神から世界の命運を託された男
恋人たちや家族連れが潤いの時を過ごす動物園で、俺は園内を一人巡っていた。
明日の日曜日にこの動物園で、初彼女の静穂とデートの約束をしており、その下見に来ているのだ。
「えーと、最初はキリンを見て、次は猿山を回って、と」
デートが円滑に進むよう、園内の順路を徹底的に分析する。
次はここだ。この動物園で人気のカピバラエリア。
何頭ものカピバラが温泉に浸かり、くつろいでいる。
その中で温水の滝に打たれながら湯に浸かるカピバラと目が合った。
「ふふっ、あのノンキな顔。静穂に見せたら大受けだろうな」
そんな独り言をつぶやきながらフェンスに体を預けて、そのカピバラに見入る。
すると突然、何者かが俺に向かって話しかけてきた。
『この声が聞こえるか大輝よ』
ん? 誰だ? 俺の名前を呼んだのは。
周囲を見渡すも、周りの客は皆、カピバラに見入っていて俺に視線を向ける者はいない。
『顔を前方に戻せ。私はお前の正面におる』
言われた通り、先ほどのカピバラに視線を戻すと、そのカピバラは俺を見ながら軽くうなずいた。
『そうだ。それが私だ。
いや、正確にはカピバラを通して、天界からお前の脳に語りかけておる。
私がこれから話す事を心して聞くがよい』
俺の脳に?
そういえば、耳からではなく心に訴えかけられているような、そんな感覚がする。
『単刀直入に言おう。私は、お前たち人間が俗に”神”と呼ぶ存在だ』
「神!? よく分からないけど神なら俺の脳に直接語りかけてくればいいのに、どうしてカピバラ経由なんだ?」
『これから、この地上に破壊と混沌が巻き起ころうとしておる』
無視された。神のくせに度量が狭いなー。
『言っておくが、私はお前の思考を読むこともできる。私への侮辱は慎め』
地の文まで読んできやがる。おっと、慎まねば。
「それで、その神が俺に何の用なんだ?」
『地底世界に眠っている邪悪な魔物”サタン”が今、100万年の長き時から目覚めようとしておる。
サタンはかつて、神である私に反逆を起こした神敵。
私は全身全霊の力を駆使してサタンを地下深くへと封印した。
その際に私は力を使い果たし、100万年経った今でも未だ癒えておらぬ。
そこで、私の代わりに貴様がサタンの暴走を食い止めて欲しい』
「俺が!? 神のアンタでも苦戦した相手だろ?
人間の俺がどうやって太刀打ちしろっていうんだよ?」
『貴様の背中に星の形をしたアザがあるだろう。
そのアザこそが選ばれし”光の戦士”の証。
私のわずかばかりの余力で、お前の中に眠っている力を解き放つことが出来る。
その力を駆使し、宿敵サタンを討ち滅ぼすのだ』
俺が”光の戦士”だって?
確かに俺の背中には星形のアザがある。
そのアザが急に浮かび上がったのは高校に入学した頃で、親はおろか、彼女の静穂にすらまだ知られていない。
『貴様のことは何でも知っておる。体の隅々から性癖までもな』
くそっ、治外法権なのをいいことに人様の個人情報を勝手に調べやがって。
だけど、”眠っている力”というのは気になるな。
「”眠っている力”と言ったが、どんな能力が開花するんだ?」
『通常の貴様よりも足がそこそこ速くなる。それとパンチ力も、ある程度上がったりする』
「随分とアバウトだな! もっと具体的な能力は無いのか?」
『では、今この場でサタンとの戦いを決断してくれるのなら、雑誌の懸賞に必ず当選する能力も、新たに加えよう』
「その能力でサタンにどう立ち向かえってんだよ!? あと、通販番組みたいな手法で説き伏せようとするな!」
『むむっ、強情な奴だな。だが時間が無いのだ。
最低でも明日の今頃までには貴様に決断してもらわねばならぬ。
さもなくば、数多くの人間や動植物の悲鳴、貴様の性癖内容が世界中に轟くことになる』
「さりげなく俺のプライバシーを巻き込むな! もし断ったら俺の性癖を世界規模で発信する気かよ!?」
『肝に銘じて決断しろ。
明日の同時刻にまた、ここへ来い。
その時に回答を聞こう……』
「おい、ちょっと待てー! 一方的に締めるなー!」
……俺への語りかけが途絶えた。
先程まで俺に語りかけていたカピバラが、我に返ったのか不審な目で周囲を見渡している。
俺も周囲を見渡すと、先程までカピバラに怒鳴り散らしていた俺を、客たちが不審な目で見ているのに気付いた。
急いでここから立ち去らねば。
ふう、ここまで来れば大丈夫だろう。
しかし、カピバラに憑依して現れたかと思えば、俺の個人情報で脅しにかかったり、最近の神の考えることはよう分からん。
そういえば神は、俺の思考が読めるんだったな。
俺も心の中で会話をしていれば恥をかかずに済んだのに。うっかりしてた。
”肝に銘じて決断しろ”、か……。
神の言うことが本当ならば、俺の選択が世界の行く末を左右することになる。
……何だか急に寒気がしてきた。
『ニャホニャホクマタロ~♪』
ん? またもや神からの声か?
いや違う、携帯の着信だ。
「もしもーし」
『やっほー! 大輝!』
「静穂! どうしたの?」
『急に大輝の声を聞きたくなっちゃって。今どうしてるの?』
「ああ、カピバラと会話、じゃなくて家でゴロゴロしてるよ」
『そうなんだ。それはそうと、友達から映画のチケットを二枚、譲ってもらったんだ。
私が密かに注目してた超大作映画「エイリアンVS武闘派コック」!
明日の予定は動物園だったけど、こっちを観に行かない?』
超大作映画……? 限りなくB級臭いタイトルだな……。
ううむ、彼女の趣向が未だに掴めん。まあ俺の着メロのセンスも大概だが。
映画館か。わざわざ動物園に下見に来た苦労が水の泡になっちゃたな。
だけど、どちらにしても同じこと。
静穂には悪いけど、俺は、何よりも大きな使命を負ってしまった。
もう、すでに覚悟は決めている。
世界の命運は、俺の手にかかっているのだから……!
明日のデートは丁重に断らねば。
「静穂。明日のデートなんだけどね……」
『大輝……。
明日、私の両親が家を留守にするんだ。
映画を見終わった後、よかったら……。
私の家に泊まりに来ない?』
「え? え? えええ!? ホント!?」
『うん。着替えも持ってきてね』
「分かった!持ってくよ!」
『じゃあ、明日の朝10時に、いつもの場所でね』
「うん。楽しみだね~」
『ね~』
ピッ。
結局、神からの要請はバックレた。