ねじり鉢巻とスコップ
鶏少年は「どうなっても知らないからな!!」と捨て台詞を残し、私たちを『外』へと放り出した──といっても、放り出されたのは龍の胃の中だ。さっきのような白い空間ではなく、ピンク色の肉が脈打っている。
何で!? ここ外じゃなくない!? と突っ込んでしまったが、「鳥にしてほしい」と願ったときにわざわざ飛べない鳥である「ペンギン」をチョイスするようなヤツである。意思の疎通がうまくいかないことに関しては諦める他ないだろう。無能め、と舌打ちしてしまうのは許してほしいところだ。
もしくは、あの『白い空間』をこの龍の胃の中に展開していたとかそういうヤツなんだろうか? だから「外に出す」で龍の胃の中にいるとか? とんちじゃないんだからそんなトンチキなことをしないでほしい。
マゾと一緒に龍の胃袋にいるなんて、ちょっとした悪夢だ。龍の口に突っ込んだ私だけを招くつもりが、そこにマゾも虎も突っ込んできた……と言うようなところなんだろう。たぶん。
「うわーっ、龍の胃袋ってこうなってるのか!」
──こんなときでもマゾヒストは元気だ。先程までのことなんかすべて忘れたように龍の胃袋を堪能している。メンタルが強い。肉体も間違った方向に強い。
こんな人間が魔王になろうものなら、いろんな意味で大惨事だ。格好がつかないなどと腑抜けたことをあの鶏少年は口にしていたけれど、それどころの話じゃないだろう。ヤツが自制心をなくし、本能のままに【魔王】となったなら……。
想像しかけてやめた。龍の胃袋のなかで考えることじゃあない。出来れば胃袋の外でも考えたくない。
「それにしても……」
マゾヒストはちらりと暴君虎を見る。
「……あいつの母さんなんですよね。だったら、ここは俺たちで切り抜けますから。おばさんは何もしないで見守っててください。お願いします。……信じてください。あなたの仲間の息子のことを。俺のことを」
確認するような言葉に暴君虎は首を振ることだけで肯定を返した。言葉は発しない。もしかしたら“外に出された”から、話せなくなってしまっているのかもしれないけど。肯定を返した暴君虎にほんの少しだけ微笑んで、青年は自分の頬をパチンと叩く。
「──よし、外に出るか! やるぞ相棒!」
《ギュエエエエッ!》
空気を読んで返事してやった私のコミュニケーション能力の高さ、誰かに褒め称えてもらいたいもんである。汚い鳴き声とかいうなよ!
腰のホルダーから鞭を抜き取り、「突き破って出るとして、どっちが背中側かなあ」と呟く。腹の方に回りたいな、という青年の意見にはわたしも賛成だ。
固い鱗におおわれた背中より、鱗のない腹の方が突き破りやすい。私は胃のなかをつかつかと歩き回り、目に見える範囲の内壁にばちばちとフリッパーを当てていった。フリッパーの当たる音でそこが腹側なのか背中側なのか判別するというわけだ。腹側の方が骨もなく、脂肪を含めても肉が薄いから、判別自体に時間はかからない。背骨があるぶんだけ音が鈍くなるのだ。
ばちばちとフリッパーを当てつづける私を「早く出してやるからな~」とでれでれした顔で見つめ、マゾヒストもまた鞭を振るう。
龍の身になるとなんとも胃の痛い話だが、外に出るためなら手段など選んではいられない。攻撃を当て続けていた内壁が赤く腫れ上がってきたのに「痛そう」とマゾヒストが呟いたのが印象的だった。何を今更。
散々叩きまくっているが、流石に鞭とフリッパーではドラゴンの胃を切り裂くことは出来ない。ただぶっ叩くだけでは徒労に終わる。そんなことは私たちもよくわかっている。途方にくれるつもりはなかった。
腫れ上がった肉はぶよぶよとしてきてちょうどよい柔らかさになりつつあった。フフ、と私はペンギンの顔で笑う。頼むぞ相棒、とマゾヒストも極悪人の顔で笑った。
散々つつき回されてきたマゾヒストだ。私の嘴の鋭さはよくよく知っている。私は後退し、腹這いになった。いわゆる「トボガン」の状態だ。青年も心得ているから、一緒に後ろに下がって私のとなりに片ひざをついてスタンバイ。
「──行くぜ相棒! ぶちかませーっ!」
私の体を思いきり後ろに退き、マゾヒストは野性動物と相撲することで鍛えた膂力をフルに発揮した。力強い腕が私を前に押し出し、ペンギンロケットとして申し分ない速度を生み出す。要するに「シャーッと滑ってグサッ」というわけである。これに限る。
シャーッ。そしてグサッ。フリッパーと共に磨きあげてきた嘴が唸りをあげるのだ!
