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そして決着。


 簡潔に述べよう。クラーケンは目玉から涙以外の体液を吹き出してぶっ倒れた。私の完全勝利である。マゾヒストは「よくやった相棒!」なんて笑っているが、私はこいつの相棒になった覚えはない。


 またも騒ぎが収まった頃にやってきた乗船者たちは、クラーケンの触手が無惨にも散らばる甲板と、半ば甲板に乗り上げるようにして気絶している海の化け物、その化け物に治癒を施しているマゾヒストをみて首を傾げていた。私はといえばクラーケンの体液がこびりついた嘴をマゾヒストの服にすり付けている。うへえ、ねとねとして気持ち悪ぅい……。ギャル風に言うならテンションさげぽよというやつである。さげぽよの「ぽよ」が何を意味するのか私は知らない。


「おー、怖かったなあ」

《全く! いえ全く!》


 何を勘違いしたのか私の頭をよしよしと撫でるマゾヒストに、クラーケンの体液がこびりついた嘴を開いたまま、そっと擦り寄せたら、驚くほどの素早さで手を引っ込められた。ヤツはこの嘴の恐ろしさをよく知っている。チッ! 今度こそその指真っ二つにしてやるからな! こいつはちょっと悦びそうでイヤだけど!


 そんなマゾヒストはクラーケンに――主にクラーケンの目玉に治癒魔法をかけていた。彼は獣使いでありながら治癒魔法も使える。マゾヒストだからだ。いくら痛いのが好きでも度を超すと死ぬ。だからその“度”を越さないために彼は治癒魔法を身につけたのだ。痛みのない世界に旅立つことがないように。何回でも痛みを味わえるように。不純というか、欲望に塗れた動機である。


 クラーケンはさっきまで目がァァ!! 目がァァ!! とのたうち回っていた。それが煩わしくなった私が目玉にだめ押しのフリッパービンタを食らわせたところ、嘘のように大人しくなったというわけである。気づいたら気絶してた。


 そんなクラーケンを引き連れようとマゾヒストの青年はにっこりと笑い、恩を着せるために目玉を治療中である。ご苦労なことです。

 私はクラーケンをばしばしと叩いて意識を取り戻させることに成功した。彼の目はもう元通りなのだろうが、意識を取り戻してからも《目が痛いよう、目が痛いよう》と涙目だった。その大きな一つ目でぎょろりと私を捕捉したクラーケンは、ヒッ! と身を強ばらせてほとんどちぎれた触手で身を守ろうとしている。「怖がらなくていいぞー」とマゾヒストは優しくクラーケンに声をかけたが、それが“魅了”するためのとっかかりにすぎないことを私は知っている。策士め。


《あっ、あのっ》

《もう一回目をつつかれたいなら私の言うことに逆らうといいよ》

《ヒッ!》


 クラーケンはいとも呆気なく私の手に落ちた。目玉へのダイレクトアタックはやはりどの動物においても効果覿面だと言うことがよくわかった。チョロいチョロい。チョロくて甘くてチョロ甘である。


 でかい図体をぶるぶると震わせているクラーケンは、この辺一体をテリトリーにしていたらしい。


《私に喧嘩を売った誠意、見せてくれるよねえ?》


 ――言外にお前のテリトリーをすべて寄越せと言えば、《もっ、もちろんですぅ……》とクラーケンは私に屈することを了承したのだった。


 とりあえずあんたシャチの群にあやまってらっしゃいと告げ、私はルンルン気分で飛び散ったクラーケンの足を集めているマゾヒストの尻を叩いた。どうやらヤツはこの足を茹でて食う気である。私にも寄越せ。


 クラーケン退治直後にはあれだけいたギャラリーも、少し時間がたてば風の寒さに船室へと戻っていった。軟弱な奴らである。体を痛めつけることに快感を感じ始めたいつかの青年――その時は少年だったけど――は、あの雪深い北国で下着一枚で私の下僕たちとふれあい動物公園を再現していたというのに。翌日きっちり風邪を引き、ベッドの中で熱に悶えていたのだから立派である。立派なマゾヒストである。私は彼のそういうところには感服している。見習う気はない。


 その悲惨な――主に性癖の方面で――悲惨な少年時代を過ごした彼の体はいじめ抜かれ磨き上げられ、いまやほとんどのことには屈しない鋼のボディである。才能を間違った方法でのばしたとしかおもえない。


