうすることで、発表会での質問コーナー時に指名される確率を減らすことも含め、
作戦成功の可能性を著しく下げてしまうものだ。
それでも。
と、法子は思う。
それでも、私は一度教授と話をし、説得したい、と。
「青山君・・・君はどうお考えかな?」
執拗に食い下がる法子に困った顔を浮かべた江口が
助けを求めるかのように雄三に問いかけた。
雄三は静かに右手の人差し指で自分のこめかみあたりをさすっていた。
そして数秒宙に視線を固定した後に、ゆっくり顔を上げながら言った。
「・・・・別にいいんじゃね?
聞きわけだけが取り柄みたいなホウコがこれだけ食い下がるんだ。
それなりのわけがあるんだろ。それに、もし話し合いですめばそのほうが随分楽だしな。
・・・あとそれと、俺の考えではやり方しだいでは質問コーナーでの指名率も上げられるかもしれない。」
「え!どうやるの?」桃田が顔を輝かせて雄三に尋ねる。
「あとから話す。それよりエテコー。どうだ?許可してくれんのか?」
「・・・・」
静かに押し黙った江口は彼らから振り返り、考えるときの癖なのか、口元に軽く握ったこぶしを持っていくと、それで上下の唇をとんとんとんと軽く叩きながら、自分の机のところまでゆっくり歩いた。
そして、静かに振り向きなおすと笑顔を顔に浮かべ言った。
「いいでしょう。他でもない青山君の意見です。
関口教授にあうことを許可します。」
「ほ、本当ですか?」法子は目を輝かせ顔を上げる。
「よかったね法子さん」由美がうれしそうに法子に言う。
「うん。・・・・江口教授。ありがとうございます。」
「いえ、幸運を祈ります。」江口は笑顔で法子に言った。
そのあと、江口の部屋から大学の校門までの道を、また5人は歩いて帰った。
「でもさっすが雄三くんだよな〜。やっぱ天才はちが・・・」
桃田はそこまで言うとギロリとした鋭い雄三の視線を見て
思い出したかのように口を両手でおさえた。
「桃田・・・今何っていった?ん?」雄三が静かに桃田に近づく。
「い、いや、別に何も。天才なんて、あ!いや、わ、わ」
たまらず桃田が走って逃げ出した。
「あ、桃田てめ!まて!このやろ!」
雄三が逃げる桃田を追いかけだした。
しかし、桃田は小癪なことにすいすい雄三の手から逃れている。
「はは、それは禁句なのに桃田のやつ。」
その情景をみつめながら楽しそうに連子がつぶやいた。
「ふたりとも楽しそう。」
陽だまり笑顔を浮かべ、由美も二人を見つめながらおっとりと言った。
「なんであんなに呑気なの・・・」
法子だけはまだ笑うような気持ちにはなれなかった。
「ちっ。桃田のやろう逃げ足だけは速いなちくしょー。」
桃田を捕まえることをあきらめた雄三が顔を流れる汗をぬぐいながら戻ってきた。
「・・・なんだよホウコ、いつもの冴えない顔がもっと冴えないじゃん。
まだ関口のこと気にしてるのかよ。」
「・・・うるさいわね。冴えなくて悪かったわよ。」
法子は近寄ってくる雄三にそっぽを向いて応える。
「俺のおかげで明日あいつを訪れて説得できるようになったんだからいいじゃねぇかよ。」
「わかってるわよ。あんたのおかげよ。どうもありがとう。」
顔も向けずにそう雄三に言うと、法子は校門が見えてきたのを確認した。
そして、数歩早足で皆の前に出て振り向くと無理やり笑顔を作って言った。
「ごめん。私このあとちょっと用事があるから先行くね。」
それからは気の重いひとりの帰り道だった。
何度ため息をついたかわからない。
どうにか家にたどり着くと、法子は自室に逃げるように駆け込んでベッドに崩れた。
「明日・・・絶対説得しなきゃ・・・」
そして法子は、いつのまにかそのまま眠りについてしまう。
浮かび上がる不安から逃げるかのように。
そして、尊敬する彼を疑うことから生じる、耐え難い自己嫌悪から逃げるかのように。
第十話につづく