地獄の一丁目
「悪いことをすると、地獄へ堕ちますよ」
日本一有名な脅し文句、針の山に血の池に、子供心に突き刺さる、夢に出てくるや鬼は笑う、滝のごとく汗、棍棒のトゲトゲ自分の頭かち割る様、思い浮かべては恐怖に泣く日々、そんな日々はさて遠く、科学文明は霊現象さえ解明か、地獄はいつしか記憶の果てへ、悲しきかな、少しだけ、オトナになった
いつの日にか失った想い出を、求めることには求めるけど、知ることの怖さ、いつの日からか、夢や希望、盛んに語っては浸る日々は終わっていて、少し前は口ずさんでいた歌の歌詞は、何処かに飛んで、もう二度と歌えないあの歌、明日が来なきゃどんなに楽だろうか
バカな人、そうやって優しく笑ってくれる人、昔はいたのかな、今はいない、行きつけのチェーン店のミルクティー、口実のための勉強道具、なんだって大げさだけど、世間に言わせりゃ花の女子高生、悩めるオトシゴロ、なんて言われちゃう、悩みを与えてくるのはアナタでしょう、トゲのある言葉、言えればどんなに楽だろう
東京の高校を受験して上京してきた、渋谷新宿池袋、人間の多さに、建物の高さに、止まぬ賑やかさに、言葉を失い自分さえ失いかけて、春の柔らかな桃色夏のあふれる緑色秋の荘厳な紅色冬の深い白色、一切合切が人工物、春のライトアップ夏のライトアップ秋のライトアップ冬のライトアップ、京都で生まれて15年過ごした小娘には、東京へ来ただけでタイムスリップかとさえ錯覚し、初夏、セミの声さえ人工物に思え、世田谷の静かな自宅でも、中々心休まることはなく、4月が過ぎ、5月も中旬、淡島通りに初夏がおりて、友達がまだ一人もいない、少しばかりの熱気には、新幹線の乗り口まで見送ってくれた、親しい彼らも今はいない、柳の下でうずくまっている者、道路の隅でじっとしている者、首をのばして窓を睨んでいる者、私の周り、誰も、何もいない
私、丸烏 叉姫はいわゆる「見える人間」なのだ、頭をもたげ歩く人の背には大抵白いモヤモヤがおぶさってあるのが見えたし、小学校の頃の絵日記、「へんなかたちの口のよーかいとあそんだ、たのしかった」の一文にはエンピツでぐりぐり書き殴った人型の何かが描かれている、人々の曰く、霊感がある、でも物心着いた頃にはツノのある人間と無い人間という区別の仕方で周りの環境に慣れていたし、亡霊やモノノケなどとは幼少の頃より大変な馴染みで、忌み嫌うなんてとんでもない、彼ら彼女らが鐘の音を愛したように、私も低く優しいぼーんの鐘の音を愛するようになって、日が暮れるまで私には見える友達と遊んで、夕焼けを見てお願いして、いつも神隠しの要領で家までおくってもらって、またね、の代わりに何処かで鐘が鳴る
そんな様子だったから、気づけば人間世界で友達と呼べる存在は存在せず、やっぱりいつも待ち合わせている鳥居の所まで走って一緒になってまた夕暮れまで遊んで、オトナになって一人で夜出歩けるようになったら百鬼夜行に連れてってもらう約束を取り付けたりして、いつだって会いに行けた、烏丸通をまっすぐ歩いて鴨川の方へ曲がって鴨川を前に耳をすますと、川の流れる音の向こうに彼ら彼女らの日常の声がある、何処でだって聴こえてくるけど、鴨川の前が私の特等席、鴨川と一緒に上京してこれたら、少しばかり辛い思いも味わって、常識もいくつか心得た私でも、ワガママの一つや二つは通したい、目をつむれば、鴨川の優しい流動、浮かんでくるようで、遠く独りの心には、今一つのあの流れの音、その向こうの生活音、求めずにはいられない、ガムシロップを二ついれたミルクティーはかなり甘い、今頃気づくほどに、寂しさを持て余す午後の日
登下校は毎日電車で片道40分の電車旅、学校の近くに暮らせればよかったが、喧騒、雑踏、逃れるように今の家、都心のくせに田舎な静けさと景色、駅へ行くまでに遠くに見えるセルリアンタワー、それだけは私に頑張れって言ってくれる、休み時間に寝てばっかりいたら、寝るのが得意になっちゃった、放課後そそくさと家路についてばかりいたら、歩くのが早くなっちゃった、あんなにも憧れた東京は、私の夢見る気力さえ呑み込んだ、近くの八幡様へ足を運んで友達ができますように、柏手合掌何度もお祈り、日々は相変わらず過ぎて、いよいよ信仰厚く厚く、放課後の八幡様が日課になって、アジサイがいち早く梅雨の気配を運んで来た頃のこと、ねえ、放課後に私を呼ぶ声がした