 私とマゾヒストの青年は並んで甲板に座り、茹でたクラーケンの足を黙々と貪っていた。大味かと思いきや案外美味である。しこしことした触感は歯に心地よい弾力を感じさせ――否、今の私だと嘴か。程良い塩加減がすばらしい。やはり素材を味わうのには塩が一番である。ナイスミネラル! できたらポン酢や醤油、すだちをかけていただきたかったが、この世界にそんな上等なものはないので我慢する。


 黙々と、ただ黙々と足を貪っているうちに、またシャチの声がきこえはじめていた。うおん、うおん、と船底に響きわたるのがよい証拠だ。試しに私が船縁から身を乗り出せば、十数匹のシャチが顔を出している。


《姐さん、助かりましたぜ……!》

《ワシらは確かにこの海域で分かれにゃなりませんが》

《姐さんの冒険、応援しとりまさァ!》

《是非、姐さんの帝国を見せてくだせえ!》


 ばちゃばちゃと水をはねながら、シャチは不格好に腕を振る。さよならの合図なのだろうか。私もフリッパーをぺちぺちと振った。シャチの群は姿をするりと消して、最後にシャチのボスが残る。


《姐さんの一撃、効きました! 最高ですわァ! またよろしく頼んます!》


 ――こいつもマゾヒストか。


 茹で上がったクラーケンの足の欠片をシャチのボスにぶん投げる。いてえ! とシャチは身悶えたが、なんだか嬉しそうだ。ほうりなげられた()に躊躇いなく食いつき、《アッ美味い》とため息を漏らしている。訳の分からない肉に躊躇いなく食いついたあたりが水生生物のトップにたつ種族だなあとわたしはしみじみした。


《――姐さんッ!》


 ひときわ大きな、うなり声のようなものが船縁に響いた。人には私たちの会話はわからない。それでいい。


 シャチのボスは水族館のシャチがショーで見せるように、水の中に半身を埋めながら半身を水上に出して、ぴしっと真っ直ぐに立って見せた。


《救ってくださってありがとうございましたッ!》

《あんたも群れ、守ってやんなよ。ボスなんだからね》


 私の気紛れに投げたそのひとことにシャチのボスは嬉しそうな鳴き声をあげ、水の中に潜っていく。「よかったのか」と獣使いのマゾヒストは私にきいてきた。人には会話内容がわからないと思っていたのだけれど、この獣使いにはなんとなく感じるものはあるようだ。


 シャチと別れたことなんて別に構わない。私が海にいようと山にいようと、亜熱帯のジャングルにいようと――どこにいようと、やつらは私の下僕である。私から逃れることは出来ないのである。それが私が皇帝である理由であり意味である。皇帝から逃れられると思うなよ!


 私ではなく隣のマゾヒストが何故かしんみりした顔をして、「行っちまったな」と私に声をかけた。行かせたんだから行ってもらわなきゃこまる。この船の進路を考えるなら、このあたりでシャチたちとお別れしておかないと、シャチ達があっさりへばる。奴らは冷水に慣れているのだろうから、温度の違う――たぶんここよりは暖かい――海水は辛かろう。全く、どいつもこいつも軟弱で困る。


 私とシャチ達が分かれてから、おずおずといった様子でクラーケンがその丸っこい瞳を海面へと出してきた。「おっ、足発見」と笑顔で言い放つマゾヒストには、サディストの資質もあるのかもしれないが、いずれ複雑な性癖である。

 控えめに甲板に足を這わせるクラーケンの触手――つまり足――はほぼ回復していた。私の隣でタコ、タコと足の数を数えているこの男は、獣使い以外の治癒術士としての資質もあったのだろう。モンスターの怪我まで治せる治癒術士なんてきいたことがないが。


《シャチさんたちってすごくいいひとだったんですね……》


 人じゃないけどと突っ込みたかったが、話がずれるのでやめておく。


《仲間を二、三匹喰った僕にも、優しくしてくれましたッ……!》


 喰ったのかよと思ったが、それは自然界の約束だから仕方ない。力のあるものは弱いものを食い物にし、弱いものは喰われないように工夫する。シャチは賢いからそのあたりも理解しているのだろう――たぶん。


 クラーケンはいなくなったシャチ達のぶんまで僕がこの船を守ると宣言し、私は生きた極上の蛸足がいつでも手にはいると上機嫌だった。マゾヒストのみが「触手巻き付けてくれないかなあ」と物欲しそうにしていたが、それは絶対伝えてやらないと決めている。――残念だったな!

 下僕――いえ、仲間にした動物達はこれからもちゃんと出てきますのでご安心を! 下僕をこき使ってこその皇帝ですから!

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