わたしの嘴の前に龍の胃はあっさりと白旗をあげることになった。柔らかく腫れ上がった肉に深々と突き刺さった嘴をグリグリと動かし、わたしは可能な限り穴を広げていく。そのうちマゾヒストもベルトにつけていた携帯用ナイフを片手に穴を広げ始めた。携帯用のナイフでどうにかなるものか? と思わなくはなかったが、やつは案外多芸である。肉の繊維の流れを読んで器用にナイフを滑らせていた。
「もう一回行けるか?」
深くそして広く穴を拡げていくうちに青年がそう呟いた。もちろん、とわたしは頷く。こんなことくらいでへたばるほどやわじゃない。
──穴の具合もなかなかちょうどいいだろう。あともう一発でもくちばしを突っ込めば穴が開きそうだ。勘違いしないでほしいが、これは龍の胃が軟弱というわけではない。わたしの嘴が強すぎるだけだ。
青年とわたしは先程と同じように助走距離を取り、青年は同じように私を胃壁に向かってぶん投げた。
***
目の前の龍が急に苦しげにのたうち回る。あまりに暴れるものだから、私たちは一旦距離をとることにした。「我が息子ながら、喰ったら腹壊しそうだもんなァ」というのはおじさんの……あの青年の父親の言葉だ。もうちょっと息子を心配したらどうかと思ったが、これもある種の信頼によるもの……なのだろうか。
青年と一緒に龍の口に突っ込んでいってしまった私の暴君虎は無事だろうか。凄く不安ではあるけれど、あの青年と一緒なら何だか無事なような気もする。彼は動物にはびっくりするほど優しいから。きっと自分の身がどうにかなりそうでも、動物のためになら体を張ってくれそうな気がする。一石二鳥だし。
龍が苦しげに地団駄を踏み、口からは血の泡が吹き出てくる。地に響くような呻き声が木々を揺らし、積もった雪を振り落としていく。「下がって」と青年の母親が口にした。
「来るわよ!」
龍は苦しげにうめきながら、視界に入った私たちに向かって攻撃してくる。胸の辺りに埋まった人影も苦しげに頭を振りながら「やめろ」「暴れるな」などと断片的な言葉を発し続けている。【勇者】の青年はそれを痛ましげに見ながらも、振り下ろされる龍の足、腕、尾を的確に避けていた。のたうち回りながらの攻撃は読みづらいが、龍だって正確に狙えているわけではないのだろう。私以外の三人は余裕でそれを避けている。
「嬢ちゃん!」
降り積もる雪に足をとられ、振り下ろされる尾を交わすタイミングがずれてしまう。必死に避け続けていたのももはやこれまでか。恐怖で体が凍りついてしまった私の目の前には霜のように真っ白な鱗で覆われた太い尾が迫る。死ぬ、と思った。思わず目をつぶってしまう。
「大丈夫か!?」
ジャッ、と鈍い音が聞こえて、私ははっとして目を開けた。【勇者】の青年が私の前で龍の尾を受け止めている。除雪用のスコップが深々と尾に食い込んでいた。白い尾から赤い血が滴り、真っ白な雪を染めていく。叩きつけられる尾の勢いを利用してスコップを刺したのだ。しかし尾の勢いもすごかったのだろう。スコップの柄で擦れてしまったのか、軍手に血が滲んでいる。私は礼をいうより先にとっさに魔法をかけた。【防御】と【治癒】のそれだ。
「どーも。──あんた前衛じゃなさそうだな。俺が守るから俺を護ってくれ。このままじゃもたない」
白い雪をの上を滑るように彼のブーツが後ずさる。力で押されているのだ。ぽたぽたと血をたらしながら、それでも両者は退かない。
「……はい!」
私はありったけの、知っている魔法を──使える魔法を【勇者】にかけ続けた。【加速】【肉体強化】【剛力】。かけ続けていれば、少しずつだが龍の尾にスコップが食い込んでいく。押され気味だった【勇者】が力で龍を上回りつつあった。龍もそれを察したのだろう。力で押すよりも手数で押しきる方針に切り替えたようだ。一度尾を退き、勢いをつけて何度も【勇者】目掛けて振るう。【勇者】はそれのすべてをスコップで受け止め続け、私は彼を【治癒】し続けた。攻撃の勢いが苛烈なのもあり、【獣使い】の両親二人はこちらを手助け出来ずにいる。入り込む隙がない。下手に手を出して龍の攻撃のリズム、【勇者】の防御の姿勢が崩れてしまえば困るからだ。一瞬の気も抜けない。
龍が何度も尾を叩きつける。【勇者】は持ちこたえていたが、スコップの方が怪しくなってきた。軋み、へこみ、武器としては心もとなくなってくる。
「不味いな……」
あと一発が限度だな、と【勇者】が呟く。あんた逃げろ、と振り向かずに声をかけられた。
「親父の不始末は俺がつけようと思ったけど。──悔しいな」
ねじり鉢巻がはらりと落ちる。龍の尾を受け止め続けた振動でほどけてしまったのだろうか。スコップの限界を悟ったのか、龍の方は自分の尾のことなど気にせずに力一杯に尾を振り上げた。走れ、と【勇者】が叫ぶ。私は弾かれたようにその場を離れた。その一撃を最後に受け止めたスコップがひしゃげ、【勇者】の手元から吹っ飛ぶ。【勇者】も耐えきれずに吹っ飛ばされた。
「【勇者】さん!」
私はありったけの【治癒】をかけた。吹っ飛ばされた先で木に叩きつけられた【勇者】はぴくりともしない。最悪だ、と背筋が冷える。最悪のシナリオが頭の中に浮かんだ。それを阻止するのが私の役目だったのに。
かくなる上は、と私は龍を見据える。もうなりふり構ってはいられまい。せめてこの三人だけでも助けたい。私には龍にとどめをさすことは叶わないかもしれないが、あの三人の力なら、いつかは──。
囮になるように龍の前に飛び出た私を、龍は睥睨し──。
口を大きく開いたところで、その姿のまま吐血した。
私は頭から龍の血を被ってしまう。生暖かく、血液だというのに鼻につくような鉄臭さはない。もっと別の匂いがする。薬臭さのような、何ともいえない匂いだ。しかしあまりよい気分ではない。思い切り顔をしかめてしまった私の目の前で、龍の腹を突き破って出てきたのは一人と二匹。あの青年とそのパートナーの怪鳥、そして私の暴君虎。驚くことに青年も動物たちもぴんぴんしている。龍の腹に入っていたなどとは思えないほどに。




