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VS巨大タコ



 冥界の魔物――シャチに持ってこさせた北海の幸を貪りながら、私はのんびりと甲板で過ごしていた。人の時代でもペンギンになっても、蟹は旨いものである。モシャッ。

 シャチは羨ましそうに私を――正確には私の手の内にある蟹を見つめていたので、私は食べ終わった後の蟹の殻を投げてやった。彼はバリバリとそれをもの悲しく貪っている。まあな。肝心の身は食い尽くしてやったからな。

 私に貢ぐ餌を見繕うときに一緒に食べてくればよいものを、このシャチはなかなかに素直で従順である。それでこそ下僕。


 お腹もいっぱいになったし、何より味に飽きたしと私は食べかけの蟹をすべてシャチに投げてやった。ペンギンの中では最大の体格である皇帝ペンギンとはいえ、流石に蟹を何十匹と持ってこられるのはつらい。人だったときでもきっと飽きてた。

 私に次々と海に投げ入れられていく蟹は、投げられるはしからバリバリモシャモシャとシャチの胃袋に納められていく。水族館の飼育員の気持ちはわからないでもない。わりとかわいい。


 しばらくフェイント(くれ騙し)を交えながらも私は下僕に蟹を与え、船と併走するシャチを手懐けていた。

 どうやらこのシャチはどこぞの群のボスか何かだったらしい。いつの間にか船の周りにはシャチが増えていたのだけれど、彼らがこの船を襲うことはなかった。ボスの惨状を見れば私に逆らうのは命をドブに捨てるようなものである。このへんはシャチが賢くて助かった。そうでなければ私は次から次へとシャチの相手をしなくちゃいけなかっただろう――負ける気は微塵もしないが。


 シャチに護衛されて進むようなこの船には、他の海洋生物はまったく近寄ってこなかった。その辺が少し残念ではあるが、無駄に体力を使わないからまあ良いとする。私の相棒気取りのマゾヒストもシャチを見ながら時折にこりと微笑んだが、その微笑みが友好的なものではなく、自分の男をどこかの女に取られたときに浮かべるような、嫉妬が多分に混じったモノだったということを私はここに記しておこう。ほんとに気持ち悪いなこのマゾヒストめ!


 船は予定通り順調に進み、私はシャチに跪かれながら数日を過ごした。シャチのおかげで同じ乗船者の人間たちよりもすばらしい食事をとれていたのは必然である。時折マゾヒストが物欲しそうに蟹を見ていたので、わたしは最大の哀れみを持ってタコを投げつけてやった。ぬるりとしたあの感触は、生で食べるのはちょっとアレなのである……一度いけるかなと試してみたがぬるぬるが予想以上に気持ち悪かった。おええ。


 マゾヒストはそのタコをみるなり「……流石俺の相棒!」とぱああと顔を輝かせ、それを船内に持って行った。たぶん加熱調理して貰う気だろう。くそ、私もそうして貰えばよかった!

 しばらくして戻ってきたヤツ(マゾヒスト)の手に乗っていた皿には、赤くゆで上げられたタコが丸ごと一匹乗っていた。


《寄越せ!》

「お、タコがほしいのかー? お前がくれたんだもんなあ、食べろ食べろ」


 よしよしと頭を撫でる手をフリッパーでたたき落とし、恍惚とするマゾヒストを後目に私はタコをつつきにかかる。ゆで上げられたタコは適度な歯ごたえでおいしい。海産物は新鮮なモノに限りますね。


 マゾヒストは私にタコの足をもいで渡そうとしていたけれど、ペンギンには強力な嘴があるので、私は構いたがる手を無視し、払いのけながら足を千切っては喰い、千切っては喰い――とすべての足を駆逐することに成功した。ご存じない方が多いかも知れないが、わがペンギン属の嘴とは偉大である。鋭いのはもちろんのこと、嘴を開くと付け根の部分にギザギザとノコギリ状の歯のようなモノがあることをご存じだろうか? 大抵のモノならくわえるだけですっぱりとやれてしまう。なんなら試しに指を指しだしてみると良い。やのつく自由業の方の落とし前の、ビフォー・アフターのアフターを見せてあげられると思う。


 足がすべてもげてしまっていても、我が北国の誇る最強のマゾヒストは美味しそうに足のないタコを頬張っている。「俺、魚嫌いでさあ……」知るか。「お前がタコ持ってきてくれて助かったよ、流石俺の相棒!」今度から魚を枕元においてやる。


 いつもどおり私とマゾヒストは甲板で冷たい風を楽しんでいた。進む海にも流氷が減り、なんとなくだが頬を撫でる風も暖かくなってきた気がする。もうそろそろこの景色ともお別れか――と感慨に耽っていたときに、そいつは私たちの目の前に現れたのである。


 最初に異変に気づいたのはもちろん私だった。


 あれだけ泳いでいたシャチがほとんどいなくなっているのだ。最初こそ冷水を好む種だからと、船が南に進むにつれて離れていったのだと思っていたのだが――それにしては随分様子がおかしい。静かすぎるのだ。

 大抵の海洋生物がそうであるようにシャチもまた群を作って暮らしているし、イルカの仲間であるシャチは仲間に人には聞こえないような高周波の音を出して群と連絡を取り合っている。いわばシャチの声。


 私がシャチの群のリーダーを支配下においてからというもの、そのシャチの声はうるさくてたまらなかった。《この前鮫食ったんだけどアンモニア臭すげーの!》だとか《蟹って食べてる間無言になるよな……》とか。すごくわかりますそれ。

 まあシャチの雑談はどうでも良いのだ。問題はそのお喋り好きなシャチの声が全く聞こえなくなったことにある。


 私の支配下に付いたとはいえ、シャチだって腹は減るだろうと基本的には自由行動を言い渡してあった。好きなときに行って好きなときに狩って、一番美味しそうな獲物を私によこせと言い渡してあった。シャチは海の殺し屋とかいう不穏な名前を付けられているにも関わらず、意外にも義理堅く馬鹿正直にそれを守ったし、船から離れるときは《姐さんいって参りますッ!》と威勢良く宣言したものだ。おかげで船底にシャチの鳴き声――高周波の音――が不気味に木霊して、乗船者が化け物か怪物の鳴き声かとビビっていた。


 そのシャチたちが、私に声をかけずにどこかに行くのがおかしいのだ。ついうっかりタコに夢中になってしまっていたせいでシャチのことを綺麗さっぱりすっきりと忘れ去っていたが、もっと早く気づくべきだった。


 タコも食べて食休みしようと甲板にごろ寝した私の目に入ったのは、イボイボのついた巨大な足である。それを目線だけで追っていけば、海の方へと視線を移すことになった。ほお、と私は目を輝かせる。これは巨大なタコなのでは。吸盤の付いた足は器用に船を這いずり回っている。私は私の隣で寝ころんでいたマゾヒストを嘴で突き起こした。恍惚とされるのはもう気にしないことにしたい。涎垂らすなよきもちわるいな。


「おおお……! クラーケン!」


 私の隣ではマゾヒストが感激に目を輝かせていた。クラーケンかと私はタコの足をみる。


 私の元いた世界では、クラーケンとは神話上だか伝承上だかの海の怪物である。馬鹿でかいイカだかタコだか知らないが、その大きな体に見合った長い触手で船をからめ取り、海に沈めて人を食らうだとかなんだとか。そんなに高性能な触手を持っているなら、船を沈めて人を食うなんてまどろっこしいことをせずともよさそうである。マッコウクジラやジンベイザメでも狙って食べればよいのである。


 余談だが、クラーケンの正体は深海にすむ世界最大のイカ、ダイオウイカなのではないかとも言われている。私はダイオウイカはわりと好きだ。訂正しよう、マッコウクジラと戦うダイオウイカが好きだった。


 クラーケン、と感動いっぱいに呟いたマゾヒストは、躊躇うことなくその腰に付けられたホルダーから、親に譲ってもらった鞭を取り出した。この鞭は世界に名を轟かせた獣使いが使っていたモノに相応しく“伝説級”で、そんじょそこらの鞭ではないそうな。獣を叩くだけで魅了してしまう女帝の茨鞭(マイ・フェア・レディ)という代物だそうだが、早い話が被虐趣味(マゾ)製造鞭である。この世にはなんと厄介なモノを作るチャレンジャーがいるのだ……


 鞭を構えたマゾヒストは、目を爛々と輝かせてクラーケンの足を見ている。試しに私は自慢のフリッパーでべしこんとそれを叩いてみた。ぶよっとしている。きもちわるっ!


 温厚な少年だった青年のマゾヒストは、生ぬるい微笑みを浮かべながら鞭をふるった。バシッと小気味よい音を立てて足を弾いた鞭は、そのままその足を何度も叩いた。このマゾヒストは時にサディスティックであるが、昔私の友人が“最高のマゾは最高のサドになりうる”というありがたくない名言を残している。あながち間違っていないのだろうと私は鞭を振るうマゾヒストを見つめていた。


 ずるり、と叩かれまくったぶっとい足が海中へと戻っていく。傷口に塩たっぷりの海水はしみないのだろうかとも思ったが、塩は至高である。ナイスミネラル! である。クラーケンとて海にしか居場所がない可哀想な生物である。海に帰らずしてどこに帰るのだ――と考えれば、海に触手を戻すのは自然と言えた。


 一拍おいて海面から現れた姿は、まさしくもって海の化け物、クラーケンのそれだった。

 イカともタコともよくわからない見た目をしているし、目は大きいモノが一つ真ん中についている。満月のように金色に輝くそれは、私とマゾヒストを的確に捉えていた。――面白い。


 くどいようだが――私は“皇帝”ペンギンである。この世界のなにものにも頭を下げる気はない。私が頭を下げないなら、下げるのは相手の方である。


「うわー! 何日分かな!」


 マゾヒストはクラーケンを見て嬉しそうにそう言った。それは恐らく“何日分の俺の食料になるのかな、魚好きじゃないから大きなタコにあえてラッキー!”という意味に違いなかった。クラーケンもまた、それを的確に理解したようだった。


 しばし無言の時が流れる。マゾヒストは鞭を手にわくわくとしている。


 ――風が動いた。


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